研究レポート

米中関係のなかの尹錫悦政権

2023-03-16
倉田秀也(防衛大学校人文社会科学群国際関係学科教授/日本国際問題研究所客員研究員)
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「中国」研究会 FY2022-5号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

朝鮮問題と台湾海峡問題との分離

冷戦終結後、米中関係で朝鮮問題が台湾海峡問題と分離されて議論されたことを示す例はいくつかあるが、それを最もよく示すのは、1996年3月の「第3次台湾海峡危機」の渦中、提案された4者会談であろう。中国人民解放軍が、李登輝中国国民党主席の総統選挙当選を阻むべく台湾海峡でミサイル演習を展開するなか、孔魯明韓国外務部長官が訪中し、江沢民国家主席らと会見するが、それは南北間の平和体制樹立のための多国間協議提案の最終調整の一環であった。実際、孔魯明はその後訪米するが、クリントン米大統領は同年4月、済州島での金泳三大統領との首脳会談で韓国、北朝鮮、米国、中国による4者会談を共同提案し、江沢民は「建設的役割」を果たすとして、参加の意思を表明したのである。

2022年8月初頭のペロシ米下院議長の訪台を受け、中国人民解放軍は――「第3次台湾海峡危機」とは異なり――台湾を包囲射撃する形で「重要軍事演習」を行った。ペロシは離台後に訪韓するが、そのとき尹錫悦大統領はどう対応したのか。「第3次台湾海峡危機」の際、金泳三政権が台湾海峡問題と切り離して4者会談を主導した経緯を念頭に置きつつ、尹錫悦政権が台湾海峡問題との関係で対米、対中関係をどのように展開しようとしているかを考えてみたい。

尹錫悦の「水平的対中関係」――選挙公約の後退

尹錫悦が大統領選挙運動中から、対米同盟関係の強化を主張しつつ、文在寅政権の対中政策を批判していたのはよく知られている。尹錫悦はすでに2021年7月の時点で、「THAAD(終末高高度防衛ミサイル)」の配備は「主権問題」に属すると主張し、「水平的対中関係」の構築を掲げた。これは、2017年10月に康京和外交部長官が訪中した際、王毅外交部長に対して、1)米国のミサイル防衛体制に加わらない、2)日米韓安保協力を3国軍事同盟に発展させない、3)THAAD追加配備を検討しないとする「3不政策」を約束したことをはじめ、尹錫悦が文在寅政権の対中関係を「垂直的」と認識していたことを意味する。

確かに、バイデン政権が韓国を含む同盟国との関係の強化を掲げるなか、尹錫悦の外交・安保公約は、概ね有利な環境に恵まれていたといってよいが、台湾海峡での米中間の緊張が高まるなか、「水平的対中関係」はその限りではなかった。2022年2月、尹錫悦が改めて掲げた選挙公約には「THAAD基地正常化」が書き加えられたにもかかわらず、大統領選挙当選後、大統領職引継委員会が公刊した文書からTHAADに関する項目は脱落し、日米豪印戦略対話(Quad)にも参加の意思を明らかにしながらも、その議題に気候変動などを挙げ、中国に敵対的な議題は慎重に避けられた。尹錫悦は、「水平的対中関係」の下に中国が受け入れ難い「THAAD追加配備」も公約に含めたにせよ、米韓同盟の強化が対中関係を犠牲にしない限度で展開されることでは文在寅政権と大きく変わるところはなかった。尹錫悦は政権発足後、米韓同盟が北朝鮮の「挑発行為」の抑止に焦点を当てるべきと述べ、米韓同盟が台湾海峡を含む域外任務をもつことに消極的な姿勢をみせていた。

ペロシ訪韓と尹錫悦政権――朴振訪中と栗戦書訪韓

このような尹錫悦の認識をよく示したのが、ペロシが訪台の直後に韓国を訪問した際の対応であった。本来、ペロシ訪台は当初から予定されていたわけではなく、2022年7月31日に訪韓を含む日程が発表されたとき、台湾は含まれていなかった。8月2日にペロシが電撃的に台湾を訪問したことで、結果的に訪韓日程は、ペロシの離台を待って実施された中国人民解放軍による「重要軍事演習」の実施と重複することになった。

