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イマーム・アリー廟


混迷が続くイラクにおいて、ムクタダー・サドル師をリーダーとする民兵組織マフディー軍が、2004年4月から南部の都市ナジャフ一帯に進出し、米軍との戦闘、対立を続けた。その後、民兵はナジャフのジャーミア(町中心に位置する最も大きなモスク)を占拠し、これを包囲した米軍が8月に入り攻撃を強化した。サドル師は武装解除や撤退の要求を拒否していたが、シーア派の指導者シスターニー師の仲介を受け、民兵は8月27日に占拠を解いて「イマーム・アリー廟」から撤退したと報じられた。

イマーム・アリー廟は、マフディー軍が立てこもったジャーミアの内部にあり、その廟があることからナジャフのジャーミアはイマーム・アリー・モスクと呼ばれる。イマームは一般に高位のウラマーを指すが、シーア派にとっては「信徒の(宗教的かつ政治的)指導者」を意味する。アリーとは、第四代正統カリフにしてシーア派初代イマームであるアリー・イブン・ターリブ(?‐661)のことであり、その廟の存在からナジャフはシーア派の最大分派である12イマーム派の聖地とされている。

イスラームの預言者ムハンマド(570ca−632)は生誕の前後に父母を亡くし、父方のおじアブー・ターリブに育てられた。アリーはこのアブー・ターリブの息子であり、いとこ同士のムハンマドと兄弟のように育ち、ムハンマドがアッラーの啓示を受けて預言者となったとき、ムハンマドの妻に次いで史上2番目のイスラーム教徒となった。その後も、布教や勢力拡大の最大の功労者のひとりであり、また預言者の長女ファーティマを妻として、その女婿ともなった。このため、預言者の死後、その後継者であるカリフの有力候補でありつづけたが、アリーはカリフに選出されず、アリーの支持者は第三代正統カリフ・ウスマーンを暗殺してしまう(656)。アリーはその支持者達によってカリフに推戴されるが、暗殺されたウスマーンに代わりウマイヤ家の家長となったシリア総督ムアーウィヤは、アリーに「血の復讐」を宣言し、成立間もないイスラーム国家はアリー派とムアーウィヤ派による第一次内乱に見舞われる。戦闘はこう着状態に陥り、アリーはムアーウィア側の和平提案を受け入れようとするが、徹底抗戦を主張する味方の一部により暗殺された(661)。このときのアリー派を「シーア(党派の意)・アリー」と呼び、内乱終結後にムアーウィアがウマイヤ朝を建てると、単に「シーア」と呼ばれるようになった。

彼らはその後も、アリーとその子孫のみがイマーム(指導者)であるとの主張を続け、それは次第に後世のシーア派諸派の教義となっていく。ナジャフにイマーム・アリー廟が設けられた理由や経緯には諸説あり定かではないが、ウマイヤ朝を倒したアッバース朝の第五代カリフ・ハールーン・ラシード(在位786‐809)が現在の廟を建設したとの説が一般には定着している。廟を含めて巨大なモスク(ジャーミア)が建設され、11世紀以降にシーア派のウラマーがナジャフに集まるようになった。ジャーミアの周辺には複数のマドラサ(イスラーム高等教育施設)が設けられ、12イマーム派独特のハウザと呼ばれる宗教的学問に関わる空間が存在する。12イマーム派のウラマーにとって、ナジャフのマドラサで学ぶことには格別の権威付けがなされる。その中心に位置するのが、イマーム・アリー廟であるといえる。しかし、ナジャフが宗教的都市であることは、同時に宗教を越えた様々な学問の中心地としての発展ももたらした。そこは、イラクにおける民族主義や世俗主義に関わる多くの思想や政治運動の発祥地でもある。ナジャフを、「シーア派」という観点からのみ捉えることは決して現実的ではない。今後のイラク全体の政治的な主張や運動に、ナジャフが果たす役割はより広く大きなものとなる可能性も存在する。

(2004年8月30日記)

(主任研究員   松本 弘

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