国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2022-03)
中国が立たされた十字路----ロシアのウクライナ侵攻と中国外交

2022-03-11
高原明生(東京大学教授/日本国際問題研究所上席客員研究員)
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「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。

中国共産党のリアリズムでは、プーチンの全面的なウクライナ侵攻は予測できなかったのだろう。世界に見せつけたつもりだった中ロの固い絆。米国と競う上で欠かすことのできない、貴重な資産であるパートナーシップ。それが一転して負債となり、自らの信用力に深刻なダメージを及ぼしかねない事態が発生した。ロシアの侵略は世界の大多数の国から非難を浴び、中国外交は突然、十字路に立たされた。しかしそれでも、習近平はプーチンの戦争を是認し、中国政府は「特別軍事行動」を侵略とは呼んでいない。

中国はどちらの方向に歩き出せばよいのか、方針がまだ定まらない。この期に及んで尚、ロシアとの戦略的パートナーシップを前進させると明言する一方、各国の主権、独立及び領土的一体性の尊重と維持を唱え、平和的な方式による争いの解決を訴える。自家撞着に陥り、一方に足をちょっと出しては引っ込めて、結局は同じところから動けないような苦境に立たされている。

習近平、北京でプーチンを優遇

中国外交にとって、大状況は米国との戦略的競争の激化である。2月4日の北京冬季オリンピック開会式。14年前、北京夏季オリンピックを開いた時と比べ、中国は更に豊かになった。冬季五輪の開幕は、ある面で成熟した中国社会の発展ぶりを世界にアピールできる機会であり、秋の党大会を控え、国際的な称賛を浴びて国民の自信と政権への支持を高める舞台となるはずだった。ところが、習近平政権の人権弾圧への抗議の意味を込めて、米、英、加などの国は外交ボイコットを表明した。2008年とは異なり、多くの主要国が首脳を開会式に派遣することはなかった。

その状況下で飛来した、押しも押されもせぬ大国のリーダーがプーチン大統領だった。だが、組織的なドーピングが発覚したロシア選手団はそもそも出場を許されていない。ロシア選手は前年の東京五輪の時と同様、ロシア・オリンピック委員会の名称を用いて参加し、国歌演奏の際はチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番が流される。プーチンの開会式出席は、習近平の特別な招待により実現した。

特別扱いはそれだけではなかった。ほかの首脳会談はマスク着用で行われたが、人民日報1面に大きく掲載された、習近平とプーチンが並んだ写真のみ、両者ともマスクをしていなかった。発表された中ロ共同声明は英文でA4版15頁に及ぶ長文で、自国の政治体制の在り方を擁護し、多極化した新しい時代の国際関係のあるべき姿について訴える内容だった。中ロ関係については、次の印象的な一節が記されている。「中ロの国家間関係は冷戦時代の政治軍事同盟より上位のものであることを両国は再確認する。両国間の友情は無限であり、協力に禁制分野はない」。この声明の有効性は、ウクライナをめぐって早速試されることとなった。

バイデンよりプーチンを信じた習近平

ロシアがウクライナを相手に何を企んでいたか、米国の諜報機関は的確に把握していた。ニューヨーク・タイムズなどの報道によれば、米国はその情報を中国に伝えていたという。中国側は否定しているが、中国の外交当局はロシア側に対してオリンピック開催中に攻撃をしないよう頼んでいたとも報じられている。2月4日の首脳会談で、プーチンが習近平に対して何を語ったのかは詳らかになっていない。だが、後に現実化するウクライナへの全面侵攻が告げられていたわけではなさそうだ。「無限の友情」が謳われていたにもかかわらず。在ウクライナの外国人が続々と退避を始める一方で、中国は自国民の避難を用意しなかった。

だが次第に事態は切迫してゆき、中国の態度は揺れ始める。2月19日に開かれたミュンヘン安全保障会議にオンライン出席した王毅外相は、次のように語った。各国の主権、独立及び領土的一体性は尊重され、維持されてしかるべきだ。なぜなら、これは国際関係の基本原則であり、国連憲章の趣旨を体現しており、中国が一貫して堅持している原則的立場でもある。そして「ウクライナも例外ではない」と言い足した。報道によれば、米国はロシアの戦闘準備態勢に関する情報を中国に提供し続けていた。さすがに、王毅は中国の立場の一貫性を弁護するための防御線を引いておいた方がよいと考えた可能性がある。

ロシア側からは、ウクライナ東部のドネツクとルガンスクの独立承認を含む、その後の展開についての事前通報はなかった模様だ。だから王毅は、「私の理解するところでは、ロシアもEUもミンスク合意を支持している」と同会議で述べたのだろう。その一方で中国側は、「緊張を高め、パニックを製造し、はなはだしきは戦争を大げさにはやしたてる」米国を批判し続けた。

