【 戦後統治の行方 】

 イラクの戦後統治に関して、やがて米国と国際社会の間に大きな議論が生じることになる。そこには、衝突や軋コうような場面もあれば、現在の米英と仏独ロ中との対立を緩和・解消するような場面もあろう。その理由は、以下のような経緯にある。

 戦後のイラク復興については、今年1月にCSISが国連安保理により任命される暫定統治官による統治を、外交評議会が米国政府により任命される文民のイラク調整官による統治と国連により監督されるイラク暫定政府を、それぞれ提言した(別稿「イラク復興(米国内の議論)」参照)。その後の報道によれば、国防総省復興人道支援局が立案した戦後統治計画において、その基本的な体制は紆余曲折を見せる。当初は、米軍による占領で安全が確保され次第、文民の米統治官(州知事もしくは大使経験者)が文民の政府を指揮し、その後におそらくは国連による国際的な統治体制に移行するとされた(ワシントン・ポスト紙2月21日報道)。しかし、この構想はすぐに取り下げられ、フランクス米中央軍司令官がイラク新国家の成立まで占領統治を続けることとなった。その軍政の民生部門はジェイ・ガーナー復興人道支援局長(退役陸軍中将なので、ステータスは文民)が総括する(タイム誌3月10日号報道)。それが3月11日の報道では、フランクス司令官による占領統治に変化はないものの、その副官には文民の統治官が任命され、統治官の下に復興、文民統治、人道支援をそれぞれ担当する3名の調整官が置かれて、ガーナー局長は人道支援担当の調整官となるとされた。外交評議会による文民統治という案は、副官として採用されたものの、CSISと外交評議会の国連による統治や監督という構想は見送られ、統治形態自体は米軍による占領軍政となった。その最大の要因は、治安を維持する米駐留軍のフランクス司令官と暫定統治を行なう文民の統治官の並存は、指揮系統に混乱を生じさせるため、大統領→フランクス司令官→文民統治官というかたちで指揮系統を一本化することにあったと言われている。

 ところが、開戦直後から英仏などが、戦後のイラク復興は国連を中心とする国際協調で行なうべきとする発言を行い、3月21日にブリュッセルで開催されたEU首脳会議でも、国連を中心として危機に対処することが合意された。同日の日米首脳電話会談でも、小泉首相が国際協調による復興を申し入れている。無論、人道支援や復興支援を国際協調で行ない、暫定統治は米軍が行なうという展開は、多分にありうる。しかし、米軍による統治という案は、国際的に承認されているわけではない。米軍による占領統治が、仏独ロ中の政府により反対されたり、国際社会の反発を買ったりする事態が生じる可能性は大きい。そうなれば、米政府が見送った国連の関与する暫定統治という案が、安保理その他の場面で再び議論されることになろう。そして、そのような状況には、現在の米英と仏独ロ中との対立をより深めてしまう危険性と、両者の関係修復の大きな契機となる可能性の双方が存在する。

 おそらく米政府が考慮したように、国際的な統治体制や駐留軍と文民統治の2本立て体制は、複雑で非効率的であり、問題山積の暫定統治にとっては、その実務面で決して望ましいものではない。地域大国であるイラク全域の暫定統治は、効率性にその成否がかかっている。また、「イラク解放」の担い手である米(英)が、その実績や功績を背景に、統治の主体を求めることは間違いない。しかし一方で、現在の対イラク攻撃が過去の安保理決議に基づくものである以上、国際的な承認を受けない米軍による統治には正当性がない。現に上記EU首脳会議では、ブレア首相が安保理決議による戦後統治を提案したが、シラク大統領は米英による統治の容認につながると反対し、国連主導の統治を主張したとされる。そのような議論の中で、米国が実績や効率を優先して、統治形態そのものへの国際的な関与を拒めば、国際社会の亀裂は決定的なものとなる。おそらく、米国はそのような事態を避けて、国際的な関与を受け入れつつ、実質的には米主導の統治体制を確立して、その効率を確保する道を模索していると考えられる。統治体制に関わる問題について、米英と仏独ロ中が歩み寄り妥協できるならば、安保理その他におけるその議論が、関係修復のチャンスと位置付けられる可能性は高いと思う。

 この効率と国際性という問題は、既に米国内において議論されている。たとえば、外交評議会が3月12日に発表した別の提言(独立したタスクフォースが作成した”Iraq: The Day After”, http://www.cfr.org/pdf/Iraq_DayAfter_TF.pdf)は、米国内には戦後統治に諸外国や国際機関が参加し、特に司法改革や軍・警察の再教育の分野においてヨーロッパや国際機関の専門家を優先するという幅広い合意があるとしている。その上で、治安と統治に関する米国の主導を認め、かつ国際的な参加と役割分担を設けるための安保理決議の採択を提言している。

(3月22日、松本 弘)

