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フランスの暴動 ―欧州の移民社会とフランスのジレンマ―


現在フランスで移民系の若者を中心に暴動が激化している。警察に追われていた若者二人が変電所に入り込んで感電死したパリ郊外での事件を発端として、暴動はフランス全土に波及し、とうとう死者が出るに及んでいる。政府は非常事態宣言を出したが暴動が収束する気配は未だなく、事態は隣国のベルギーやドイツにも飛び火している。

■「普遍性の共和国」フランス:開放性と閉鎖性

この一連の暴動自体は突発的な契機で始まったものだが、この事件の背景には「普遍性の共和国」フランスの根深い社会問題がある。元々ガリアとローマの混淆の歴史に始まるフランスは、革命を経て国民国家の嚆矢となってからも、フランス国民の定義を民族的血統に求めたことは一度もない。フランス語を話し、フランス共和国市民たる意思を示せば基本的にフランス人たりうる。その点ではアメリカと同様、フランスのナショナリティーは開放されており、人種・民族を問わずフランスで出生した人はフランス国籍の取得が可能である。したがって移民の二世・三世も容易にフランス国民となりうる。近年では、フランスの旧植民地であるアフリカ地域、特にマグレブと呼ばれるアルジェリアやモロッコなどの北アフリカ地域からの移民が急増しており、とりわけ今回の暴動の発端となったパリ郊外やマルセイユなどでは、移民が住民の多数を占めてコミュニティを形成している地区が点在している。

その一方で、フランスには国是としての政教分離(ライシテ)の原則が厳然と存在する。フランスで政教分離を徹底する法律が制定され、公共の場でスカーフを被ることが禁じられたことは内外で大きな議論を引き起こした。政教分離の原則を徹底することは、他の宗教の人々にとっては特に問題はなく、ヨーロッパ域内からの移民などは容易にフランス社会に同化してしまうが、元々個人の信仰と社会的行為が不可分であるイスラム教を信仰する人々にとっては、ともすれば強制的な同化主義のように映ってしまい、信仰を否定されたように感じ国家に対して疎外感を抱くイスラム系移民が増えるという現象がある。

また、フランスの社会は、門戸は開かれているとはいえ、芸術やスポーツなどの特定の分野を除けば、移民にとって社会的な上昇の経路は少ない。フランスはある意味では日本よりも遥かに明確な学歴社会である。学歴によって就業の機会や昇進の度合いは全く異なる。高校卒業・大学入学資格のための試験(バカロレア)で哲学の小論文が課されるようなフランスの教育にあっては、知識の詰め込みだけで大学に入れるという仕組みではなく、高等教育を受けられる機会は経済事情によっては左右されないものの初等・中等教育段階の学習環境によって大きく左右される。そして初等・中等教育の環境は居住地区によってある程度決まってしまう。その点でフランスにおける社会階層の再生産、固定化の傾向は否定できず、特に移民のコミュニティに暮らす若者にとってフランスの社会は将来に希望が持ちにくい社会であるかもしれない。

そしてフランスの景気の低迷によって最も影響を蒙っているのも彼らである。フランスの失業率は約10%であるが、移民の多い地域では倍の20%近くに及ぶ。若者だけで統計を取ればその率はさらに高くなるであろう。社会に疎外感を抱き、将来に希望の持てないそうした若者たちの鬱積した不満は、既に治安の悪化などに表れており、移民のコミュニティがパリの郊外に多いことから「郊外問題」という現象が指摘されていた。今回の暴動も、こうした若者たちの鬱積した不満が暴発してしまった結果であると言えよう。

■フランスと「街頭の政治」

「フランスでは革命はあるが改革はない」もしくは「フランスでは革命によってしか改革が起こらない」という言葉がある。フランスの近現代史は1789年の大革命以降、幾多の革命の歴史でもある。社会の変化に伴い改革の必要性が叫ばれるとき、フランスは漸進的に改革を進めていくというよりは民衆の蜂起やデモなど大掛かりな大衆運動を惹起する傾向がある。歴史的に近いところでは1968年の「五月革命」がある。学生寮の待遇改善を求める学生デモに端を発し、次第に国民的な運動となった五月革命は、フランス社会の変化を印象付けた。ドゴール大統領は国民議会の解散総選挙で何とか事態を乗り切ったが、ドゴールの政治的影響力は低下し、当時の文化的雰囲気と相俟って時代の転換を画する事件となった。

今回の一連の暴動は、暴力的な憤懣の表出ではあっても明確な政治的主張があるわけではなく、その意味ではこうした「革命」の系譜に繋がるものとは必ずしも言えないが、フランス社会の根幹に関わる大変根深い問題を投げかけている。好むと好まざるとに関わらず既にフランス社会の構成員である彼らの不満にどのように対処していくかはフランス全体の問題である。かかる暴動は決して社会的に容認されうるものではないが、暴動の背景には目を向ける必要があろう。彼らの不満を何らかの形で吸収する政治勢力が存在することが望まれるが、2002年以降低迷から脱しきれていない社会党などの左派勢力が、彼らの不満を受け止める求心力となりうるかは未知数である。また今回の暴動を受けて、だからこそ移民への積極的施策が重要であるという意見と、だからこそ移民の受け入れには慎重であるべきで国内社会の安定が最優先であるという意見との間で、国内世論の二極化が進んでしまうことも懸念される。

フランスの国内政治では、シラク大統領の後継(再出馬の可能性もないわけではないが)をめぐって2007年の大統領選挙の鞘当てが早くも始まっている。特に最有力とされているのはドビルパン首相とサルコジ内相の二人であるが、今回の事件をめぐる彼らの対応は、再来年の大統領選挙の帰趨にも影響を及ぼすであろう。特に今回の直接の責任者であるサルコジ内相は、国民の広範な人気を集め、与党UMP(国民運動連合)党首として次期大統領の有力候補の一人であるが、事件の対応をめぐっては政権内外からの批判も出ている。彼自身ハンガリー移民の二世であるサルコジ内相の言動は、今回の事件において象徴的な意味合いを持っている。

近代フランスの共和政モデルは、宗教等の個人的信条と公共の政治空間を切り離し、理性主義に基づく均質な市民(シトワイヤン)によって構成される「単一にして不可分の共和国」を前提としてきた。同時に逆説的ではあるが、フランスはその普遍性への自負から、外部からの移民に対し、同化主義的ではあったかもしれないが寛容に受け入れ、寛容に国籍を与えてきた。いまやフランスは国内に数百万人の移民を抱えるに至っている。この「単一にして不可分」なフランスの共和政モデルは、現在欧州の政治統合に伴い外側からの再検討を余儀なくされているが、今回の一連の事件を通じて、今後さらに内側からの再検討をも余儀なくされることになりそうである。
(2005年11月9日記)
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