
2月13日から15日にドイツで開かれたミュンヘン安全保障会議(Munich Security Conference)に参加した。
本年も、世界中から1000名以上の首脳級、閣僚級を含む政府高官、有識者が集まり、各国指導者が登壇するメインステージに加え、世界のトップクラスのシンクタンクが主催するサイドイベントが200以上催された。弊所・日本国際問題研究所もコロナ禍で中断していた対面参加を再開して3年目に当たる本年、日本政府の支援も得て、サプライチェーンに着目した経済安全保障に関するサイドイベントを実施した¹。
ミュンヘン安全保障会議(以下MSCと表記)が数多の国際会議がある中で突出して高い評価を得ているのは、登壇者の多くが外交・安全保障政策の最前線にある政治・行政の指導者で固められ、毎年サイドラインでG7外相会合のような重要プラットフォームが実施されるなど、外交上の重要日程に組み込まれ、国際情勢の帰趨に多大な影響を与えるイベントとなっているからである。「ミュンヘン安全保障会議」と称する主催団体は、会議に合わせ複数のテーマを取り上げ研究レポートとして公表する。これらが多数のラウンドテーブルにおける議論に対する基本的な問題設定を提供することになり、アジェンダセッティングという面でも主導権を発揮する効果をあげている。
本年は、「崩れ行く国際秩序」、抑止政策と核オプションを中心テーマに据えた。“Under Destruction”と題する安全保障年次報告²は、表紙に巨大な象のモチーフが描かれ、大国が戦後国際秩序を蹂躙する様子を仄めかす。G7諸国で実施した調査では、現在の政府の取組みで将来の生活が向上すると回答したのはほんの僅かに過ぎず、国内的にも国際的にも現行の仕組みは国民のニーズに対応していないと実感されているとする。建物を壊すブルドーザーや鉄塊のような重機で秩序破壊をする手法(wrecking-ball politics)を称賛する向きもあると述べる。一方、ルールより力を選好する駆け引き主義(transactionalism)は、変化を望む人々の助けにはならず、強者と弱者を際立たせると断じる。パックス・アメリカーナの終焉は、欧州とインド太平洋で特に影響が大きいとし、ウクライナの戦況、米国の関与後退、グリーンランドを巡る亀裂は、欧州にワシントンの変化を実感させる。米国の関与維持に努めつつも欧州の自律性向上を目指すべきだと結論づける。インド太平洋では、中国との競争を公言する米国の言動は矛盾を含んでおり、米国のつなぎ止めに努める国と他にヘッジを模索する国に分裂していると分析する。このほか、経済秩序については、米国を中国とともに不公正貿易国家と名指しし、各国は貿易制限措置を講じる必要に迫られていると同時に、WTOの原則を基礎とした新たな経済連携を模索していると述べている。
もうひとつ紹介しておきたいのは、「抑止の隙間に注意」(“Mind the Deterrence Gap”)というレポートである³。副題は「欧州の核オプションを検証」(Assessing Europe’s Nuclear Options)である。日本でも非核三原則、核共有、独自核保有に言及する論者が出てきたが、まだ極めて少数であるし、具体的に現実的シナリオを提示した論者はいない。MSCのレポートは、米国の対欧州拡大核抑止は冷戦以降で政治的に最も脆弱だとし、5つのシナリオを提示する。①米国の拡大抑止再強化、②英仏核戦力の欧州核抑止への役割拡大⁴、③超国家的な欧州独自核、④新たな核保有国の容認、⑤核オプションなき通常戦力による抑止。それぞれのオプションについて、コミットメント・能力の信頼性、財政的・法的・政治的フィージビリティ、国民の支持の各側面について詳細に比較考察している。いずれもコスト、リスク面で難点があるか、信頼性とフィージビリティのいずれかが欠けるトレードオフの状態となっており、最善の解決策はないという結論である。米国の拡大抑止強化が最も現実的な選択肢であるが、米国に欧州防衛の意思があると期待することはできず、その拡大抑止を当然視してはいけないと述べ、欧州は真剣にこれらの選択肢の間隙を埋める知的考察を急ぐべきだと警告する。
