
本論考は、資史料調査の成果をまとめたものです。日本国際問題研究所の見解を代表するものではありません。
筆者は2025年1月12日に台北に到着し、翌13日から16日 まで現地のアーカイブに足を運んだ。日本国際問題研究所の国際共同研究支援事業補助金「領土・主権・歴史調査研究支援事業」を構成する「日本政治外交史研究会」の委員として、2026年刊行予定の成果論文集に寄稿する一章(「金融・帝国・戦争――「満洲国」承認の国際政治経済学 一九三二 ~ 一九三七」)の執筆のために、中国語の未公刊史料を調査・収集することが訪台の直接の目的であった。
執筆予定の論文の構想は、2024 年 3 月 17 日開催のシンポジウム「2つの開国:幕末~戦後日本の政治と外交」において「戦前大陸政策と国際金融資本」と題して報告しているが1、同報告は日・英・米3ヶ国で収集した公刊・未公刊史料に依拠していた。その中には後述のように部分的に中国語史料も含まれるものの、幣制改革など1930年代の国際金融をめぐる東アジア国際政治において最大の当事国だった中国国民政府の対外政策決定過程は、ブラックボックスのままにとどまっていた。中国経済史研究の重要な成果2や、経済政策を担った宋子文と孔祥熙の路線対立に注目した研究は存在するものの3、たとえば、リース=ロス・ミッションの過程で、陳済棠ら広州の西南派4と南京の中央政府の間にいかなる対立と妥協が生じたのかといった内政との連関は(少なくとも、筆者がアクセスできる日本語文献では)あまりわかっていない5。日中戦争前夜の国民政府の対日政策決定過程について近年、内田尚孝、鹿錫俊、岩谷將といった中国政治外交史家が国史館や中央研究院の史料も駆使した重厚な研究を発表しているものの6、必ずしも国際金融の問題と関連させた分析が主題に置かれているわけではない。筆者は中国史の専門的知見をもたないうえに中文の解読能力も文字どおり初歩的な段階だが、国民国家建設としての幣制統一にむけて、国民党の内部で当時どのような議論が行われていたのかを垣間見たいと考えた。
こうした目論見から、当初は、国史館、中央研究院档案館近代史研究所、国立政治大学党史館の3つのアーカイブを4日間で回る予定を立てた。ただ、この計画はひとえに楽観的な甘い目論見に基づくものであり(台湾における史料調査自体、今回機会をいただいたのが初めてだった)、史料の山の前に右往左往するうちに、国立政治大学党史館には足を運ぶことができないまま、滞在期間が終わってしまった。そのため、本海外史料調査で得られた豊かな成果に基づき、本年3月に筆者は別途、中央研究院と党史館で追加調査を行った。以下で報告する内容には、その後の追加調査で得た知見も混ざっていることをお許しいただきたい。
国民党関係の未公刊史料は各地に散在している。第一が、北米である。スタンフォード大学フーバー研究所の蒋介石日記・蒋経国日記は著名だが、他にもArthur N. Young 、張公権などの私文書が筆者の関心からは興味深い。国民政府の財政金融政策の最重要人物の一人である孔祥熙(H. H. Kung)の文書は現在、デジタル化が進んでいて多くを読むことができる7。同様に重要な宋子文(T. V. Soong)の文書は、残念ながら太平洋戦争期のものが中心 で、かつて三谷太一郎が魅力的に描きだした9、満州事変後の1930年代前半に国際金融政策で辣腕を振るった時期の宋の文書は含まれておらず、この時期の宋の動向をこの私文書から知ることはできない。フーバー研究所の他にコロンビア大学バトラー図書館が(フーバーと別の)孔祥熙、陳光甫10、(外交官であるが)顧維鈞の私文書を所蔵しており、孔と陳についてはオーラルヒストリーもある11。政治外交史におけるこうした中国銀行家の役割への着目はまだ緒についたばかりであろう12。
