
「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。
ベネズエラ情勢のトリセツ
本年最初なので、本論に入る前に簡単に一年を展望したい。2025年は、地政学的変動の歴史的分岐点であったと後世に記憶されることとなろう。それは、パワーバランスの変化と大国による戦後国際秩序への決別、多国間主義の凋落に特徴づけられる。この地政学的潮流の中で、多くの国家が国家利益を優先する自国優先主義と国益確保のための国力(軍事力だけではない)増大の最大追及を志向する。この状況を「多極化(multipolarization)」と表現するのをよく目にする。もちろん、米国一極体制が崩れ、グローバルサウスの台頭は目覚ましい。しかし、果たしてそれは新しい「極」となるパワーが登場しつつあると言えるのだろうか?一極でも二極でも多極でも、「極」となるパワーはその勢力圏下で問題解決への有形無形の公共財を提供しなければならない。しかし、我々はそうしたものをまだ目にしていない。実態は、むしろ「無極化」であり、ユーラシア・グループが数年来にわたり表現してきたところの「G0」でしかない。西側の中核的アーキテクチャであるG7は結束を標榜するが、対ロ関係や自由貿易といった中核的課題でコンセンサスは得られない。中露が勢力圏の基盤に据えようとしている拡大BRICSや上海協力機構(SCO)は西側への対抗軸として機能するまでには至っていない。むしろ、依然としてグローバルサウスの有力国が大国間競争をヘッジする上での方途と見た方が正しい。少数の強権的指導者が他国の命運を決する新型「ヤルタ」体制といった評価もある。しかし、彼らだけで物事が決められるほど世界は単純ではない。こうした星雲状態をどのように表現するかは難問である。当面は「分断化」(fragmentation)や「不確実性(uncertainty)」が継続する状態としか言いようがないだろう。
トランプ政権が昨年末に公表した「国家安全保障戦略」は、戦略文書というより米国の国の「かたち」やあるべき姿を示したマニフェストのようなものである。米国がかつての理想的な姿を取り戻すために国家資源を惜しみなく投じる。同盟国・友好国であるか否かを問わず、パートナーの価値は米国の国益に資するかどうかで判断される。もちろん、パワーバランスの変化は続くが、米国は世界最大の軍事・経済大国であり続ける。しかし、世界の公共財提供から撤退し、国益本位の政策判断に転換することを国家エゴや弱肉強食と批判してみても、米国の方向性は基本的にぶれないであろう。
さて、本題のベネズエラ情勢である。2026年は、その米国がベネズエラという独立国家に軍事侵攻し、その政治指導者を拘束・移送して米国で捌くという驚天動地の展開で幕を開けた。米国の軍事行動は伝統的国際法の違反であることは明白であり、西側含め多くの国がそのように評価している。中国やロシアの指導者が同様の軍事行動をとる口実を与える可能性についても批判的に指摘がなされている。いずれもその通りである。法の支配や国際法の遵守を掲げる日本政府にとり、真正面から論評をすることは困難である。ウクライナ侵略を続けるロシアへの厳しい対応との比較で、二重基準とも言われかねない。他方、マドゥーロ大統領は、たびたび選挙結果を歪曲し、国内の反政府勢力を弾圧し、700万人以上に及ぶ同胞を避難民として国外流出を余儀なくさせた正当性を欠く強権指導者である。実際、マドゥーロ政権の崩壊は各方面で歓迎されている。西半球への米国の覇権を忌避する中南米諸国等は相次いで対米批判の声明を出している。でも、それが地域一体の声にならないのも、無慈悲な独裁者の排除をほくそ笑む者が少なくないからである。中国とロシアは対米批判の先頭に立つ。しかし、マドゥーロ政権を支援し、ゼレンスキーや頼清徳の排除や斬首作戦も排除しない国の対米非難は、それだけでは共鳴する国は多くはないだろう。そもそも米国のベネズエラ侵攻があろうとなかろうと、両国の戦略的野心になんらの変化はないのではないか。
トランプ政権の目的を専ら世界最大の埋蔵量を誇る同国産原油への利権に結び付ける論調があるが、それは本質ではない。「国家安全保障戦略」は、西半球における優先目的として、①米国への大量移民の防止、②麻薬テロ、カルテル、越境組織犯罪対策、③敵対的外国勢力の侵入、重要アセット保有の排除等を明記した。これを「トランプ流モンロー主義(Trump Corollary of Monroe Doctrine)」と呼んでいる。実際、大統領は、ベネズエラ侵攻を「ドンロー主義」の実現と位置づけている。マドゥーロ政権は、原油の大半を中国に輸出し、米国がベネズエラとともに「悪の枢軸」と呼んできたニカラグアやキューバへの支援に活用した。単なる経済利益にとどまらない戦略的意義が垣間見える。日本の商社も、同国石油事業に参画し大規模投資を行った。しかし、同国の政情不安や経済制裁のために撤退を余儀なくされた。日本の民間企業が、将来の石油事業に参画するかどうか論ずるのは時期尚早だが、我々は同国情勢を見るときに、こうした経緯も忘れてはならない。
