コラム/研究レポート

〔研究レポート〕複層的秩序論から考えるインドの対中認識

2021-03-26
溜和敏(中京大学准教授)
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「インド太平洋」研究会 第3号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。なお、各研究会は、「研究レポート」とは別途、研究テーマ全般についてとりまとめた「研究報告書」を公表する予定です。

インドの複層的秩序認識

昨今の状況を論じるまえに、インドの国際秩序認識に関する筆者の議論の枠組みを紹介しておきたい。2020年春に刊行された共著書1において、インドの秩序認識が3つのレイヤーによって構成されていると論じた。認識は人により異なるものではあるが、インドの国際関係をめぐる言説に基づいて、(1)地域、(2)拡大近隣(extended neighbourhood)、(3)世界として整理した。(1)「地域」の秩序とは、南アジアとインド洋の秩序であり、そこではインドは圧倒的な大国として自己認識をしている。(2)「拡大近隣」は、2000年頃に現れた比較的新しいインド特有の秩序概念であり、当初はアジア、現在は広がってインド太平洋をおおよその範疇としている。この拡大近隣では、中国との対抗関係がインドの秩序認識の核となっている。(3)「世界」は文字通り世界全体であるが、かねてからインドは世界秩序の「民主化」や「多極化」を主張し、このレベルでは中国との協力も行われてきた。

このような捉え方は、筆者独自のものではない。たとえば、外交評論家C. ラージャ・モーハン(シンガポール国立大学)は、インドの大戦略が「直接近隣」、「拡大近隣」、「グローバル・ステージ」という3つの同心円に世界を分けていると、2006年に論じていた2。また日本国内のインド政治研究を代表する堀本武功(岐阜女子大学)も、かねてからインド外交を理解するうえで、「グローバル」、「リージョナル」、「サブリージョナル」から構成される「マトリックス」が有用だと主張してきた3。用語法や論じ方に差はあれども、こうした複数のレベルに分けて捉える見方は、インド国際関係の専門家の間で広く見られるものである。

以下では、単純化して、(1)南アジア、(2)アジア、(3)世界、という3つのレベルを設定して議論を進めてみたい。

複層的秩序論からの印中関係理解

インドの複層的秩序論を用いることの最大のメリットは、インドと中国の複雑な国際政治を説明できることにあった。

1962年の国境紛争によって決別したインドと中国であったが、冷戦終結前後から関係を修復し、未解決の国境問題を抱えつつも分野によっては協力を拡大してきた。国際政治の問題に絞ってみても、一方ではBRICSや上海協力機構での協力を行いつつ、他方でいわゆる「一帯一路」をめぐって対立するなど、インドと中国の国際政治は一見すると理解しがたい複雑な状況にあった。

ここで複層的秩序論を用いて、アジアの秩序と世界の秩序を分けることによって、状況を整理できる。アジアの秩序では、インドは中国による覇権を阻止する現状維持勢力であり、対立が印中関係の基調となる。世界の秩序では、国際政治の「民主化」という観点において、途上国側を代表する立場のインドと中国の関係は協調が基調となる。それゆえ、インドと中国は世界のレベルにおいてBRICSや上海協力機構では協力できるが、アジアのレベルでは一帯一路や「真珠の首飾り」をめぐって対立する、という一応の説明ができる。もちろん万能ではないものの、複層的秩序論は、インドの対外関係、とくに印中関係を理解するうえで有用な枠組みであったと言えよう。

ただし上記の文章で過去形を用いたのは、情勢が変化し、こうした枠組みの説明力が低下しているからである。短期的には関係改善と悪化を繰り返してきた印中関係であるが、長期的・全体的な傾向として徐々に悪化しつつある。短期的な改善局面にあった2019年、筆者はデリーの関係者との交流のなかで、従来とは異なりグローバルな問題でも中国との協力が難しくなりつつあるとの見解を聞いていた。たとえば、インドが世界政治の民主化実現のために重視する国連安保理改革において、中国は反対勢力である。共闘できるイシューは実際には少ない。つまり、世界の秩序におけるインドと中国の協調は名ばかりとなりつつある。

「多極世界」指向から「多極アジア」指向へ?

昨今の印中関係の変動は、秩序論の観点からどのように捉えられるだろうか。

本研究会の主査である菊池努(青山学院大学)は、2019年の論文で4、冷戦終結後のインドがアメリカの一極構造を阻止して「多極世界」を実現するために中国やロシアと連携してきたものの、中国の伸張著しい昨今、中国による覇権を阻止して「多極アジア」を維持するためにインドはアメリカとの連携に舵を切った、とする仮説を提示している。つまり、インドは「多極」という目標を堅持しているにもかかわらず、アメリカ一極構造を抑えるために中国と連携すべき状況から、中国の覇権を防ぐためにアメリカとの連携へと変化した、という議論である。

