研究レポート

再検討を迫られる台湾有事のシナリオ

2022-03-31
小谷哲男(明海大学教授/日本国際問題研究所主任研究員)
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「日米同盟」研究会 FY2021-4号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

2月24日にロシアがウクライナに侵攻した。独立派が支配を続ける地域の「解放」を目指すだけではなく、隣国の首都の制圧をも目指すというあからさまな力による現状変更である。しかし、ロシア軍には通信や補給、練度および士気の面で問題があり、当初の目的を達成することには失敗した。一方、民間人の犠牲が増え、大量破壊兵器が使用される懸念も高まっている。

ウクライナ戦争をうけて、日本の世論の8割近くが台湾情勢への波及を懸念している。2021年3月に当時の米インド太平洋軍司令官が「6年以内」に台湾有事が起こる可能性があると指摘した。しかし、習近平体制の長期化や、人民解放軍の揚陸能力および核戦力の増強、米中の経済力が逆転する可能性などを考えると、むしろ2030年代が「危機の10年」になるというのが現在では有力な見立てとなりつつある。

では、ウクライナ戦争は台湾有事の見通しにどのような影響を与えるのであろうか。まず、ロシアによるウクライナへの侵攻をうけて、西側諸国がロシア中央銀行の海外資産凍結など予想以上に対ロ制裁で足並みをそろえたため、中国としても台湾侵攻時に対する国際社会の反応をさらに警戒しなければならなくなるであろう。しかし、世界経済における自らの比重がロシアより大きいため、中国は国際社会で孤立することはないと考えるかもしれない。実際、対ロシア制裁にはインドや、シンガポールを除くASEAN諸国が加わっておらず、「台湾海峡の平和と安定の重要性」についてもこれらアジア諸国は言及を避けている。

次に、米国およびNATO加盟国は、ロシアとの核戦争を恐れて直接的な軍事介入の可能性を早々に否定した。ロシアによる核戦争の脅しが、米国および同盟国の介入を抑止したのである。双方に壊滅的な破壊をもたらす核戦争を引き起こす能力をもった勢力が対峙する時、核戦争への拡大を相手が避けることが期待されるため戦略的安定性が成立するが、逆説的に通常戦力による攻撃が起こりやすくなる。この「安定・不安定パラドックス」は、ロシアが米国やNATOの介入を恐れることなくウクライナへの侵攻を決断した要因のひとつであると考えられる。

同様に、中国が急速に核戦力の増強と運搬手段の多様化に取り組む中、米中間に相互の脆弱性に基づく戦略的安定性が成立すれば、安定・不安定のパラドックスにより台湾有事が発生し、米軍の介入も抑止される可能性は否定できない。また、ロシア側は非戦略核や生物・化学兵器の使用も検討しているとみられるが、仮にロシアが大量破壊兵器の使用に踏み切っても米欧がエスカレーションを恐れて軍事的懲罰を加えなければ、台湾有事でも中国がこれを使用する敷居が下がるかもしれない。

米国は、開戦前からロシアによる戦争の準備や世論工作に関する機密情報を積極的に開示するとともに、同盟国と連携しながら厳しい経済制裁のパッケージを用意し、ロシアに侵攻を断念させようとした。結局、新たな情報戦や制裁の脅しはロシアによる侵攻を防ぐことはできなかったが、ロシアによる侵略の正当化を困難にし、欧米だけではなく広く国際社会がロシアに対する厳しい制裁を行う土台を作り上げることには成功した。また、西側諸国によるウクライナへの軍事支援は、ウクライナ軍が予想以上に善戦を続けられている理由のひとつとなっている。

中国も台湾侵攻を行う前に国際的な世論工作を行い、外部勢力と連携する台湾独立派を打倒するために武力を行使すると自らの行動を正当化しようとするであろう。だが、この場合も米国の情報戦によって実態をさらされる可能性は否定できない。そうなれば、西側諸国が「台湾海峡の平和と安定の重要性」を求めて台湾への支援を強めることになり、結果として台湾の国際社会における存在感が高まることになる。このため、中国は台湾への武力侵攻についてさらに慎重にならざるを得ない。加えて、ウクライナ側が戦力で勝るロシア軍に対して善戦し、侵攻を受ける側の抵抗を過小評価できないことが示されたことは、中国が台湾への侵攻を決断する際に無視できない要素であろう。

ウクライナ戦争では、ロシア軍の作戦と態勢に大きな問題があった。特に、ウクライナの防空システムの無力化に失敗したことが、作戦全体の遂行を困難にした。台湾有事においても。中国が航空優勢を確保できなければ、上陸作戦は実施できないであろう。とはいえ、中国がロシアと同じような失敗をするとは考えにくい。むしろ、中国としては今回のロシアの失敗を繰り返さないよう、その教訓から戦略や作戦の見直しを図ると考えられる。とりわけ、緒戦において精密誘導兵器による台湾の防空システムの無力化に力を入れるであろう。

以上、ロシアによるウクライナ侵攻は、力による現状変更はどれだけコストが高くても起こり得るということを改めて示した。ウクライナ戦争をうけて、中国は国際社会からの制裁や台湾の抵抗を考慮し、台湾侵攻の決断により慎重にならざるを得ないだろう。しかし、それでも中国が侵攻を決断した場合は、核抑止力や精密誘導兵器の活用により、中国側に有利に作戦が進む可能性は否定できない。

日本が今後台湾有事への備えを検討する上で、次の2点の重要性を指摘したい。まず、安定・不安定パラドックスから台湾有事が発生し、日本にも攻撃が波及した際に米軍の介入が抑止されるのを避けるために、日米の拡大抑止協議を深め、大量破壊兵器の威嚇に屈しない態勢を築く必要がある。一時提起された日米で核共有を行う案は、日本に配備する戦術核が先制攻撃の対象になり得るなどデメリットが多いが、NATOで行われている核の傘の運用に関する政治レベルの協議は日米でも取り入れるべきであろう。

次に、通常戦力の増強により、第一列島線の航空優勢を確保することが求められている。そのためには、自衛隊の防空システムの向上に加えて、独自の打撃力の導入と、米国の中距離ミサイルの日本配備、そしてフィリピンおよび台湾との情報協力が必要である。また、イージス・アショアを海上に配備することは合理的ではなく、地上への配備に戻すべきである。これによって弾道ミサイル防衛を強化するとともに、イージス艦を南西諸島での航空優勢の確保のために投入できる環境を整えなければならない。