PECC 設立の経緯
PECC設立の経緯について
(1)太平洋協力の構想は、第2次世界大戦以前より、関係各国の民間レベルの運動として継続的に展開されてきました。そして、戦後のヨーロッパにおける経済統合運動等に触発され、着実に構想の具体化が進められてきました。
特に、1965年小島清 一橋大学教授が提唱した「太平洋自由貿易地域構想」はこうした動きに理論的根拠を与える重要なきっかけとなりました。この構想は、太平洋地域にある先進5ヵ国(日本・米国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)を中心にして、太平洋に自由貿易地域をつくり、域内の関税をゼロに持っていこうとするものでありました。この小島教授の構想を軸に1968年「太平洋貿易開発会議」(PAFTAD)が日・米・オーストラリアの経済学者を中心に発足しました。
また、これと軌を一にして、財界においても太平洋地域への関心が高まり、日本商工会議所の永野重雄 会頭(当時)が中心となって、先進5ヵ国の間で「太平洋経済委員会」(PBEC)が設立されました。
(2) このように、初期における太平洋協力の展開は、日本が大きな役割を果たしていましたが、主に学界・財界を中心とした活動でした。しかし、その後の日本経済の発展およびアジアにおけるNIEsの台頭は、太平洋圏における経済交流を活発化させ、同地域の重要性を飛躍的に増大させました。こうした中で、太平洋地域に対する関心はさらに高まり、国家レベルにおける太平洋協力の気運が生まれてきました。
1978年、大平正芳 首相(当時)は、「環太平洋連帯研究グループ」を発足させ、「環太平洋連帯構想」を打ち出した。この構想は、世界の中で、最もダイナミックな発展・成長を遂げている諸国を包含する太平洋圏の将来性に着目し、政治・経済、文化の各方面において著しい多様性を持ったこの地域が、協力関係・相互依存関係を強めることで、単にこの地域のみならず世界経済全体の発展に貢献することを目指しています。
そして、同構想の特色として、次の3点を打ち出しました。
a. 排他的地域主義をとらない。
b. 自由で開かれた相互依存関係を維持する。
c. 現存する2国間、あるいは多国間関係と矛盾せず、相互補完関係をなすものとする。
(3) 1960年代から1970年代における日本およびアジアNIEsの経済発展が、太平洋圏における経済交流の活発化、相互依存関係の深化を生むと同時に、様々な問題を顕在化させ、それらが上述のような太平洋諸国家間における協力の気運を盛り上がらせたわけですが、その具体化にあたっては必ずしも平坦な道のりであったとはいえず、様々な紆余曲折がありました。日本が提唱者となり太平洋の先進諸国が中心となった活動に対する東南アジア、ASEAN諸国の警戒心、および一部の国から出された反共ブロックの形成ではないかという非難などが存在したからでした。しかしこのような状況にもかかわらず、太平洋協力活動は着実な発展を遂げていくことになりました。また、米国の対太平洋貿易が対大西洋貿易を上回るという画期的な事態が生ずるに至り、「太平洋の時代」という認識が期待とともにさらに強まりました。