コラム/研究レポート

〔研究レポート〕英国のEU離脱と連合王国の一体性―北アイルランド議定書問題

2021-03-30
高安健将(成蹊大学法学部教授)
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「欧州」研究会 第11号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。なお、各研究会は、「研究レポート」とは別途、研究テーマ全般についてとりまとめた「研究報告書」を公表する予定です。

緊張が高まる英国とEU

英国と欧州連合(EU)の間の緊張が再び高まっている。

2020年末、英国はEU離脱のための移行期間を終了させ、EUから完全に離脱した。年末ぎりぎりには両者の間に自由貿易協定も締結された(ただし、後述するように、EU議会はこれをまだ正式には承認していない)。交渉次第では、決裂の可能性もあったなかで、英EU間で貿易協定に合意できたことは大きな成果である。それではなぜ両者の間に緊張が再び高まっているのか。

英国とEUの間で2019年に合意された離脱協定と2020年末に合意された自由貿易協定は、両者の長期的な関係を安定的に定めたわけではなかった。通商関係は自由貿易協定締結後も変更の余地があり、漁業については2026年以降毎年英EU間で交渉が行われることとなった。金融サービスについてはそもそも自由貿易協定に含まれていない。

さらに深刻なのは英国という国の一体性に対する懸念である。というのも、英国はEUの関税同盟と単一市場から離脱した一方で、EU加盟国であるアイルランドと地続きの北アイルランドはEUの関税同盟と単一市場に部分的に残留することになったからである。英国によるEUからの離脱(ブレグジット)によって作り出された北アイルランドの難しい立場が英国とEUの間に緊張を生み出している。 

政治指導者たちは、自らが選択した合意の帰結として、北アイルランド和平、英国という「国のかたち」、そして人々の経済活動に直結する問題について難しい舵取りを迫られている。

英国の中の北アイルランド

英国は20世紀初頭まで「大ブリテン及びアイルランド連合王国」と呼ばれていたが、アイルランドはイースター蜂起(1916年)やアイルランド独立戦争(1919年-1921年)を経て1922年に英帝国自治領としてアイルランド自由国となった。しかし、カトリックが多数派であるアイルランド自由国に対し、英国で主流のプロテスタント系が多数を占めるアイルランド島の北部6州は英国に残ることとなり、プロテスタント主導の北アイルランドを形成した。

北アイルランドにもアイルランドとの統合を求める少数派のカトリック系(いわゆるナショナリスト)は存在したが、北アイルランドの庶民院(下院)は議員の選出に多数代表制である小選挙区制を採用し、多数派であるプロテスタント(いわゆるユニオニスト)の支配を制度的に永続させた。多数決では常に押し切られるため、少数派であるナショナリストにとって選挙を通じた政治闘争は行き止まりであった。ユニオニストによる多数派支配の抑圧はナショナリストのなかで強い反発を招き、武力やテロを伴う衝突に発展した。1960年代末になると対立は顕在化し、紛争は30年にわたって続くこととなった。'Troubles'と英国で呼ばれる北アイルランド紛争である。

北アイルランド紛争の間、英国は、北アイルランドの(特にナショナリストの)武装勢力に対する支援となるような人や物資の流れを止めるべく、北アイルランドとアイルランドの間に検問所を設けて監視を強めた。しかし、検問所の運営といった治安機関の活動は地域の緊張と反発を一層強める結果となった。ナショナリストからすれば、それはアイルランドという島の分断と、そこに存在する抑圧の一つの象徴であった。

こうしたなかで、1998年のベルファスト合意はまさに歴史的であった。不完全であり不安定さを残す部分もあったとはいえ、主要な当事者は時間をかけて武装解除をし、政治の舞台での協議が可能となった。権力はユニオニストとナショナリストとの間で共有される仕組みが出来上がった。両陣営の合意があって、北アイルランドの政治は運営されることになった。北アイルランド政治が安定したとは依然として言えない一方で、この合意は確かに北アイルランドに和平をもたらした。

ベルファスト合意は、北アイルランドとアイルランドの間に置かれていた検問所を廃止し、自由な往来を可能にした。しかし、元来、検問所は英国とアイルランドの国境に置かれたものである。それをどのようにして廃止できたのか。この国境の開放を可能にしたのが、EUの関税同盟と単一市場である。北アイルランドとアイルランドの間での人、モノ、資本、サービスの自由な移動は、英国とアイルランドがともに加盟していたEUの賜物であった。

