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ムスリム同胞団(エジプト)


ムスリム同胞団(以下、同胞団と略す)は、イスラーム復興を目指す大衆運動組織であり、しばしば現代における最も代表的なイスラーム復興運動とされる。1928年にエジプトで結成されて以来、アラブ諸国に大きく広がっている。現在、同胞団系組織の存在が確認される国は15ヶ国を超え、その半数以上で、それぞれの国のイスラーム復興運動の中で最大規模の組織となっている。

1928年、同胞団は、エジプトのスエズ運河地帯のイスマーイーリーヤ市において、「イスラームのために奉仕するムスリムの同胞たち」として、ハサン・バンナー(1906-49)によって結成された。設立直後の同胞団は運河地帯を中心に活動を行っていたが、1932年に本部がカイロに移転した後は、エジプト国内に次々と支部を設立し、全国規模の組織展開を行ってゆく。大衆社会の成立期に当たる当時のエジプトにおいて、大衆に立脚したイスラーム復興を推進する同胞団は急速に組織を拡大させた。1940年代末には、人口2,000万人のエジプトで、2,000の支部、50万人のメンバーと同数の支持者を擁する同国最大の政治・社会結社となった。当時の同胞団の活動は多種多様で、具体的な活動の一部を挙げてみると、教育活動、学生運動、政治活動、企業経営、労働問題対策、女性の組織化、医療活動、ボーイスカウト活動、スポーツクラブなどその範囲は幅広く、社会における包括的なイスラーム復興を目指す同胞団の姿勢が現われている。

一方、1940年代末のエジプト社会は革命状況へと進んでおり、同胞団においても政治活動が優越するようになった。次第に政府との緊張関係が強まり、1949年に最高指導者バンナーが秘密警察によって暗殺された。1952年のエジプト革命では、同胞団が「下から」革命を用意し、自由将校団が「上から」奪取したとされる。同胞団は革命初期の権力闘争において、第2代最高指導者ハサン・フダイビー(在任1951-73)ら執行部の指導力欠如などによる内部分裂から、組織として統一された行動をとることができなかった。結局は、ナセル大統領による非合法化と厳しい弾圧を受け、20年にわたって活動が停滞し、1950〜60年代のアラブ社会主義隆盛の中で同胞団は「消滅」したとも考えられた。

ナセルの弾圧は、同胞団メンバーが獄中で急進化する契機となった。急進派の代表的イデオローグであるサイイド・クトゥブ(1906-66)の著作『道標』では、社会はイスラーム的かジャーヒリーヤ的かのいずれかであるとの二者択一論が示されている。ジャーヒリーヤとはイスラーム以前の無明時代を指す語であるが、ここではイスラームに反する社会を指し、クトゥブは同胞団を弾圧するナセル政権にジャーヒリーヤを見出した。クトゥブはその思想的影響を恐れたナセル政権によって1966年に処刑された。彼の処刑後、国家への不信を深め、政治的急進化を徹底させた潮流はクトゥブ主義と呼ばれる。

一時は「消滅」したと考えられた同胞団であったが、1970年代のイスラーム復興興隆の中で「復活」に成功した。イスラーム復興運動の活動を容認するサーダート政権(1970-81)下、多数の同胞団メンバーが釈放された。1973年に第3代最高指導者に就任したウマル・ティリムサーニー(在任1973-86)の下で組織再建が進められ、医療、教育、相互扶助などの社会奉仕活動も再開された。彼はクトゥブ主義を同胞団から排除する努力をしたが、その結果、同胞団の外に、より急進化した小組織がいくつも設立された。サーダート大統領暗殺を実行したジハード団や、日本人10名を含む62名が殺害されたルクソール事件(1997年)を起こしたイスラーム団もこれに含まれる。同胞団はサーダート政権との協調関係を維持していたが、同政権の進める「門戸開放」政策や対イスラエル外交をめぐって次第に関係が悪化し、1978年のキャンプ・デービット合意以降の対イスラエル和平により、関係はさらに悪化した。1981年の反サーダート勢力大量逮捕の際には、同胞団メンバーも多数逮捕されたが、同胞団の合法活動路線は堅持された。1981年のサーダート暗殺後に大統領に就任したムバーラク政権下においても、ティリムサーニーに続くハーミド・アブー・ナスル(在任1986-96)、ムスタファー・マシュフール(同1996-2002)、マアムーン・フダイビー(同2002-04)、ムハンマド・マフディー・アーキフ(同2004-)ら歴代最高指導者の指導のもとで、暴力を伴う急進的なイスラーム復興ではなく、合法的・段階的・穏健的なイスラーム復興が志向されている。

同胞団の合法活動路線が端的に現われているのが、1980年代以降の人民議会と職能組合への選挙参加であろう。1984年に人民議会選(全454議席、その内10議席は大統領の指名)に初めて参加した同胞団は、非合法組織であるので、新ワフド党と連合を組み、8議席を獲得した。1987年には、「イスラーム協約」として社会主義労働党と自由党と連合して36議席を獲得し、実質的な野党第一党となった。先の2000年選挙でも17議席を獲得し、再び実質的な野党第一党となっている。また、職能組合においても、1984年に内科医師職能組合で25議席中7議席を獲得後、各種職能組合において急速に勢力を拡大し、1990年代以降は多くの組合で主要な勢力となっている。

現在のエジプトにおいても、同胞団は政治活動や社会奉仕活動を精力的に展開しており、社会における草の根レベルの広い支持を獲得している。たとえば、現最高指導者アーキフの就任直後に発表された「改革イニシアティヴ」は、シャリーア(イスラーム法)施行やイスラームの教えに基づくエジプトの包括的改革を訴えるもので、エジプト国内で大きな反響をもって受け止められた。しかし、その一方で、現在に至るまで同胞団は半世紀におよぶ非合法状態を清算されていない。サーダート政権下で事実上の復活を遂げたものの、政府側は同胞団が新たな政治勢力として勃興することを恐れて、現在に至るまで合法化の手続きだけはとろうとしないためである。非合法状態からの脱却をめぐっては、同胞団の合法政党化の試みや、それに伴う世代間の意見の相違なども見られ、同胞団内における重要な争点のひとつとなっている。

この2005年には5年ぶりとなる人民議会選挙が予定されており、同胞団の獲得議席数がエジプト政治を左右する可能性もあるとして、大いに注目されている。また、エジプト各地の大学で昨今行われている民主化要求デモにおいては、同胞団系の学生組織や教職員が主要な参加勢力のひとつとなっている。法律家職能組合の選挙でも、エジプト各地で多数の同胞団系候補者が当選していると連日報じられている。非合法組織でありながら事実上最大の野党勢力となっている同胞団の今後の動向は、エジプトの行方に大きな影響を与えるものとして非常に興味深い。
(2005年4月21日記)
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