コラム/研究レポート

〔研究レポート〕朝鮮労働党第8回党大会の注目点

2021-03-29
伊豆見元(東京国際大学特命教授)
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「朝鮮半島」研究会 第8号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。なお、各研究会は、「研究レポート」とは別途、研究テーマ全般についてとりまとめた「研究報告書」を公表する予定です。

党大会の「定期化」と経済改革

北朝鮮は、2021年1月5日から12日にかけて朝鮮労働党第8回党大会を開催した。この8党大会についてまず特筆すべきは、2016年の7党大会から5年目にこの党大会が開催されたことであろう。通常、社会主義国では党大会は5年毎に開かれる。しかし北朝鮮では、それが適わなかった。1980年の6党大会から7党大会に至るまでには、36年もの年月を費やしている。その最大の理由は、6党大会で提起した「高麗民主聯邦共和国制統一方案」に、韓国が何ら肯定的反応を示さなかったことに求められる。祖国統一問題で可視的な進展を生み出し得なければ、過去の実績の総括をおこなうことは出来ず、従って党大会の開催を見合わせるしか道はなかったからである。

だが2016年に、北朝鮮は「高麗民主聯邦共和国制統一方案」を放擲することによって、7党大会の開催に漕着けた。そして、2019年12月の党中央委員会全員会議(総会)で報告をおこなった金正恩は、「祖国統一」に一言も触れず、実質的に統一を放棄していることを強く窺わせたのである。この時点で、7党大会から5年後の2021年に8党大会を開催することは、既定の方針になっていたと言ってよい。こうして北朝鮮は、5年ごとに党大会を開催し、それに沿って目標や課題を設定して政策を遂行するという、新たなタイム・フレイムを手にすることになったのである。

それは実現不能な誇大目標の設定を排し、堅実なアプローチを導くことに繫がる。8党大会で北朝鮮は、この間の経済政策の失敗を素直に認め、その改善を誓った。経済不振の要因を外部環境の変化に求めて責任を転嫁することはせず、自らの政策に問題があったと認めたのは、きわめて異例なことであった。そうしたなかで打ち出された国家経済発展5カ年計画は、高度経済成長を目指すといった大言壮語を避け、5年前からの穏当な目標である「持続可能な経済発展の土台を築く」ことに向けられたのである。

また今後5年間、つまり次期党大会までのあいだは、「自力更生」「自給自足」を旨とする経済戦略を堅持することも強調された。国連の経済制裁によって韓国からの経済支援や直接投資がしばらく見込めない現状では、それが唯一の現実的対応ということになる。「自力更生」と「自給自足」を直接繋げて並べ、あたかも8文字から成る一つの単語のように扱い始めたのは、8党大会からである。その含意は、ともかく国内の資金・資材だけを使って経済政策を進めるというものだろう。

その具体的方途は、おそらく二つしかない。一つは、縦割りの構造にメスを入れ、産業間、事業間の垣根を取り払って、資金や資材が必要とされるところに行き渡るようにすることであり、いま一つは、軍事部門に偏重してきた資金の一部を経済部門にも廻してバランスよく配分するというものである。今回の8党大会において党中央委員会経済部長に、第二経済委員長の呉秀容を据えたことは、軍の内部資金を効率よく経済部門に廻すためであったと見ることができる。軍経済を担当している呉秀容こそが,軍事力の低下を招くこともなく、かつ軍部の不満も最小限に抑えるかたちで、軍事予算の一部を経済政策に振り向けることが可能だと考えられるからである。ともあれ、北朝鮮は、彼らなりの経済改革に踏み出したと言えよう。

7党大会から8党大会に至る経緯

経済改革も然る事ながら、8党大会の注目すべき特徴は,「個人独裁」の道を完全に封じ、「一党独裁」(集団指導体制)の制度化を進めたところに求められると私は考えている。それは7党大会以来の5年間の動きを振り返ってみるとき、より明確なものとなろう。