第二が、今回の台湾である。もちろん、中国大陸所在のアーカイブズにも国民政府期の文書は残っているはずだが、筆者は全く通じていない13。台北中心部にあり最もアクセスがよい国史館本館では、デジタルカメラの持ち込みが許されているため、備えつけのPCから必要に応じて画面上に映った(電子化された)史料を撮影することになった。ただ、史料のオンライン公開が進んでおり、最も活用した「蔣中正総統文物」をはじめ、戦前の所蔵史料の多くは日本から登録・閲覧が可能だった。現地でのみ閲覧できる電子化資料もいくつか入手したものの、個人文書など電子化されていない原档案を所蔵している新店館での調査を優先させてもよかったかもしれない14。
次に、中央研究院近代史研究所档案館では、北京大学教授として1930年代に日中関係に関する発言をしばしば行う知識人で、1938年から駐米大使を務める胡適の個人文書(の公刊資料集に未収録の分)を中心に閲覧した。また国民政府外交部档案については、登録すれば日本からオンラインで閲覧できることが判明したため、1935年から37年の時期(35年後半に広田三原則の提示にいたる緩やかな合意が日中間で築かれたものの、翌36年に張群外交部長が事実上反故にし、その後日中交渉が停滞していく時期)を中心に帰国後にまとめて確認した。今回の論文では活用にいたらなかったが、日本側の戦前期外務省記録とすり合わせた分析を今後も行っていきたい。広大な中央研究院の敷地の中で近代史研究所档案館にたどり着くまでやや苦労したものの、アーキビストの方に(英語で)親切に閲覧方法を教示していただいた。撮影は禁止されており、筆者が閲覧した電子化資料の場合、備え付けの指定のPCから必要な文書を印刷する形となる(料金は1枚2TWD)。WI-FIも利用可能である。
最後に、最も中心部から離れた国立政治大学党史館では、「中行廬經世資料」(張群関係文書)および国民党中央政治会議の速記録を主に閲覧した。なお、中国語および中国語圏PCの運用能力を欠く筆者はこれまで、PC上の電子化資料にアクセスする際は、文書番号(数字)を入力することで目当ての文書にたどり着いてきた。ただ党史館では、備えつけのPC上の検索システムに文書番号(数字)を入力することはできない。そのため、キーボードをアルファベット表記の設定にした上で、検索する漢字のピンインを入力していく必要がある。また、アカウントの設定にあたっては最初にオンラインからアクティベートする必要があるため、ポケットWI-FIや大学関係者ならeduroamなどインターネット接続環境を自前で準備することが必須である(WI-FIは大学構内には飛んでいるものの、党史館内部にはない)。筆者は前任校から留学していた中国政治史専攻の大学院生の方に頼ることになったが、中国語が活用できないとなかなか最初の利用登録は難しいかもしれない。また、撮影に加え印刷も不可のため、自身のPCを持ち込んで史料を打ち込んでいくことになる。張群の文書に関してはとくに広田三原則の受容過程に関する史料を今回の論文で利用することができた。また利用にはいたらなかったが、党中央政治会議については、国民政府の政策決定過程の理解には不可欠な存在として中国史の側ですでに研究も出てきているため、筆者は自前の解釈を施す能力は欠いているが、そうした研究蓄積に習いつつ今後活用していきたい。
今回の訪台を通じて、国民政府の対外政策決定過程に近づくことができたかどうか全く心もとないが、今後何を糸口に接近すればよいかのヒントを得られた点で、大いに意義のある調査となった。広大な中国における地理的な遠心性はもちろんのこと、南京内部においても、すでに先行研究が指摘している蔣介石・汪精衛・孔祥熙三者の、また孔祥熙と宋子文の、さらに統治機構レベルでも各院の間や五院(行政府)と党の間の、といった重層的・多元的な競合を見出すことができ、こうした競合から生まれた遠心性が国際金融をめぐる対日外交にどのように作用したのか、を少なくとも想定はしておかないと、日中関係史をダイナミックに再構成できなくなる恐れがある。
