コラム/研究レポート

〔研究レポート〕大国政治の中のイラク

2021-06-30
吉岡明子(一般財団法人日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究主幹)
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「中東・アフリカ」研究会 FY2021-3号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。なお、各研究会は、「研究レポート」とは別途、研究テーマ全般についてとりまとめた「研究報告書」を公表する予定です。

米国とイラン-米イラン対立の影響

イラクの対外関係において、米国とイランが大きな重要性を持っていることは論を俟たない。2003年以降、イラクの国家再建を担ってきた米国は、2011年に一旦イラクから撤退したものの、2014年に対IS戦のため再度イラクに派兵し、多額の軍事援助や武器装備輸出などを通じて、安全保障面で絶大な影響力を有している。現在、戦闘部隊のイラクからの撤退が話し合われているが、訓練や諜報協力などを通じたイラクにおける影響力は今後も保持し続けるだろう。また、両国間には2008年に締結された戦略枠組み協定に則って、テロ対策や経済・エネルギー協力、環境問題や文化関係など、幅広い協力関係がある。

その米国と鋭く対立するイランは、イラクにおいてシーア派に限らず様々な政界のアクターにコネクションを有しており、内務省傘下の警察や、対IS戦で組織化された人民動員部隊などを通じて、政治・軍事面で密接な関係を維持している。とりわけ、1980年代からの長期にわたるイランとの関係を背景に、自らの利益とイランの利益を一体化して行動するシーア派民兵勢力がイラクに存在していることが、イランの最大の強みといえる。イラクにおけるイランと米国の直接的な衝突は、2020年1月の、米国によるソレイマーニIRGC(革命防衛隊)ゴッズ部隊司令官の暗殺、そして、その報復としてのイランによる駐イラク米軍へのミサイル攻撃という形で頂点を迎えた。その後は鎮静化しているものの、イラクでは米軍基地や米国政府権益を狙ったロケット攻撃、あるいは米軍のロジ支援を行うトラックへの簡易爆弾攻撃が連日のように発生している。バイデン政権発足から間もない2021年2月に、ロケット攻撃で米軍関係者(フィリピン人)が死亡するに至って、米政府は報復としてイラク・シリア国境で親イラン民兵勢力に空爆を行った。イラク国内で行わなかった理由は、イラク政府との友好関係を考慮してのことであろうが、興味深いことに、オースティン国防長官は、空爆の標的を精査するのにイラクからの諜報が役に立ったと表立って発言した。イラク政府は協力を否定したものの、米政府が敢えてイラクの協力に言及したのは、イランへの牽制に他ならないだろう。

サウジのアプローチ

他の近隣国や大国は、このように米国とイランがイラクで多大な影響力を有していることを前提として、イラクとの外交関係を築いている。特にサウジアラビアを始めとする湾岸アラブ諸国は、イラク戦争後、長らくイラク政府との関係を遮断し、水面下でスンナ派勢力との関係を模索していたが、2010年代半ばから、その方針を転換した。イラクのスンナ派への支援が、イラク政界におけるスンナ派政治勢力のプレゼンスの拡大という成果を生まず、むしろ湾岸の王政にとっても脅威であるISが台頭する結果になったこと、時を同じくしてイラクの首相やサウジの国王が相次いで交代したことなどが契機となった。サウジアラビアの意図としては、イラク政府との外交関係を強化することで、イランの影響力を低減させることがあったと思われる。その際、最も大きな武器になると考えられるのが湾岸諸国の経済力であり、戦後復興を希求するイラク政府もその支援に大きな期待を寄せていた。しかし、湾岸諸国からは折に触れて援助や支援の発言があるものの、実現のペースは極めて遅い。官僚主義や汚職といったイラク側のビジネス環境全般の問題に加えて、親イラン派からの妨害、そして、そうした困難な環境で経済支援を実現させるだけの経験が湾岸諸国側に不足していることも背景にあるのだろう。

そうした中、2021年4月に、国交が途絶しているイランとサウジアラビアの間の仲介をイラクが行っているとの報道が出て、イラクのサーレハ大統領もそれを追認した。イランとサウジの双方にコネクションを持つイラクにとって、域内政治に影響を及ぼし得る貴重な機会であり、両国の緊張緩和はイラクの安定にとってメリットが大きい。しかしながら、交渉をまとめるだけのレバレッジや政治力がイラク政府にあるかという点には依然として疑問が残る。