2016年5月の7党大会をもって、金正恩の「権威」を創出する作業はピークを迎えた。新設された朝鮮労働党委員長のポストに推戴された金正恩は、「わが党と人民の最高領導者」(金永南「推戴辞」)と称されるようになったからである。この時点で、金正恩の権威をさらに高める必要はなくなったと言ってよい。にもかかわらず、その後2017年から2019年にかけて、まったく予期せぬかたちで金正恩の権威は高まり続けることになった。

2017年には、トランプが米国大統領としては初めて個人的に北朝鮮のICBMに関心を示したことを奇貨とし、北朝鮮はICBMの開発に初めてペースをあげて本格的に取り組むようになった。その結果、ICBMの発射実験を一年のあいだに三回成功させ、米国本土を直撃し得る「射程距離」を事実上獲得したのである。

ただし、その時点で発射実験に終止符をうったため、大気圏内への「再突入」技術がまだ確立しておらず、北朝鮮のICBMは完成したわけではない。だがそのICBMの完成を放棄した状態を、「国家核武力完成の歴史的大業」をなしたと宣言し、米国にたいする完璧な抑止力を手にしたと豪語することで、国内的に金正恩の権威は一段と高まることになった。

さらに、2018年には文在寅大統領と三度、南北首脳会談を開催し、また2018年から19年にかけて、トランプ大統領とも二度の首脳会談と一度の面談を実現させた。その他、中国の習近平とも三度、ロシアのプーチンとも一度首脳会談を持ち、金正恩は,国家指導者として十分過ぎるほどの国際的認知を獲得することになった。それに伴い、彼の権威はさらに高まったのである。

しかし、それだけの権威を身につけたにもかかわらず、金正恩は、金日成や金正日のように「偉大な首領」「偉大な領導者」「偉大な元帥」と讃えられるようにはならなかった。金日成、金正日とは「同格」に扱われなかったのである。ここで、金正恩が「個人独裁」の道を進むことには明確なブレーキがかかったと言ってよい。

2020年4月11日の政治局会議以降、金正恩は政治局に関連する会議を「指導」することがなくなった。党中央軍事委員会や党中央委員会全員会議(総会)では、依然として金正恩は会議を「指導」する役割を担い続けた。しかし政治局会議や政治局拡大会議では、たんに会議に「参加」し「司会」をするか、ときには「司会」もせず発言も報道されない、という状況に置かれるようになったのである。つまり、党中央委員会政治局のなかで「特出した存在」あるいは「最高領導者」としての扱いを受けなくなったと言ってよい。

7党大会以降の5年間で、金正恩の「権威」は絶頂に達したと見ることが出来るが、その一方で、「権威」と伴に「権力」が肥大化することのないよう、金正恩には厳重なタガがはめられたと見るべきであろう。そうしたなかで、2021年1月に朝鮮労働党第8回党大会が開催された。

8党大会と「一党独裁」の制度化

8党大会で金正恩は、「党委員長」から「党総秘書(総書記)」に肩書が変化することになった。党委員長は「党を代表して全党を領導する党の最高領導者」(7党大会決定書)だが、党総書記は「全党を代表して領導する党の首班」(8党大会決定書)でしかない。

7党大会では「わが党と人民の最高領導者」として、「党」のみならず「人民の最高領導者」であることが強調されていたが,8党大会では、たんに「党の首班」となり、人民にたいしては「真の人民の忠僕にふさわしく以民献身の道に決死奮闘する」(金正恩「結語」)存在へと変化することになった。

7党大会での「党委員長」と比べると、8党大会の「党総書記」は「軽い存在」でしかない。それは、「推戴辞」を読み上げた人物が、7党大会の金永南から8党大会では李日煥に変化したことが明確に示している。当時の金永南は序列第二位の党政治局常務委員で最高人民会議常任委員会委員長だったが、李日煥は労働党の平の政治局委員であり、一介の党書記に過ぎない。あえて李日煥に「推戴辞」を読み上げさせたところに、金正恩の実権に強力なタガをはめようとする側近幹部たちの思惑が如実にあらわれていたと言えるだろう。