筆者の提出した論文では、中国側の政策決定過程の遠心性(とその統御)という点には踏み込まず、もっぱら日本側の政策決定過程の遠心性がもつ新たな含意の析出に集中した。すなわち、国際金融には、利害の異なる諸国家をポジティブ・サム的に架橋できるという(期待を惹起させる)糾合性とともに、融通無碍性――異質な利害の糾合が楽観視されるがためにかえって各アクター(南京総領事・関東軍以外の陸軍出先(在上海公使館付武官、天津軍))の期待に基づく独自行動を加速させたり、逆に金融のそうした効果への強烈な反撥(南次郎関東軍司令官)を引き起こしたりする――が作用する。国際金融を切り口にすることで、1930年代の周知の対外政策決定過程のエントロピーに異なる光を当てられると考えたのである。
日本側の遠心性を理解するには、このような国際金融に期待したような外務省・陸軍の各出先について、十把一絡げではない、繊細な分節化に基づく分析を加えることが必要となる。つとに北岡伸一「支那課官僚の役割――政軍関係の再検討のために」(『年報政治学』40、1989)15が指摘したように、1920年代日本の中国政策にとって真に重要だったのも、(陸軍と外務省の対立などより)北京と満洲という地理的拠点の違いだったかもしれない。こうした地理的条件こそがある組織の政策や思想を形作っていくとすれば、中国側の中央政府および首都が移動した時代に、日本の複数の拠点の間でどのように情報が集約され、人事や政策が展開していたかの解明は、今後の課題であろう。日本の軍出先についても、たとえば磯谷廉介のような「在上海公使館付武官」がいかなる役職・キャリアパスであり、各在外公館や他の軍アクターとどのような関係にあったかについて、体系的な見取り図はまだ提示されていない16(在外公館についても、たとえば奉天と北平と南京でどのような視点の違いがあったのかといった論点は深められていない17。このような日本の遠心性のメカニズムを新たに定位することで、中国側の政策決定過程を拘束していた日本側の事情についてより蓋然性の高い説明が可能になり、ひいてはポイント・オブ・ノー・リターン論18とは異なる1930年代の日本政治外交史理解に繋がっていくように筆者は考えている。戦前日本の大陸金融政策が満洲、華北、そして開戦後は上海で中国側にカウンターパートを見出せるような雰囲気をその都度醸成しながら、結局のところ失敗に終わったゆえんは、このような両国政府のガバナンスの点から迫ることができるのではないだろうか。
- シンポジウム当日の録画は、日本国際問題研究所のYoutube において配信されている。https://www.youtube.com/watch?v=KrISuYs_53w
- 城山智子『大恐慌下の中国――市場・国家・世界経済』(名古屋大学出版会、2011)。
- 樋口秀実「一九三五年中国幣制改革の政治史的意義」(服部龍二・土田哲夫・後藤春美編『戦間期の東アジア国際政治』中央大学出版部、2007)。久保亨『現代中国の原型の出現:国民党統治下の民衆統合と財政経済』(汲古書院、2020)第Ⅱ部第2・3章。古典的な研究として、Parks M. Coble, The Shanghai Capitalists and the Nationalist Government, 1927-1937, Harvard University Press, 1980.