英国とEUの境界線

英国がEUから離脱すると、何も手立てを講じなければ、英国側の北アイルランドとEU側のアイルランドの間には人やモノの往来を管理する検問所をふたたび設ける必要が生じる。ただ、それは単なる検問所ではなかった。北アイルランドの政治的不安定性は決して遠い歴史の話ではない。検問所の復活は北アイルランドにおける緊張を高める恐れがあった。検問所といった明示的な国境の復活は和平合意を危険にさらす行為であり、アイルランドを構成国とするEUはこれを強く拒否した。

アイルランド問題の影の主役である米国も、検問所の復活には懸念を表明してきた。米国のナンシー・ペロシ下院議長は、英国政府が検問所の復活を伴うようなかたちでベルファスト合意を否定すれば、米英間の自由貿易協定が米国の下院で承認を得られる可能性はないとする明確な声明さえ発表していた1。米国との自由貿易協定の締結は、ジョンソン政権にとってはブレグジット後の通商戦略のなかで最重要と言っても過言ではなかったが、これに対する拒否権行使をちらつかされた格好であった。

それでは、英国がEUを離脱したとしても、どのようにして検問所といった目にみえる国境管理の復活を回避できるのか。EU側は2018年、北アイルランドをEUの関税同盟内に残留させることを提案した。これに対し、当時のテリーザ・メイ首相は「いかなる英国の首相も決して同意しない」としてこの提案を拒否した2。当時の保守党政権は、少数政権でユニオニストの代表格である民主統一党から議会内での支持を必要としており、英国を経済的政治的に分断する提案を受け入れることはできなかった。その後、メイ首相がEUと合意した離脱協定案は、かりに英国とEUが貿易協定に合意できない場合、英国全体がEUの関税同盟に留まり、さらに北アイルランドは単一市場のルールにも従うという内容を含んでいた。いわゆる「バックストップ」である。これにより、北アイルランドとアイルランドの間の国境は開放しておくことが可能となるはずであった。残念ながら、メイ首相は肝心の保守党内で理解を得られず、議会の採決で三度、歴史的大敗を喫している。

これに対し、後継のボリス・ジョンソン首相は、2019年の離脱協定において、英国はEUの関税同盟からも単一市場からも離脱する一方で、北アイルランドだけはこれらに部分的に留まることにより、アイルランドとの間の国境を開放しておくことでEUと合意した。ブレグジットに賛成してジョンソン首相を支持したユニオニストたちからすれば、青天の霹靂だったであろう。

これが離脱協定とともに結ばれた北アイルランド議定書である。この合意の結果、通関手続きは、北アイルランドとアイルランドの間ではなく、ブリテン島(イングランド、ウェールズ、スコットランド)と北アイルランドの間で行われることとなった。ジョンソン首相は、2020年8月になってもなお「[ブリテン島と北アイルランドの間の--高安追加]アイルランド海に境界線が存在することにはならないだろう、[あるとすれば--同]私の死体の上に、だ」と主張し、北アイルランドの企業に対しイングランド、スコットランド、ウェールズの市場への自由なアクセスを約束していた3。だが、ブリテン島から北アイルランドへの物流にはEU側の求める通関手続きが実質的には必要となる。これは英国という一つの国のなかに境界線を作り出すことに他ならなかった。

通関手続きと英国内の分断

実際、移行期間終了後、ブリテン島から北アイルランドへの物流には、この新しい境界線のために重大な障害が生じている。手続きの不透明性と煩雑さ、コストの増大から、大手スーパーマーケットでは北アイルランドに供給する製品の種類を制限する事態になり、物品の輸送自体を断念する業者もあった。郵便小包の配送にも問題が生じた。人々の生活にも混乱がみられるようになった。

そして、混乱は離脱時の一時的なもの以上に深刻となっている。大手はもちろん、中小零細企業にとって時間とコストを要する煩雑な手続きは死活問題である。分断の象徴は、今度は英国内のものとして、北アイルランドの港で行われる通関手続きに向けられることになった。

北アイルランドがアイルランドと物理的な境界線をもたず、むしろブリテン島との間で境界線をもつということは、アイルランドとの統合を目指すナショナリストには許容できたとしても、英国との一体性を重視するユニオニストからすれば、許し難い分断線となる。港湾施設で通関手続きなどを行うスタッフに対しては、ユニオニスト過激派からの脅迫や危害の恐れといった不穏な動きが起き、通関手続きが一時停止される事態となった。北アイルランド議定書に関わる問題は、北アイルランドにおけるセクト間対立を再燃させかねない状況にある。

ブレグジットと新型感染症

英国のEU離脱は、不幸なことに今般の新型感染症の感染拡大と時期的に重なることになった。2020年末、英国内で「英国型」と一般に称される変異株の流行が知られるようになると、EU諸国のなかには英国からの人の入国を拒否・制限する国々が出始めた。中でも混乱が大きかったのがドーバー港周辺である。対岸のフランスが、一時英国からの入国を禁止し、その後、英国からフランスに入国する人々に新型感染症の陰性証明書を要求したことで、ドーバー港周辺の幹線道路は、クリスマスを前に大陸に戻れないトラックで溢れかえった。