日本政府が軍事行動に対して直接の論評を行わないことは、これら諸般の事情を勘案すればむしろ賢明な判断である。
一方、今回の事態が「力による現状変更」であることに疑いの余地はない。「紛争の平和的解決」、自衛権や国連安保理決議を除く武力行使の違法といった基本原則がまたしても国連常任理事国によって破られたことの禍根は大きい。「法の支配」や「ルールに基づく国際秩序」を推進する日本政府は、こうした現実から逃避することはできない。ベネズエラ侵攻の功罪については両面があることを国民に理解させる取り組みを怠ってはならない。
今後のベネズエラ情勢はどうなるであろうか。結論から言うと、今後の展開はまったく予断を許さない。同国を「運営」するとの米国の意図が意味するところは明らかではない。トランプ政権内でも明確な考えがあるわけではなかろう。アメリカ国民が米軍の対外関与を忌避し、政権内の抑制主義者(restrainer)が存在感を増す中、米国が「軍事占領」し「統治」することはおそらく困難であろう。トランプ大統領は、当面の対話の相手として本来の選挙当選者である野党指導者ではなく、マドゥーロ政権中枢のロドリゲス副大統領に言及した。ロドリゲスは侵攻直後、「大統領はマドゥーロ」と述べるなど、抵抗の姿勢を示した。その後、最高裁により暫定大統領に指名され就任を宣誓するや、米国と協力する姿勢に転じた。この変化を、トランプが「(協力しなければ)もっとひどい仕打ちをうける」と脅迫したからと見る向きがあるが、おそらくそれだけではない。ロドリゲスはトランプ政権との交渉の窓口を務めたこともある人物であることを忘れてはならない。一方、チャビスタと呼ばれる体制に忠実な勢力、政権で既得権益を有する軍や治安機関、政権の裏部隊であった麻薬カルテルなど、体制転換を望まない有力な抵抗勢力は多数存在する。中でも、ディオスダド・カベージョ (Diosdado Cabello)内務大臣の名前は覚えておいた方がよい。彼は、事実上の政権ナンバー2と言われ、全国展開する武装民兵を自ら率いる実力者だ。バイデン政権がカベージョを交渉相手として密使を派遣したこともある。ロドリゲス暫定大統領は、米国とこれら国内勢力との狭間で極めて機微な役回りを演じることが求められる。
また、ベネズエラと国境を接し、数百万人に及ぶベネズエラ避難民を抱えるコロンビアとの関係も不確実性が漂う。トランプは、ペドロ(Gustavo Francisco Petro Urrego)大統領を「コカインを製造し米国に売るのが好きな病んだ男」と酷評した。かつては4月19日運動(M-19)という反政府ゲリラ組織の幹部を務めたこともある。ドンロー主義の観点から左傾化したコロンビアの存続は望まないであろう。しかし、コロンビアの指導者は、不正選挙や強権支配に彩られたマドゥーロとは根本的に異なる。コロンビアに対しベネズエラ同様の軍事行動を起こしたら、国際社会の反応は大いに異なるであろう。トランプ政権は、このことを肝に銘じておかねばならない。
ベネズエラ情勢は、今後の米国による「力による平和」や「ドンロー主義」にどう向き合っていくかを見極めていく試金石である。ベネズエラ攻撃は、国際法違反の軍事行動と民主主義や人権を蹂躙する強権指導者の排除という価値相反的な両面を有することを指摘した。したがって、二項対立的視点で見るだけでは不十分である。ベネズエラとウクライナは同列に論じるのは誤りである。仮に台湾に武力行使が行われるような事態ともまったく異なる。その根本にあるのは、侵攻を受ける国・地域の住民にとっての利益と福祉という視点だろう。日本政府の曖昧な対応には批判も伴おうが、そうした相違を踏まえれば、現時点の対応は現実的である。ただ、今後の帰趨については、いろいろ考えておくべきところがあろう。トランプ政権が西半球を自らの勢力圏と見做す姿勢は揺るぎないと見ておくべきだからである。ベネズエラの国民に真の平和と繁栄がもたらされるかどうか。そして、他の西半球の国・地域への米国の対応がどのようなものになるか。我々は神経を研ぎ澄まして見ていく必要がある。その上で、そうした考察を経た我々の率直な考え方については、時宜を選んで米国に直接伝えていくことが肝要である。メディアを通じて対外批判することはたやすい。しかし、国際秩序や日本の国益に直結する問題について、同盟国として率直に助言をし、状況によっては釘を刺していく姿勢が求められよう。