コラム/レポート

〔研究レポート〕2020年ロシア憲法改正について
―権力継承、大統領権限、ナショナリズム―

2020-09-14
溝口 修平(法政大学教授)
  • twitter
  • Facebook

「大国間競争時代のロシア」研究会 第2号
「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。なお、各研究会は、「研究レポート」とは別途、研究テーマ全般についてとりまとめた「研究報告書」を公表する予定です。

はじめに

2020年にロシアでは大規模な憲法改正が行われた。1月15日の議会教書演説でプーチン大統領が提案し、その直後に議会に提出された法案は急ピッチで審議され、3月14日に公布された。その後予定されていた国民投票は、新型コロナウィルス感染症拡大の影響で実施が遅れたものの、最終的には約78%の賛成で承認され、7月1日に施行された。今回の憲法改正(以下では「2020年憲法改正」とする)は、これまでと違い広範囲にわたる大規模なものであったが、国民的議論がなされないまま短期間で成立したのである。

周知のとおり、2020年憲法改正によりプーチン大統領は2036年まで大統領を務める可能性が出てきた。もしそうなれば、2000年の大統領就任から実に36年間も実質的な権力を持ち続けることになる。したがって、この憲法改正はプーチン大統領の「強さ」の表れとして理解されることが多い。しかし、憲法改正のプロセスおよび改正された憲法の内容を見ると、ちぐはぐさを抱えた危うい憲法改正であることが分かる。本報告では、2020年憲法改正をめぐる2つの謎について検討しながら、この憲法改正が持つ意義について考察した。

2020年憲法改正をめぐる2つの謎

プーチンにとって「法」の存在は重要な意味を持ってきた。2000年の大統領就任当初のスローガンが「法の独裁」であったように、彼は法的な体裁を整えながら自身の政治基盤を確立してきたのである。しかし、2020年憲法改正については、2つの点でそうした体裁に不備が見てとれ、なぜそのようなことが行われたのか疑問が残る。それは第一に、なぜ政権は憲法改正を急いだにもかかわらず、国民投票を実施したのかという手続きに関する謎である。後述するように、この憲法改正は憲法規定上は第3章から第8章までの「修正」にあたり、国民投票の実施は必要なかった。憲法改正を急ぐのであれば、不必要に時間がかかる国民投票をわざわざ実施することは合理的でないように思われる。

第二に、なぜ憲法改正法案の内容が審議途中に大きく変わったのかという改正内容に関する謎である。当初この憲法改正は、2024年に任期満了を迎えるプーチンが院政を敷くための布石であると考えられていた。しかし、審議途中に大幅な修正が加えられ、結果的にプーチン続投の可能性が出てきた。このようなシナリオは、法案提出当初から想定されていたものなのか、それとも、法案提出後に決められたものなのか。ロシアにおいて、憲法改正の内容が議会での審議途中に大幅に変更されたことはこれまでなく、この点も2020年憲法改正にまつわる謎である。

憲法改正の手続きの謎

1993年に制定されたロシア憲法では、憲法改正は以下の3つに分類されている。すなわち、⑴憲法の基本原則(第1章)、人権規定(第2章)、憲法改正規定(第9章)を対象とする「改正(пересмотр)」、⑵統治機構に関する規定(第3章~第8章)を対象とする「修正(поправка)」、⑶ロシア連邦への加入、連邦構成主体の統合や名称変更に関する「変更(изменение)」の3つである。

これまでに行われた憲法改正の大半は、⑶の「変更」である。連邦構成主体の名称変更や統廃合が1990年代半ばから2000年代半ばまでにあり、2014年にはクリミア共和国とセヴァストーポリ市の編入があった。連邦構成主体の統廃合や編入は、連邦の憲法的法律によって行われ、名称変更の場合には大統領令によってなされることになっている。

一方、⑴の「改正」は憲法制定以来一度も行われていない。憲法を「改正」する場合には、憲法議会が設置され、そこで新しい憲法草案が起草される。つまり、ここでの憲法「改正」は実質的に新憲法制定である。しかし、憲法議会に関する法律はいまだ制定されていない。