他方、英国は、ワクチンの開発支援、承認、入手、大規模接種のいずれでもEUに先んじる動きをみせた。なかには、これをEU離脱の効用の一つと主張する人々もいた。EUはEUとしてワクチン事業を展開することにしていたため、その責任を担う欧州委員会は事業の遅れに殊の外苛立ちを強め、また批判にも晒されていた4

1月末になると、EUは域内からのワクチン輸出を監視する規制を導入した。問題となったのは、EUがこの規制をアイルランドと北アイルランドの間にも適用すると発表したことであった。国境管理措置の復活を可能にする北アイルランド議定書16条を発動するというのである。同16条によれば、北アイルランド議定書の適用が「深刻な経済的社会的あるいは環境的問題」につながる場合には当事者であるEUないし英国が単独でセーフガード措置(つまり例外措置)を発動できると定められていた。

この発表に対しては強い反発があり、EUは直ちにこれを撤回した。しかし、EUの動きは英国、特に北アイルランドのユニオニストを刺激することになった。EUが安易に北アイルランド議定書16条に基づくセーフガード措置を発動しようとしたことで、この議定書の「不可侵性」に傷がついたことは否定できなかった。

英国では、EU離脱の移行期間が終了した直後の2021年1月初旬にはすでに北アイルランド議定書16条に基づく英国政府による一方的なセーフガード措置の発動を訴える主張も聞かれた5。特にユニオニストの側では北アイルランド議定書に対する不満が強かったが、16条の発動は現実的ではなかった。ところが、EU側が16条の発動に言及したことで、北アイルランド議定書に対する反発は一気に顕在化した。北アイルランド自治政府首相で民主統一党党首のアーリーン・フォスターも、北アイルランド議定書の破棄を主張するようになった6。ユニオニストの過激派組織のなかには、象徴的行為とはいえ、北アイルランド議定書に抗議してベルファスト合意への支持を撤回する声明を英国とアイルランドの両政府に通告してくるところも出てきた7

これに対し、アイルランド政府もEUも北アイルランド議定書の破棄を強く否定した。ただ、アイルランド外相は、通関手続きの柔軟化に理解を示す発言もするようになっていた8。英国側としては、この機会に通関手続きの柔軟化を求めるのではないかと思われた。その意味で、北アイルランド議定書を破棄するのではなく、運用面での改善を目指すという方向性もみえていた。

北アイルランド議定書適用の猶予期間

EUは一部の食品について厳格な規制を設けており、関連製品がEU域内に入る際にこの基準を満たしているかを確認しなければならない。郵便小包も税関申告を必要とする。ただ、自由貿易協定に関する英EU間の合意がぎりぎりだったため、英国政府は、2021年1月から3月までの3ヶ月間、食品や郵便小包などについては厳格な手続きを業者に免除することで、2020年末にEUと急遽合意していた。スーパーマーケットなどの小売業やそのサプライヤーにとっては重要な猶予期間である。この猶予期間が3月末をもって期限を迎え、4月からは厳格な通関手続きが必要となるはずであった。英国政府はこの期限の延長をEU側に求めていた。

混乱が続く状況のなかでは、猶予期間の延長もEU側の合意が得られる可能性は十分にあった。ところが、英国政府は突然、北アイルランドへの農産物や食品に対する一部検査について一方的に猶予期間を2021年9月末まで半年間延長すると発表したのである。英国政府はEUに対し事前連絡もしなかった。英国政府の担当相は、EUに対し「一時的で技術的なステップ」と表現して事後に理解を求めた。しかし、EU側はこれに強く反発し、法的措置をとると明言している。EU議会も未だ承認していない自由貿易協定の採決を延期した。

ジョンソン政権は、ブレグジットの完遂を旗印に成立した政権であり、反EU感情の強い閣僚も多い。EUを批判すれば、国内の支持派を盛り上げ、政治的ポイントを稼ぐ効果があり、EUの反発は政権にはあまり響かない。

北アイルランド議定書の重要なポイントは、本来、EU(あるいはその加盟国)が行うべき通関手続きなどを英国(あるいは北アイルランド自治政府)が代替して行なっていることである。EUは重要な国境の管理を「第三国」に委ねている。EUからすれば、英国に対する信頼を前提としての離脱協定であり自由貿易協定である。英国政府による猶予期間の一方的延長は、これを逆手にとった一手と言える。英国政府がEUとの信頼の構築・維持を重視しているようにはみえず、EUは難しい対応を迫られている。