だが24日、ロシアは侵攻を始めた。同日の外交部記者会見で、華春瑩報道官はロシアの行動を侵攻と認めるかどうか13回にわたって質問されたが、遂にそうとは認めなかった。プーチンは電撃的な勝利を信じていたという説が有力だ。26日、国営ノーボスチ通信は、「ウクライナはロシアに戻った」とする勝利宣言を配信した。その前日、25日午後にはプーチンと習近平の電話会談が行われた。この会談内容についての中ロそれぞれの発表には、興味深い異同がある。新華社電によれば、プーチンは次のように語った。米とNATOはロシアの合理的な安全保障上の懸念を無視し、繰り返し約束に背き、軍事的な配置を東へ進め、ロシアの戦略的ボトムラインに挑戦した。そして習近平は、ロシアがウクライナと交渉を通じて問題を解決することを支持すると述べた。

だが在北京のロシア大使館ホームページによれば、プーチンは、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を承認し、一般市民をジェノサイドから保護するための特別軍事行動を展開することを決定したことなどについて詳しく伝えた。そして習近平は、「ロシアの指導者が目下の危機的情勢下で採った行動を尊重すると強調した」という。習近平は、ロシアによる力の行使を是認した。その結果、中国は外交上、難しい立場に立たされることになった。

戦闘の継続と、中国の立場の悪化

中ロ首脳電話会談の半日後、日本時間2月26日午前、国連安保理にロシア非難決議がかけられたが、中国は棄権した。ウクライナでは、北、東、そして南から国境を越えて侵攻したロシア軍が、強い抵抗に遭って行く手を阻まれた。3月2日、国連総会は、ロシアにウクライナでの軍事行動の停止と撤兵を求める決議案を採択した。賛成は141ヶ国、反対が5ヶ国(ベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、ロシア、シリア)、棄権が中国、インド、南アフリカを含む35ヶ国だった。

中国では、3月5日に全国人民代表大会が開幕した。例年、審議事項は経済や社会など国内問題が中心であり、外交が重要議題となることはない。それにしても、政府活動報告がウクライナでの戦争に一切言及しないという「中国の常識」は異常であり、「世界の非常識」だと言い得た。だが毎年開かれる外相記者会見では、当然ながらウクライナに関するいくつかの質問が出された。なぜ未だに侵攻と言わないのか、対ロ非難を拒否することで中国の国際的な地位が損なわれると懸念しているか、というロイターの記者の質問に、王毅外相が正面から答えることはなかった。ウクライナ情勢が今日の有様に発展した原因は錯綜し複雑であり、火に油を注ぎ矛盾を激化させることは複雑な問題の解決のために望ましくない、という苦しい弁明をせざるを得なかった。そして批判をかわすためか、「私はここに宣言する。中国紅十字会はウクライナに対し、できるだけ早く緊急人道主義物資援助を提供する」と見得を切った。しかし同時に、ロシアの記者から中ロ関係について問われた王毅は、中ロはお互いに最も重要で緊密な隣国であり戦略的パートナーであって、新時代の全面的な戦略協力パートナーシップを不断に前進させると答えている。

これまでの事態の展開から、中国外交について少なくとも次のようなことが言えるだろう。中国側は、プーチンがウクライナに全面侵攻するとは考えていなかった。恐らくは誤って配信された、先述した国営ノーボスチ通信の「勝利宣言記事」によれば、ロシアは欧米に挑戦しただけでなく、欧米の世界支配の時代が完全かつ最終的に終わったことを示したのだという。中国共産党の現実主義的な合理性からすれば、そのようなルサンチマンから戦争をすることは考えられない。同じく米国と対抗しているとはいえ、超大国の地位から滑り落ちたロシアとは異なり、言わば坂を駆け上がってきた中国は、少なくとも今のところは明るい挑戦者だ。

しかし、実際に侵攻が始まると、習近平はプーチンの決断を是認した。第一に考慮したのは、対ロ関係の戦略的な重要性であった。要するに、中国にとって最も重要なのは米国との戦略的競争に勝利することであり、そのためにはロシアとのパートナーシップが不可欠だと判断したのだ。

その代償はどれほど大きいだろう。国連憲章の順守を強調した中ロ共同声明は一瞬で色褪せた。中国は主権、独立、領土の一体性の尊重と維持という原則を声高に唱えながら、実際にはそれをウクライナに適用しないことが明らかになった。言行不一致が白日の下に晒され、中国の信頼は失われた。だがそれだけでは済まない可能性もある。ロシアはウクライナ侵略をきっかけとして大規模な経済制裁を受けることとなった。プーチン政権が坂の下の淵に沈むことになれば、一体どれほどのダメージを習近平政権は受けることになるだろうか。秋の党大会を控え、習近平は想定していなかった大きなリスクを抱えることになったのだ。