優位に立つトルコ

 イランがイラクにおいて、多方面への影響力を維持していわばソフトパワーを駆使して国益を行使する一方で、北の隣国トルコは、自国の利益のために、より直截的にハードパワーを用いた外交をイラクで展開しようとする傾向がある。イラクにとってトルコは主要な輸入相手国であり、両国の間には閣僚の往来も多く、隣国同士としてはそれなりに密な関係を保っている。しかし、トルコが「テロリスト」とみなすPKK(クルディスタン労働者党)掃討のためのイラクへの越境軍事攻撃を行うにあたっては、それへのイラク政府の反対を意に介していない。軍事作戦は国境付近にとどまらず、トルコ軍はすでに国境から40kmほどイラク内陸に入り込んで軍事基地を建設しており、度重なる攻撃でイラクの民間人や国境警備隊にも死者が発生する状況になっている。イラク政府は主権の尊重を訴えるが、トルコ政府の行動を変えさせる具体的な手立てはない。モスル近郊に90年代から存在するトルコ軍基地の撤収問題や、チグリス河の流水問題、あるいはイラク政府が反対するKRG(クルディスタン地域政府)からの原油輸入問題など、利害が対立する局面においては、トルコがイラクに協力する姿勢は見えない。

2017年9月にKRGがイラクからの独立を問う住民投票を行った際、独立に反対するイラクとトルコは、協調してイラク・クルディスタン地域への航空機の飛行禁止や、トルコ側国境におけるイラク軍の展開や軍備増強などの措置を実施して、圧力をかけた。しかし、これは両国の利害が一致した一例にすぎず、独立問題が鎮静化すると、そうした協力関係は見られなくなった。トルコ政府はKRGとの関係をイラク政府との関係とは別に捉えている模様で、イラク政府の関知しないところでKRGからの原油輸入を行ったり、財政支援を行ったりしているが、それは、対PKK作戦におけるKRGの協力やエネルギー安全保障上の利益をにらんでのことであろう。このように、脆弱なイラクに対してトルコが軍事的にも政治的にも優位に立っているという現実が、両国の関係からうかがわれる。

中露のプレゼンス

 フセイン政権時代は、国連制裁下で米英に対抗するため、安保理常任理事国である中露との関係はイラクにとって戦略的な重要性を持っていたが、2003年のイラク戦争以降、そうした状況は変化し、米国が多大な影響力を持つ中で中露のプレゼンスは大きく低下した。それでも、2015年以降OPEC第二位の原油輸出国となったイラクは中国への原油輸出を年々増加させ、対IS戦でロシアからの兵器購入を拡大するなど、二カ国はイラクにおける新しいプレイヤーとして、少しずつ存在感を見せ始めている。

 中国は、イラクからの原油輸入のみならず、国営石油会社による油田上流開発への参画が目覚ましい。2009年からの10年余りで、12カ所の開発に携わり、そのうち10カ所ではオペレータを務めている。油田開発のサブコントラクターやインフラ復興事業などへの参入も多く、2019年にアブドゥルマフディ首相が訪中した際には、イラクが輸出した原油の代金をインフラ投資に充てる計画や、一帯一路構想への参画なども表明された。ただし、現在のところ、こうした中国の存在感が経済エネルギー分野を超えて拡大する兆候は見えていない。イラクは対IS戦で利用するため武装無人機を中国から購入したものの、中国は米国主導の対IS有志連合には参加しておらず、軍事面での貢献は小さい。

 一方、ロシアも対IS有志連合には参加しておらず、ロシア軍は、イラクではシリアのように軍事作戦に携わっていない。ただ、2015年頃からイラクに、移動式防空システム48基や攻撃用ヘリ19機、ロケットランチャー10基、戦闘機4機、戦車73台、軍用車300台など様々な兵器を提供している。これらは米国製より安価という強みがあるが、絶対量としてはイラクでは米国製兵器の方が優勢であり、果たしてイラク軍が米国とロシアからそれぞれ調達した兵器をどのように組み合わせているのかは不明である。ロシアもイラクのエネルギー開発に参画しているが、その存在感はむしろクルディスタン地域で大きい。財政難に喘ぐKRGに対して、2017-2018年頃に原油輸入代金の前払いや、石油ガス・パイプラインへの投資などを立て続けに発表した。特に、独立を問う住民投票実施後、国際社会から孤立していたタイミングでのKRGへの投資拡大は、政治的な意図も含めて大きな注目を集めた。ただし、KRGにとって最大の後ろ盾が米国であるという状況に変わりはない。ロシアにとっても、KRG支援の背景には、欧州市場へのガス輸出ルートをおさえるという地域戦略面での意図があったと見られている。このように、中露共にイラクでは、クルディスタン地域も含め、新しいアクターとして登場しつつあるとはいえ、そのプレゼンスは依然として限定的なものにとどまっている。

(脱稿:2021年6月18日)