- たとえば、武器輸出先および原料調達源として広東を重視していたナチス・ドイツは、西南派と南京国民政府の両者と関係を保つ二正面作戦をしばらくとっており、この「広東プロジェクト」が国民政府の激しい反発を招いたことが知られている。田嶋信雄『ナチス・ドイツと中国国民政府――一九三三-一九三七』(東京大学出版会、2013)、同『ドイツ外交と東アジア 1890~1945』(千倉書房、2024)。この淵源ともいうべき、第一次世界大戦後の広東政府の外交については、川島真『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、2004)507、647頁、同「広東政府論――初期外交からの検討」(松浦正孝編『昭和・アジア主義の実像――帝国日本と台湾・「南洋」・「南支那」』ミネルヴァ書房、2007)を参照。
- ただ、1930年代米国の極東政策に関する最重要文献の1つである高光佳絵『アメリカと戦間期の東アジア――アジア・太平洋国際秩序形成と「グローバリゼーション」』(青弓社、2008)では、中国幣制改革をめぐる中国側での諸対立(汪兆銘や西南派の動向など)にも目配りがなされている(115、127頁など)。また近年、国際援助政策をめぐる宋子文の政治指導を、政府内では汪精衛、政府外では山西派(閻錫山)や西南派(胡漢民)との競合/連合の観点から活写する帶谷俊輔「国際開発の起源としての国際連盟対中技術協力:財政金融支援の蹉跌と「技術」の独立(2・完)」(『成蹊法学』102、2025)が現われた(112-114、116、103頁)。本史料調査をもとにした寄稿予定論文とは対象時期が若干異なるが、英・米・台の未公刊史料のみならず、著者が参照できていない中文の公刊史料と先行研究も博捜しており、借款をめぐる満洲事変期中国の政府内政治や中央地方関係について、最初に参照されるべき業績である。
- 内田尚孝『華北事変の研究――塘沽停戦協定と華北危機下の日中関係 一九三二―一九三五年』(汲古書院、2006)、同「冀察政務委員会の対日交渉と現地日本軍――「防共協定」締結問題と「冀東防共自治政府」解消問題を中心に」(『近きに在りて』51、2007)、同「冀察政務委員会の設置と日本の対華北政策の展開」(『言語文化』15(1)、2012)、同「冀察政務委員会と華北経済をめぐる日中関係」(『言語文化』15(2-3)、2013)、同「察哈爾をめぐる日中関係 ――「土肥原秦徳純協定」の成立過程」(『コミュニカーレ』2、2013)、同「1935年、「華北事変」期における日中外交交渉の再検討 ―― 「満洲国」問題と「三原則」をめぐる日中間の対立」(『GR-同志社大学グローバル地域文化学会紀要』1、2013)、同「川越茂・張群会談再考 ――国民政府内の議論を中心に」(『コミュニカーレ』3、2014)、同「川越茂・張群会談と綏遠事変」(『コミュニカーレ』4、2015)、同「支那駐屯軍増強と豊台事件」(『コミュニカーレ』6、2017)。鹿錫俊『中国国民政府の対日政策1931-1933』(東京大学出版会、2001)、同『日中全面戦争に至る中国の選択1933-1937 :「防共」と「抗日」をめぐる葛藤』(東京大学出版会、2024)。岩谷將「1930年代半ばにおける中国の国内情勢判断と対日戦略――蒋介石の認識を中心として」(『戦史研究年報』13、2010)、同「臨汾における政治勢力とその統治」(三谷孝編『中国内陸における農村変革と地域社会――山西省臨汾市近郊農村の変容』御茶の水書房、2011)、同『盧溝橋事件から日中戦争へ』(東京大学出版会、2023)、同『民主と独裁の相克――中国国民党の党治による民主化の蹉跌』(千倉書房、2024)。また、1930年代の中央地方関係については、光田剛『中国国民政府期の華北政治:1928-37年』(御茶の水書房、2007)を参照。
- URL:https://www.hoover.org/library-archives/histories/hhkung/intro
- 呉景平・郭岱君編『宋子文駐美時期電報選 ――1940-1943』(復旦大学出版会、2008)をはじめとする史料集が刊行されている。
- 三谷太一郎『ウォール・ストリートと極東――政治における国際金融資本』(東京大学出版会、2009)第7章(論文初出1980)。
- なお上海市档案館が所蔵する陳光甫日記は翻刻されている。影印版を含むヴァージョンとして、何品・宣剛編『陳光甫日記言論集』(上海遠東出版社、2015)。
