質疑応答

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■牧志泰三氏(第一港運代表取締役社長)
 私ども沖縄と中国は距離的には近いのですが、気分的に非常に遠く感じます。 イデオロギーでガチガチになっている国だと考えていましたが、最近の中国の発展ぶりとか、香港の問題など一国二制度などを出したりするのを見ていますと、なかなか多様性に富んでいる国だと感じております。 そこで先生に4〜5年後の中国がどのように変わっているのか質問したいと思います。 話(の範囲)が広くなりますので、政治的でも経済的にも我々が考えている大国になり得るのか、よろしくお願いします。

□講師 小和田 恆氏
 大変重要な質問ですが、私が4〜5年後に中国がどういう国になっているかということについて、的確な予言ができるかどうか必ずしも自信がありません。 そういう前提で申し上げます。
 私は中国が大国であるということについては私は、物理的な意味ではもう既に大国であると考えますし、今ごとも大国であり続けるということは明らかだと思います。 問題は大国という定義いかんということです。 物理的に大国であるこの国が、私が先ほど申し上げたような意味での国際社会に貢献しえる重要な国という意味での大国になり得るのかどうかということだと思うのです。 これはこれからの中国の動き方いかん、発展の仕方いかんにかかっていると思います。 今までの中国を見ておりますと、少なくとも鄭小平以降の中国が、経済の面では改革、国の政策としては開放という改革開放路線を追求してきたことは朗かですし、大変素晴らしいことであると思います。 先ほど申し上げましたようにヒューストン・サミット以来の日本を含めて、主要国の非常に実ってきていると申し上げられると思います。 そういう意味では私は将来に対して悲観的になることはないと思っております。
 ただ問題は中国の場合、経済上の改革や政治的な開放の路線が、将来において現在の政治体制とどういうふうにかかわった形で動いていくかが非常に大きな問題だと思います。 楽観的に考えれば経済改革が進み、社会開発が進んでいく中で国民の生活水準が上がり、中産階級が大きくなっていくでしょう。 このことは国民一人ひとりが自由を求めたり、個の確立を求めたりするのが強くなっていくわけですから、それが政治体制や社会体制に当然影響を与えていくだろうと思われます。 その結果、徐々に中国がより開かれた社会に、より開かれた政治体制に動いていく可能性があると思います。
 他方、そういうことに対して脅威を感じる勢力も現在の中国にはあります。 現在、中国の中で行われているイデオロギー論争は、ひとつはその点にかかっています。 保守派の人たちはそういう傾向を、現在の体制にとって非常に危険な動きだというふうに考えています。 この間でどういうふうに落ち着いていくのか、これはなかなか予測することは難しいです。 事柄の自然な流れということから言えば、当然前者のような良い方向に動いていくというのが自然の成りゆきだと思います。 しかし、それを止めようとする勢力が出てくるのか出てこないのか、あるいは出てきた時にそれがどの程度の強いものになるのかというようなことが、これからの将来の問題として存在していると思います。

■亀川 栄一氏(沖縄大学学長)
 いつも素朴な疑問を持っております。先ほど先生がお話になられた平和の問題ですが、サミットを前にして沖縄では、沖縄から平和を発信しようと言う声が聞こえます。 私がいつも思っていることは、沖縄からいつになったら軍事基地がなくなるのかという素朴な疑問であります。あるいは、これは日本国家が存在する限り永久に沖縄には軍事基地があるのかという疑問もあります。 非常に難しい問題ですが、沖縄から軍事基地がなくなる、つまり沖縄にもう軍事基地は必要がないという国際情勢とは、どういう状態でしょうか? 日頃から疑問に思っていることですのでお伺いしたいと思います。 よろしくお願いします。