―開戦後―
3月25日
ライス補佐官はアナン事務総長と会談し、国連に人道支援の協力を要請。
3月26日
仏外相、復興は国連主導で行なうべき、米仏の信頼関係は重要であり、仏にはそのための用意があると発言。
3月27日
米英首脳会談、国連による人道援助と限定的石油輸出の再開で合意したが、戦後復興の主体については継続協議となる。
英首相、国連事務総長と会談。
3月28日
英首相、人道支援のみならず、戦後の文民統治も国連決議に基づくべきと発言。
4月1日
英ガーディアン紙は、ブッシュ政権のイラク暫定政権構想は、ガーナ―国防総省人道支援復興局長を最高ポストとし、23省庁の大臣ポストにすべて米国人を充て、反体制派組織「イラク国民会議(INC)」のチャラビー議長を含むイラク人顧問4名を任命する内容となり、構想策定にあたっては、ウォルフォウィッツ国防副長官が影響力を行使したと報じた。
仏外相、テレビ・インタビューで「仏は同盟国である米英の側に立っている。戦後復興に国連が中心的役割を果たすことに、英仏は一致している。」と発言。
4月2日
英外相は、戦後の暫定政権に外国人が顧問となることはあっても、政権に参加することはないと発言。
4月3日
ブリュッセルでのEU・NATO非公式外相会議は、戦後復興に国連を含む国際社会の関与が必要との見解で一致したが、米国務長官の治安は米英軍が行ない、暫定統治も国連事務総長が任命する委員と協力して米英が行なうとの発言に、仏独が反対。戦後の治安維持活動にNATO軍が入る可能性も議論。
米上下両院本会議は戦費に関わる補正予算を可決、補正予算の支出内容に関する今後の審議のための下院修正案は、仏独露シリアの企業を復興事業から締め出すと規定。
4月4日
仏独露外相会談は、戦後復興で国連が中心的役割を担うことで一致、仏外相は仏独露の企業を復興事業から締め出す米国の方針を批判。
ライス米大統領補佐官は記者会見で、戦後は米英軍が治安を担当し、ガーナー国防総省復興人道支援局長を責任者とする行政チームと内外のイラク人からなるイラク暫定行政機構(IIA)が行政を担当すると発表、「米英が復興で主導的役割を果たすことは当然」と発言。
4月6日
イラク反体制派「イラク国民会議INC」のチャラビー議長および「自由イラク軍」700名は、ナシリーヤに到着。
ウォルフォウィッツ米国防副長官は米テレビ番組で、暫定政権の確立まで半年を要す、国連の関与は必要なし、イラクの民主化が中東地域に波及などと発言。
4月8日
7日よりのベルファストでの米英首脳会談は、戦後復興に国連は重要な役割を果たす、暫定行政機構は米英の支援や国連事務総長の協力を得て、イラク国民によって作られるなどとする共同声明を発表。
4月9日
バグダッド陥落。
米復興人道援助局(ORHA)の行政官20名が、ウンムカスルに最初の拠点を開設。
4月10日
日独、日仏外相会談は、それぞれ戦後復興に国連が中心的役割を果たすことで一致。
4月11日
日英外相会談、復興に関わる安保理決議を最優先することで一致。
日米財務相会談で、米が復興支援への協力を要請、日本は国際的枠組みが必要と主張。
サンクトペテルブルグでの仏独露首脳会談は、戦後復興での国連の中心的な役割を再確認するとともに、米欧和解の必要性も強調。
4月12日
ワシントンでのG7財務相・中銀総裁会議は、戦後復興に向けた国際的枠組みが必要であり、そのための今後の安保理決議を支持、再建のためのIMF・世銀の役割および債務削減のためのパリクラブの早期開催を期待と表明。
4月15日
ナシリーヤ近郊で、暫定統治機構(IIA)のためのイラク人会議が開催され、連邦制による民主国家建設など、13項目の声明を発表。国内外の反体制派や部族代表など約80人が参加し、米からハリルザード特使、ガーナ―ORHA局長が出席。SCIRIは欠席し、チャラビーINC議長は代理を出席させた。ナシリーヤ市内では、ナジャフのシーア派勢力がINC中心の会議であることに抗議するデモを開催。
4月16日
フランクス米中央軍司令官、チャラビーINC議長および自由イラク軍120名が、バグダッド入り。SCIRI幹部のアブドルアジーズ・ハキーム師、亡命先のイランから帰国。
アテネでEU非公式首脳会議開催。英首相と国連事務総長の会談は、国連が人道支援以外でも、新政権樹立など政治や再建の分野に関与する必要があることで一致。
ブッシュ大統領は、戦費に関わる補正予算案に署名(外国企業は復興事業から排除)。
ブッシュ大統領は演説で、対イラク国連制裁は解除されるべきと発言。
4月17日
EU非公式首脳会議は、戦後復興に国連が中心的役割を果たすべき、EUも重要な役割を果たす用意があるとするとともに、フセイン政権崩壊を評価し、米との協調姿勢を示す声明を発表。
バグダッドではチャラビーINC議長が、カルバラーなどのシーア派地域の都市では地元ウラマーが、独自に市長などを任命。
4月18日
チャラビーINC議長は、暫定統治機構は設立後数週間でORHAから権限を引き継ぐ、2年以内に選挙を実施、自らは統治機構内に地位を求めないなどと発言。
4月24日
ガーナーORHA局長はバグダッドで記者会見し、イラク各省庁および北部、中分、南部担当の米国人コーディネーターを設置した、職員を再雇用して来週中に政府機能を再開するなどと発言。
国連安保理は、3月28日の安保理決議1472(石油食糧交換計画を45日間再開)を6月3日まで延長する決議1476を採択。
4月28日
バグダッドで、第2回IIA準備会合が開催。名称をイラク暫定統治機構からイラク暫定政府に変更。4週間以内に各代表による国民会議を召集し、イラク人による暫定政権を発足させることで合意。