2021年1月28日から、それまで『労働新聞』等で金正恩の「お言葉」を紹介するさいに使用されてきた呼称の「敬愛する最高領導者金正恩同志」が、「敬愛する金正恩同志」という呼称に変化した。金正恩を「最高領導者」と呼ぶことを意図的に避けていることが、こうしてさらに明確になったのである。

8党大会では、党中央委員会政治局常務委員会のすでに拡大されていた権限が、党規約改正によって制度化された。常務委員会は「重要な問題を討議決定できる」ことが、党規約改正で成文化されたのである。もとより、すでにそうした常務委員会の強化された権限は、2017年9月3日に開催された常務委員会会議で明らかになっていた。この日、北朝鮮は六度目の核実験を敢行したが、まず政治局常務委員会が開催されて「核実験をおこなうことについて」の決定書が採択され、次いでそれに基づき金正恩が命令書に署名したことで実験は履行されることになった。

この決定プロセスが明らかにしたように、政治局常務委員会では金正恩は他の委員と同等であり特出した存在ではない。金正恩は、個人で、課題を設定し、政策を立案し、政策を決定し、政策を実行することはできない。それは党が、とくに重要な議題については政治局常務委員会が、集団的に討議し決定する。また今回の8党大会で行われた党規約改正では、金正恩以外の政治局常務委員も会議の「司会」をすることが可能になった。今後は政治局等の会議で金正恩が司会を勤める機会は、激減することになろう。おそらく、8党大会で政治局常務委員に大抜擢された趙甬元が司会を務めるようになることが予想される。金正恩の存在は、益々軽いものになってゆくと思われる。

「権力」と「権威」の分離

8党大会で、金正恩の「独裁者への道」は完全に封じられたと考えられる。5年後の9党大会では、金正恩は「権力」の座から離れ、「権威」だけの存在になるのではないか。そこで党総書記は、従来の「推戴」ではなく、選挙によって選出され、任期も定められる存在に変化することになろう。金正恩は、党総書記を辞任して党から離れ、朝鮮民主主義人民共和国国務委員長として、「権威の象徴」となることが考えられる。国務委員長は、世襲によって「白頭の血統」を保つための、実権を持たぬ権威だけの存在となるのではないか。

2020年11月16日から、金正恩は、「国務委員会委員長」ではなく、「国務委員長」と呼ばれるようになった。そして2021年2月からは、その英語名称が、従来の「Chairman of the State Affairs Commission」から、「President of the State Affairs」に変更された。英語名称からは、国務委員会が消えたのである。おそらく、それほど遠くない時期に、国務委員会は姿を消すものと思われる。そうなれば、組織(国務委員会)を持たない「国務委員長」は、たんに象徴的な存在として位置づけられることになるだろう。

かつて金日成は国家主席として中央人民委員会を内外政策の実行機関として領導し、金正日は国防委員長として国防委員会を同じく領導してきた。金正恩も現在はいいが、将来、国務委員会が消滅することになると、国家の次元で内外政策を実行する機関を失うことになる。その際は、国家における金正恩の地位はきわめて象徴的なものとなろう。

来年(2022年)から「新年辞」はなくなり、その代わりに政治局常務委員会が何らかの文書を発表するか、以前のように「共同社説」という形をとって「前年の総括と本年の展望」をおこなうことになるのではないか。金正恩の誕生日は祝日にならず、したがって、金正恩は金日成、金正日と同格にはならないことが再確認されることになると思われる。2019年から金正恩は「朝鮮人民軍最高司令官」ではなく、「朝鮮民主主義人民共和国武力最高司令官」と呼ばれるようになった。軍を直接指揮するポストから離れ、「共和国武力最高司令官」という権限と役割が曖昧模糊とした職務に就いたのである。金正恩の存在は、こうして益々象徴的なものになりつつあると言ってよいだろう。

(3月25日記)