□講師 小和田 恆氏
 素朴な質問だとおっしゃいましたが、実はこれは大変難しい問題であります。 私は二つのことを考えなければいけないと思っております。 ひとつは、一般論として基地というものがない国が存続していくような世界がいつになればできるのかということです。 もうひとつは、そういう世界がさし当たり我々の目に見える将来において考えられないとした時に、沖縄に現に存在している軍事基地をどう考えるのかということです。 この二つは別の問題だと思います。 日本の国のどこにも基地がないという状態は理想として考えれば、これは一番望ましい状態です。 しかし、それは第二次大戦の直後に一時唱えられた非武装中立が幻想であったのと同じように、世界全体がそういうふうにならなければ、日本だけがそういう基地なしに済ませるという状況にはなっていないというのが現実だと思います。 他方だからと言って、現在の沖縄の状況が今の通りで良いのかというのは、またこれとは別の問題です。
 その時に私は二つの状況を考えなければいけないと思います。 ひとつは日米安保条約の下において日本の安全を保障するというあり方です。 もう一つはアメリカとの安全保障条約ではなくて、日本自身が自主防衛の形の力を持つあり方です。 そのどちらがいいのかということを考える必要があると思うのです。 前者の道をとれば、アメリカの基地は日本のどこかに理論的には必要になるわけです。 もちろん有事駐留という形で、基地の形はもっているけれどもアメリカ軍は現実にはいないという状況は、想定し得ることですし、そういう事態になる可能性は、私は現実においてそう小さくはないだろうと思います。 国際情勢がもっと穏やかなものになっていけば、そういう可能性はあり得ると思います。 しかし当面日米安保条約の下においては、アメリカの基地が日本のどこかにあるという状況は想定せざるを得ませんが、こういう状況と、そういうものはもうなしにして日本が自主防衛をするという状況を比較して見ると後者の場合、日本から基地はなくならないが、アメリカの基地ではなくなるということはありえますが、いずれにしても2番目の可能性の問題点として、その方が日本の安全にとって本当にプラスになるのかという点を考える必要があるでしょう。 周囲の国々がそれをどう受けとめるかということです。 これを脅威と受けとめれば、日本の安全度はかえって低くなるという問題が生じます。
 もうひとつは、考えた上でいいたいのは、それでは日米安保体制の下において、アメリカ軍の存在が日本の安全を保障する重要な要素であると考えた時に、日本側の対応としてその負担をどう担うかという問題です。 これはひとつの明らかな負担です。 しかしその負担は、そのことによって日本が得る利益、つまり日本の安全保障度が高まるという利益と比較して、利益の方が高いということになれば、コストの部分、米軍の基地を受け入れるという負担を日本全体としてどう公平に分担するのかという問題があると思います。 この2番目の問題は、米軍基地の受け入れという選択が日本の利益であるという場合にも、日本の国全体として、真面目に取り組まなければならない問題だと私は考えております。

■小渡 良勇氏(日本たばこ産業企画部調査役)
 最近のWTOだとかIMFで大暴れと言いますか、予想外のことをしておりますが、NGOというものの評価は、沖縄サミットとどういうような動向になるのか是非知りたいところです。

□講師 小和田 恆氏
 一般的に申し上げて、こんにちの世界においは、主権国家というものが持っている役割、あるいは果たし得る役割が相対的に低下してきているということは、否定できない事実だと思います。 つまり政府だけでやれることと、政府だけではやれなくて市民や国民のコンセンサスとその参加なしではやれないことの両方が出てきており、それをどう組み合わせるのかということが非常に大きな問題になってきています。 そういう中でいわゆるシビル・ソサイエティと言われるもの、つまり市民活動と呼ばれるものの持っている意味合いも非常に大きくなってきていると思います。
 問題は、市民活動がどういうふうに政府の施策に反映され、また国際社会の秩序づくりに役立つかということです。 私は一般的に申し上げて、市民運動や市民の声が政治に反映される度合いは、単に国政の選挙を通じて反映されるということだけにとどまらないのだろうと思います。 例えば最近の地雷廃絶の問題に見られますように、それ自体が国際的な連帯の下で、ひとつの運動になっていくということは避け難いことであるし、また良いことだと思います。 ただ気をつけなければいけないのは、それが国際社会全体、あるいは世界を通じての市民社会全体のコンセンサスとして国際社会全体の公共の利益に立脚しているということが必要であると考えます。 国政であれば、国は自分のとった行動に対して責任をとらなければならないという仕組みが出来上がっています。 責任のとり方はいろいろありますが、例えば内閣が責任をとって辞職することを含めて、自分のやった行動に対して責めを果たすことができます。 市民運動の場合は、行動への責任をどういうふうにしてとるのか、また自分たちの主張が本当に社会全体の主張であるということをどういうふうにして確保するのかということです。 そうしないと、市民社会の代表と単なる利益グループの代表とどこが違うのかという問題が出てきます。 そういった市民運動の正統性と申しますか、社会全体の公共の利益を代表するということを、のようにして確保するのか、またそのとる行動に対してどのような形で責任をとるのかということが確保されることが前提になります。 そういう前提の上で市民運動はこれからの世界、あるいは日本の社会の中で大きな役割を果たし得るし、またもっともっと大きな役割を果たしていかなければならないと思います。
 サミットとの関係において、それがどういうことになるのかということについては、私はサミットが先ほど申し上げたように、主要国の政府首脳が集まっていろいろなことを協議するメカニズムであるという性格と、そのこと自体に市民運動が直接的な影響を及ぼすということはあまり考えられないのではないかという気がいたします。 ただこの機会を利用して多くの問題について、社会全体の声を代表するような形でいろいろな意見が出てくることが考えられ、それがサミットのプロセスにも影響を与えていくことは十分あり得るだろうと思います。

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