2020年憲法改正は、2008年と2014年に行われた改正とともに⑵の「修正」にあたる。これまでの例とは異なり、2020年憲法改正は内容的に多岐にわたる改正であり、第1章や第2章を含めた⑴の「改正」となってもおかしくないものだった1。しかし、上述のとおり必要な法整備が未だなされていないこともあり、プーチン政権は「修正」で改憲を実施することにした。ここに、短期間で法案を成立させ、憲法改正の政治化を回避したいという政権側の意図を見てとることができる。

しかし、「修正」には本来必要ない国民投票を実施することが、2020年憲法改正法案には規定された。憲法の規定によれば、憲法「修正」は、下院の3分の2以上、上院の4分の3以上の賛成に加え、全連邦構成主体の3分の2以上の立法機関での承認によって成立する。改正を第3章から第8章にとどめ、短期間で成立させようとしていたにもかかわらず、法的には不要な国民投票を実施するのは矛盾しているとも言える。プーチンは憲法改正を提案した教書演説の中で、国民が「最終的な決定権」を持つと述べ、ペスコフ大統領報道官も国民投票は「必須ではないが国民の考えを確かめる必要」があると述べた。このように、憲法改正に対する国民の同意を得る必要性に言及するということは、それだけ国民の憲法改正に対する反発を政権側が恐れていたことを逆説的に示している。

憲法改正の目的の謎

それでは、2020年憲法改正において実現しようとしたことは何だったのか。改正された内容は大きく3つに分けることができる。

・院政か?続投か?

第一に、プーチン大統領の任期満了に伴う問題である。上記のとおり、この憲法改正は当初プーチンの任期満了後の「院政」に向けた動きであると捉えられていた。プーチンは、大統領退任後の権力基盤を確立し、かつ後継大統領が自分をしのぐ強大な権限を持たないように、政治制度の変更を行おうとしたと考えられたのである。たとえば、大統領の「連続2期まで」とされた任期制限から「連続」という文言が削除され、自身と同じ方法で長期政権を築く大統領が今後出ないようにした。また、大統領と下院の権限区分に関する改正も行われた(後述)。下院議長ヴォロージンが事前に下院の権限拡大を提案する論文を発表していたことなども、「院政移行説」を信憑性のあるものとしていた。さらに、これまであまり政治的重要性を持たなかった国家評議会の地位や機能を憲法で明記することになり、プーチンは国家評議会議長として「院政」を敷くのではないかという可能性も指摘された。

しかし、このような「院政」を前提とした動きは、下院第2読会での審議途中に法案が大幅に修正されたことにより、方向転換した。まず、現職大統領および大統領経験者のこれまでの任期は、2期までという任期制限の対象にはならないという条項が新たに追加された。つまり、プーチンとメドヴェージェフのこれまでの任期は「リセット」され、両者は2024年以降さらに2期12年大統領を務めることができることになった。

ただし、これはあくまでプーチンが2036年まで大統領を務めることが可能になったという可能性の話に過ぎない。「任期のリセット」だけでなく、元大統領の不逮捕特権や、元大統領に終身上院議員の地位を与えることなども、同じく第2読会で追加されており、プーチンの大統領退任に向けたと見える内容も新たに付け加えられている。

・議会権限の拡大?

2020年憲法改正の第二のポイントは、大統領権限と議会権限に関するものである。この点について当初は、大統領権限の縮小と議会権限の拡大が行われると考えられていた。前述のようにそのような憲法改正を提案する論文も出ていたし、プーチン自身も2020年1月の教書演説において「組閣における下院の責任の拡大」と表現した。しかし、蓋を開けてみれば、どちらかと言えば大統領の権限を強化するような内容となった。

組閣における大統領と議会の権限の変更については以下のとおりである。まず、首相の任命における下院の役割は、「同意」から「承認」へと文言が変わったものの実質的な手続きに変更はない。次に、下院が承認した副首相、連邦大臣候補を大統領は拒否できないことになった。この点は下院の権限の拡大である。ただし、国防、国家安全保障、内務、法務、外務などの大臣の任免は大統領が行うことになった。また、大統領は首相の解任権を新たに手に入れた。以上から、全体としては、下院の権限よりも大統領の権限が拡大されたと言える。