北アイルランドのピンチとチャンス

北アイルランドは英国の一部であって同時にEUのなかに(少なくとも部分的には)いる。そのため、EUの規制や税制に従う必要がある一方で、これに対する発言権をもたない。あるとすれば、北アイルランド議会が原則4年ごとに北アイルランド議定書への賛否を議決できることである。英国政府の重要閣僚のなかには、ユニオニスト諸政党に対し北アイルランド議定書に反対する選挙協力を呼びかける者もいる9。しかし、北アイルランド議定書を否定すれば、英国の一体性は回復できても、新たなアイディアがない限り、北アイルランドとアイルランドの間の国境管理問題が復活することになる。

また、2021年に就任した米国のジョー・バイデン大統領は、アイルランド系であり、米国史上二人目となるカトリックの大統領である。同大統領は当選してまもなく、ジョンソン首相との初めての電話会談で、ベルファスト合意への支持を明言し、ブレグジットが北アイルランド和平に悪影響を与えないように釘を刺している10

このように、北アイルランド議定書を廃止することが難しく、しかしこれが人々の暮らしと経済活動に不都合をもたらしているとすれば、英国とEUはこの仕組みをどうにかして機能させる必要がある。今後、両者の設定する規制や税制などのルールがさらに乖離する可能性も十分にあり、その場合、調整はますます求められることになる。両者の間の信頼と協力は不可欠となる。

離脱協定と自由貿易協定を受けて、北アイルランドは難しい立場に立たされ、ピンチの渦中にある。政治的判断がこれを助長している面も否定できない。反面、英国に属しEUのなかにもいるということはチャンスでもある。例えば、北アイルランドの人々は、ブレグジット以前と同様に、英国とアイルランド両国の市民権を保有できる。つまり、北アイルランドの人々は移動の自由を含むEU市民としての権利を享受できる。また、英国は、EU離脱に伴い学生の海外留学支援制度であるEUのエラスムス・プログラムからも離脱するが、北アイルランドの学生は引き続きこの制度を利用できる。とはいえ、北アイルランドにおけるセクト間対立が悪化し、政治や暮らしが不安定化すれば、こうしたチャンスを活用するどころではなくなり、ピンチが続くことになる。

ピンチがチャンスとなるかは、英国とEUの政治指導者たちが相手を出し抜くことで得られる短期的な利益ではなく、安定した協力関係に基づく長期的な利益を見据えて初めてみえてくるもののように思われる。




1 Financial Times, 10 September 2020, 'Pelosi says "no chance of US-UK trade deal if Irish peace undermined"', https://www.ft.com/content/fb2e4e0b-de51-49b8-af25-967d4f99e3b6.
2 BBC News, 28 February 2018, 'Theresa May rejects EU's draft option for Northern Ireland', https://www.bbc.com/news/uk-politics-43224785.
3 Belfast Telegraph, 13 August 2020, 'Irish Sea trade border "over my dead body"', https://www.belfasttelegraph.co.uk/news/brexit/irish-sea-trade-border-over-my-dead-body-says-johnson-39447768.html.
4 EUが契約した以外のワクチンについては加盟国が独自に調達することは可能である。
5 John Curtis (2021), 'Northern Ireland Protocol: Article 16 and EU vaccine export controls', House of Commons Library, 02 February 2021. https://commonslibrary.parliament.uk/northern-ireland-protocol-article-16-and-eu-vaccine-export-controls/.

6 The Guardian, 18 February 2021, Irish Sea border protest posters reflect loyalist anxiety in Northern Ireland, https://www.theguardian.com/uk-news/2021/feb/18/irish-sea-border-protest-posters-reflect-loyalist-anxiety-in-northern-ireland.

7 The Guardian, 4 March 2021, 'Brexit: loyalist paramilitary groups renounce Good Friday agreement', https://www.theguardian.com/uk-news/2021/mar/04/brexit-northern-ireland-loyalist-armies-renounce-good-friday-agreement.

8 The Guardian, 4 February 2021, 'Dublin and EU reject call to scrap Northern Ireland Brexit protocol', https://www.theguardian.com/politics/2021/feb/04/dublin-and-eu-reject-call-scrap-northern-ireland-brexit-protocol-dup.

9 The Irish Times, 'DUP declares "guerrilla warfare" on Northern Ireland protocol', 28 February 2021, https://www.irishtimes.com/news/ireland/irish-news/dup-declares-guerrilla-warfare-on-northern-ireland-protocol-1.4497441.

10 Financial Times, 11November 2020, 'Joe Biden warns Boris Johnson not to let Brexit upend Northern Ireland peace process', https://www.ft.com/content/8c533029-5e5e-418b-9d1a-03ef38a4de07.