ペロシ訪韓に際して尹錫悦政権は、米下院議長の訪韓には国会が対応するとして、金振杓国会議長が対応し、尹錫悦は休暇中としてソウル市内の自宅から電話で対応し、ペロシに会見することはなかった。尹錫悦の休暇は事前から決定していたというが、崔英範大統領室広報首席秘書官が、尹錫悦がペロシと会見しなかったのは「われわれの国益を総体的に考慮して決定したもの」と述べたことを考えても、単なるスケジュール上の問題とは考えにくい。事実、韓国国防部は「重要軍事演習」について一切の論評を避けていた。尹錫悦政権は朝鮮半島に米中対立が波及することを懸念していたといってよい。

「重要軍事演習」は8月7日に一旦終了したが、新たな演習を実施するとして9日まで行われた。ここで指摘すべきは、その最終日に朴振外交部長官が青島で王毅と会談をもったことである。朴振は従来の韓中協議に「2+2」を加える意思を表明した上、習近平の訪韓を期待するとし、王毅の年内訪韓も招請した。さらに、王毅はここで、国交樹立30周年を迎えた中国と韓国が今後30年に向け、隣国との友好を堅持し、各々の「重大な関心事項」に配慮すべきとする項目を含む「五つの当然」を提起した。ここでいう「重大な関心事項」はTHAAD追加配備を指す。これについて朴振と王毅は、相互の安全保障上の懸念を重視し、相互関係の障害にならないよう適切に処理するよう努力することに合意した。尹錫悦がいう「水平的対中関係」とは、台湾海峡の米中対立が朝鮮半島に波及せず、THAAD追加配備によって韓国が朝鮮半島での米中対立に「巻き込まれ」ない条件で可能と考えられた。

これを傍証するのが、その約1ヶ月後の栗戦書全国人民代表会議(全人代)常務委員長の訪韓である。中国の全人代常務委員長は米国では下院議長というペロシの職責に相当する。上述の通り、ペロシ訪韓の際韓国は国会が対応するとして、尹錫悦は会談しなかったにもかかわらず、栗戦書には尹錫悦自らが会談した。そこでも尹錫悦は台湾海峡問題に触れなかったのはいうまでもない。

「水平的対中関係」の限界

「重要軍事演習」の渦中のペロシ訪韓、それに続く朴振の訪中、栗戦書の訪韓は、1996年の「第3次台湾海峡危機」にもかかわらず、韓中関係がそれとは分離されていたことを想起させる。確かに、尹錫悦政権が4者会談のような多国間協議を主導するとは考えにくいが、台湾海峡での米中間の緊張が朝鮮半島に波及することへの懸念をよく示していた。

そう考えたとき、尹錫悦は大統領選挙運動中、「水平的対中関係」の下でTHAAD追加配備の可能性までも主張したが、韓国が米中対立の最も先鋭な台湾海峡問題に積極的に関与することも、THAAD追加配備によって米中対立が朝鮮半島に波及することも、韓国の外交半径を著しく狭隘化させる。文在寅政権の対外政策を厳しく批判した尹錫悦政権ではあるが、対中政策に関する限り、文在寅政権と連続する部分は存外大きい。




主要参考文献

大韓民国大統領室HP

大韓民国外交部HP

『人民日報』/『人民日報(海外版)』/『環球時報』/『解放軍報』

中華人民共和国外交部HP

『自由時報』

米国国務省HP

Washington Post

倉田秀也「〔研究レポート〕朝鮮半島の『アド・ホックな米中協調』と台湾海峡問題 2021-10-28 <https://www.jiia.or.jp/research-report/china-fy2021-04.html>

____「〔研究レポート〕朝鮮半島と『適正な』米中関係――対中関与の外交空間 2021-03-02」<https://www.jiia.or.jp/research-report/post-43.html>

____「『アド・ホックな米中協調』と北朝鮮――人権問題と『適正』な米中関係」令和2年度外務省外交・安全保障調査研究事業『習近平政権が直面する諸問題』、日本国際問題研究所、2021年

____「朝鮮半島平和体制樹立と中国――多国間協議なき対中関与の南北間格差」令和元年度外務省外交・安全保障調査研究事業『中国の対外政策と諸外国の対中政策』、日本国際問題研究所、2020年

____「北朝鮮『非核化』と中国の地域的関与の模索――集団安保と平和体制の間」『国際安全保障』第42巻第3号(2018年 9月)

____「朝鮮半島平和体制問題と中国――北東アジア地域安全保障と『多国間外交』」高木誠一郎編『脱冷戦期の中国外交と アジア・太平洋』、日本国際問題研究所、2000年

Hideya Kurata, "Korean Peace Building and the Sino-US Relations: An 'Ad-Hoc' Concert of Interests?" Journal of Contemporary East Asia Studies, Volume 8 Issue 1 (July 2019), etc.