このほかにも、大統領は新たな権限を獲得した。たとえば、大統領は法案署名前にその法案の合憲性を憲法裁判所に請求できるようになり、大統領が任命する上院議員の枠も17名から30名へと大幅に拡大した。さらに、検事総長をはじめとする検察官の任免権限も獲得した。このように、当初予想されていたものとは異なり、今回の憲法改正は総体として大統領の権限を強めるものとなった。

・愛国主義、保守主義、社会保障

上記の2点は、どちらもプーチンの任期満了に伴う問題と言えるのに対し、そのようなものとはまったく異なる問題も今回の憲法改正には含まれている。それは愛国主義、保守主義などの価値観を強化するもの、そして、社会保障について具体的に規定するものである。

まず、2020年憲法改正では、国際関係におけるロシアの主権を擁護しようとするものが目立った。日本でも報道された「領土割譲の禁止」に関する条項に加え、在外同胞の権利保護、憲法と矛盾する国際機関の決定の不履行、内政不干渉などが新たに規定された。また、歴史的団結、神への信仰、祖国の防衛者の追悼、歴史的真実の保護、子どもの愛国心、公民意識、年長者への敬意の育成などといった愛国主義的、保守的な価値観を強調する文言も新たに憲法に書き加えられた。さらには、結婚を「男性と女性の結びつき」と定義して同性婚を禁じ、政府の職務に「家族の支援、強化および保護、家族の伝統的価値観の保全」を追加した。このように、愛国主義的、保守的な改正が多いことも2020年憲法改正の大きな特徴である。

社会保障、すなわち、最低賃金の保障、年金の物価スライド制、政府の職務としての「障害者の生活の質的改善」などに関する規定が加えられている点も注目に値する。ロシアでは、年金受給年齢の引き上げが大規模な抗議運動をもたらし、プーチンの支持率が低下したことは記憶に新しい。憲法第7条に規定されている「国民生活の保障」が十分に実現されていないことは、ゾリキン憲法裁判所長官も指摘していた問題であった。このような認識が政権内外で共有される中で、憲法改正に対する国民の支持を獲得するために、社会保障の充実が盛り込むことになった。

以上の点は議会に提出された当初の法案にはほとんど含まれておらず、上記の「任期リセット」と同様に下院第2読会で追加されたものである。国民投票を周知するためのキャンペーンでも、こうした点が強調されたことからも明らかなように、これらは国民からの支持獲得を意識して追加されたものだと評価できる。それは、ロシア社会においてそれだけ経済的不満が高まり、そこから目を逸らすために政権は愛国主義的な主張に頼らざるを得ないというロシアの現状を表している。

おわりに

本報告では、2020年憲法改正の手続きと内容の両面から、その特徴と意義について考察してきた。この憲法改正は、ポスト・プーチン時代に向けた権力継承の問題をできるだけ政治問題化しないように成立させることを目的としてスタートした。その一方で、国民からの反発を防ぎ、憲法改正の正統性を確保するために、法的には不要な国民投票を実施することにした。このように政治問題化の回避と正統性確保という2つを同時に満たすために、一見矛盾して見えるような手続きがとられることになった。そして、そのために愛国主義や保守主義を強化するような内容が憲法に書き加えられることにもなった。

また、審議過程で内容が大きく変更されたことで、2024年でプーチンが大統領を退任するか否かは不透明になった。大統領の権限が強化されたことは、プーチン政権が継続する可能性が高まったことを表しているのかもしれないが、現時点では留任・退任双方の選択肢を残すことにしたとみなすのが妥当であろう。このような変更が審議途中で行われたことは何を示すのかは、今後さらに検討する必要がある。留任を求める周囲の声をプーチンがやむなく受け入れたという演出なのであれば、それが現時点でプーチン政権に良い効果を与えたようには見受けられない。逆に、法案提出後に実際に方針が変更されたのであれば、これまでになかったような意思決定の混乱を見てとれる。いずれにせよ、2020年憲法改正は一貫性の欠如したどこかちぐはぐなものであった。




1 たとえば、今回の改正で上院議員の名称がчлен Совета Федерацииからсенатор Российской Федерацииに変更されたが、第9章は改正されていないため、そこに含まれる第134条、第135条ではчлен Совета Федерацииのままとなっており、憲法全体の一貫性が失われている。