- このオーラル・ヒストリー・シリーズは、他にも外交官の蔣廷黻、さらに国務省親日派のバランタイン(Joseph Ballantine)やドゥーマン(Eugene Dooman)のものも含まれ、有用である。三谷太一郎「戦前・戦中期日米関係における米国親日派外交官の役割――J・バランタインとE・ドウマンについて」(『外交フォーラム』36~39、1991)も参照。
- 日中経済提携構想および中国における銀行の政治的役割については、以下を参照。松浦正孝「再考・日中戦争前夜――中国幣制改革と兒玉訪中団をめぐって」(『国際政治』122、1999)。林幸司『近代中国と銀行の誕生――金融恐慌、日中戦争、そして社会主義へ』(御茶の水書房、2009)。秋田朝美「1937年前半期における「中日貿易協会」と日中経済提携構想」(『現代中国』85、2011)。金子肇「民意に服さぬ代表 ――新国会の 「議会専制」」(深町英夫編『中国議会100年史――誰が誰を代表してきたのか』東京大学出版会、2015)。武藤秀太郎「堀江帰一と張公権――挫折した自由貿易主義の理念」同『大正デモクラットの精神史――東アジアにおける「知識人」の誕生』(慶應義塾大学出版会、2020)。矢野真太郎「1930年代の福建省における日中「経済提携」――外務省の対福建省政策と福建省主席陳儀の対応」(『中国研究月報』75(9)、2021)。藤井崇史「満洲事変後における日本の対中経済外交と実業界――南京国民政府の関税改定問題を中心に」(『史学雑誌』131(11)、2022)。前掲、帶谷「国際開発の起源としての国際連盟対中技術協力(2・完)」。
- 1990年前後から広東省档案館、上海市档案館、天津市档案館、遼寧市档案館、吉林省档案館、中国第二歴史档案館などが所蔵する文書の翻刻が刊行されているが、必ずしも国内の大学図書館に広く所蔵されていないこともあり(たとえば、西南派指導者である陳済棠に関する『陳済棠研究史料(1928-1936)』(広東省档案館、1985)は、検索する限りでは日本国内の研究機関には所蔵されていない)、こうした資料集の公刊状況についての全体像を(筆者を含む)日本史研究者は把握できていないだろう。
中国語公刊資料については、戦後が中心だが、三宅康之「中国外交史を中心とする中国語資料・情報源の紹介及び国立国会図書館の蔵書評価」(国立国会図書館『アジア情報室通報』20-4、2022)、また中国第二歴史档案館については、川島真「南京第二歴史档案館訪問報告」(https://www.kawashimashin.com/?p=1733)が参考になる。 - 国史館の利用については、下記が参考になる。
・福田円「台湾現代史史料をめぐる動向――歴史と現実政治との対話」(『交流』975、2022)https://www.koryu.or.jp/Portals/0/images/publications/magazine/2022/6%E6%9C%88/2206_02fukuda.pdf
・高田幸男「台湾 国史館における史料収集 2023年夏」(『明大アジア史論集』28、2024)
・林幸司「台湾調査旅行」(researchmap2023年9月1日投稿記事)(https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/134317/6034959c03c4d503d465aaf7076590a3?frame_id=694068) - その後、北岡『官僚制としての日本陸軍』(筑摩書房、2012)に再録された。同書352頁が、軍官僚の政策や思想にはその組織内の勤務環境が強い影響を及ぼす側面に注目して「組織的=心理的アプローチ」を提唱していることも、きわめて示唆に富む。
- 中国駐在武官体制についての先駆的業績として、防衛研究所所蔵の磯谷資料を活用した波多野澄雄「一九三五年の華北問題と上海武官」(岩倉規夫、大久保利謙編『近代文書学への展開』柏書房、1982)があるが、この論点はその後深められたとはいえない。中国における複雑さについては、立川京一「我が国の戦前の駐在武官制度」(『防衛研究所紀要』17(1)、2014)が、「中国で蒋介石が南京に政府を樹立した際、北京に駐在していた公使館付陸・海軍武官は上海に移駐した。その際、補佐官は北京(北平)にとどまり、武官並みの働きをした」(147頁)と指摘していることが参考になる。
- 須磨弥吉郎南京総領事に関する貴重な専論に、加藤陽子「須磨弥吉郎――広田外交の奥行き」(『彷書月刊』1988年4月号)。また、「北平大使館記録」を活用した研究書として、劉傑『日中戦争下の外交』(吉川弘文館、1995)、前掲、岩谷『盧溝橋事件から日中戦争へ』がある。
- 研究史の優れたレビューとして、戸部良一「日中関係安定化の機会喪失(1933-1937)をめぐって――最近の研究動向から」(『國學院雑誌』97(4)、1996)を参照。