こうした認識論に真実や正解は存在しないが、複層的秩序認識を措定する筆者は、やや異なる見方する。「多極世界」と「多極アジア」は別のレベルの認識であるから併存しうる。2020年9月に刊行されたインドのS. ジャイシャンカル外相の著書を見ても5、インドの「多極世界」指向は根強く、そうした発想は放棄されていないと考えるべきであろう。そして、中国の覇権を阻止するためにアメリカとの連携を図る考えは、昨今の情勢下でさらに強まっているのは確かであるが、遅くとも2010年ごろまでにはインドの対外戦略の基盤として右派・左派にまたがるコンセンサスが成立している。

またジャイシャンカル外相は2020年9月の講演で、「多極世界は多極アジアを基盤としなければならない」6と語っている。これは日本との協力に関する文脈での発言であり、菊池が論じるような意味で「多極アジア」が用いられていることがわかる。しかしこの発言からもわかるように、インド国際関係の発想において「多極世界」と「多極アジア」は矛盾しない。「多極世界」指向から「多極アジア」指向への転換と捉えるのは行きすぎで、かねてから両方の発想が併存するなかで「多極アジア」的な発想が強まっている、と見るのが妥当であろう。

「多極アジア」という新たなロジック

管見の限り、インドの国際関係をめぐる言説で「多極アジア」という発想は比較的新しいものである。従来、「多極」は世界のレベルで用いられる表現であった。かつてアジアに影響力を有する超大国はあってもアジアの超大国(およびその候補)は存在しなかった。それゆえ「多極アジア」は目指すべきものでも守るべきものでもなく、そこにある当たり前の現実であり、「多極アジア」なる概念を用いるは必要なかった7。しかしここ数年は、「多極アジア」がインドの対外戦略の文脈で語られるようになっている8

こうした情勢認識の変化の背景として、いくつかのことが考えられる。第一に、当然の前提として、インドにとって中国の脅威が切迫しつつある。とくに中国の海洋進出をめぐるインド側の情勢認識は、ここ10年間で大きく変化したと言えよう。第二に、中国やインドがグローバルに台頭し、アジアの国際政治が世界政治の中核となるにつれて、インドの認識においても世界とアジアの垣根が低くなったことが挙げられるのではないだろうか。第三に、先に論じたように、世界のレベルにおける中国との協力が建前のみとなりつつある。

インドと中国との対決は先鋭化し、インドの対中認識に変化が生じている。他方で、これまでのインドが問題をレベルやイシューで切り分けて、国益に資すると見れば協力を惜しまなかったことも忘れるべきではないだろう。インドは「一帯一路」への協力を頑なに拒みつつも、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の融資は積極的に活用してきた。2020年6月の国境紛争によって印中関係は大きく損なわれ9、さらに国内の反中感情が爆発しているため、当面は中国との協力が全面的に困難となるが、情勢の構造自体を変えるものではない。アメリカや日本、オーストラリアとの安全保障協力を強化し、中国の脅威に対抗しつつも、対決一辺倒に向かうのではなく、イシューによっては協調し、巧みに全面衝突を避けようとする従来の方針は維持されるだろう10




1 溜和敏「インドの複層的秩序認識と対外戦略」佐橋亮編『冷戦後の東アジア秩序――秩序形成をめぐる各国の構想』勁草書房、2020年。

2 C. Raja Mohan, "India and the Balance of Power," Foreign Affairs, vol. 85, no. 4 (2006).

3 堀本武功『インド第三の大国へ――〈戦略的自律〉外交の追求』岩波書店、2015年。

4 菊池努「『インド太平洋』戦略の地政学――地域秩序の主体は誰か」『国際問題』No. 687(2019年12月)

5 S. Jaishankar, The India Way: Strategies for an Uncertain World, HarperCollins India, 2020. 同書に見られるインドの世界秩序認識については別稿で論じた。溜和敏「インドが見るポスト・コロナの世界:『The India Way』を手がかりに」『現代インド・フォーラム』第47号(2020年10月)。

6 "Multipolar World Should Include Multipolar Asia: Jaishankar," The Hindu, September 19, 2020.

7 インド外務省Webサイトで2001年以降の文書を検索した結果、「多極アジア(multipolar Asia)」という表現が用いられるのは、2009年2月にシャム・サラン(Shyam Saran)首相特使の行った講演の1件のみであった。

8 「多極アジア」を論じた例として、以下を参照されたい。Dhruva Jaishankar, "Actualising East: India in a Multipolar Asia," ISAS Insights, Institute of South Asian Studies, National University of Singapore, No. 412 (2017); Jagannath Panda, "India's 'Multipolar Asia' and China," East Asia Forum, Vol. 11, No. 2 (August 2019).

9 認識の一例として、事件の影響に関するジャイシャンカル外相の発言を参照されたい。Kevin Krolicki, "India Says Trust with China 'Profoundly Disturbed', U.S. Ties on Upswing," Reuters, January 12, 2021.

10 2018年6月のアジア安全保障会議(シャングリラ対話)でナレンドラ・モディ首相は、「自由で開かれ、非排他的なインド太平洋」を提唱し、中国との協力にも門戸を開くべきという方針を示唆した。この演説が従来のモディ政権の対中政策を示していた。