会場での議論はどうであったか。メインステージに登壇した首脳や閣僚は注意深く言葉を選びつつも、最早、環大西洋同盟は新たなフェーズに入り、欧州は米国を当てにしない安全保障を構築しなければならない決意を表明した。もちろん、欧州の安全保障に米国が関与しなくなることは現実的ではなく、米軍撤退やNATOの解体が俎上に上がることはないだろう。しかし、グリーンランド問題やロシア寄りの停戦交渉など、欧州の米国に対する信頼は揺らぎを超えて消滅へと向かっている。これに伴い、いわゆる「NATOの欧州化」プロセスも既に不可逆な程度まで進んでいるとも言えるだろう。
ルビオ国務長官の演説は、欧州の移民政策やリベラルな政治体制をこき下ろした昨年のバンス・ショックと異なり、穏当な表現で米欧関係の再構築を訴えた。しかし、MAGAが親近感を持つとされる「血と土のナショナリズム」を代弁する勢力を欧州が受け入れるよう求めることも忘れず、会議参加者からは一様に、ワシントンの認識は何ら変わっていないという冷めた反応が相次いだ。
国際秩序をめぐっても、多くの首脳から発言があった。ドイツのメルツ首相が先陣を切り、国際秩序の現状を破壊(destruction)や浸蝕(erosion)と表現する発言が相次ぎ、新たな秩序を作る(reshape)必要性を唱える者も多かった。カナダのカーニー首相が行ったダボス演説と同様の認識が欧州の首脳からも堂々と語られ始めたと言える。
昨年末に公表された「国家防衛戦略」を主導したと言われるエルブリッジ・コルビー国防次官も複数のパネルに登壇した。筆者は、コルビー氏への単独インタビュー形式の“Decent Peace?”と題するセッション⁵に参加した。モデレーターは、バルトの一国がロシアに侵略され、NATO第5条(集団的防衛措置)の適用を要請した場合の米国の反応を幾度も尋ねた。しかし、コルビー氏は明確な回答をせず、米国の拡大抑止は強力であるなどと従来の発言の繰り返しに終始した。対露抑止として戦略的曖昧性は必要である。しかし、既にその段階は超えているというのが大多数の感覚である。対中国の第一次列島線防衛へのコミットと比較すると、欧州との同盟に対する宣言的言辞として何とも物足りない反応であることは否めない。このように、米欧関係の現実はかなり厳しい段階に来ていることを十分認識すべきであり、この状況はよほどのことがない限り反転しないであろう。MSC代表のイッシンガー大使(Wolfgang Ischinger)は、閉会の辞で「いま我々に必要なのは、欧州は何をするべきかという問いに対する計画であり、行動であり、回答である。」と締めくくった。
このほか、今回のMSCでは人工知能(AI)や新興技術に関するサイドイベントが数多く催され、テック企業からも多数の参加があったことも印象的であった。米中両国によるAI覇権形成の狭間で、主権と自律を維持するためにどう対処すべきかという問題意識が広まっている。軍縮関連のラウンドテーブルでは、議論の大半はAIが核政策や核抑止にもたらす危険性に関する議論に割かれた。通常戦力についても、ウクライナで明らかとなったドローン、無人機、ロボット、電磁戦を駆使する非対称戦という新たな脅威についての議論が多く見られた。
MSCは、環大西洋同盟の体温を実感できるまたとない貴重な機会である。この関連で、何点か指摘しておきたいことがある。日本の政策関係者は一様に、欧州大西洋とインド太平洋の安全保障は密接不可分であり、欧州やNATOとの連携強化を主張する。ただ、その際に、ともに米国の同盟国でありつつも、直面する安全保障の課題に対する向き合い方はかなり異なることを十分認識しておく必要がある。
いまや米国が国際秩序再編を目論む側に回り、壊れかけている国際秩序への対応でG7など民主主義勢力が結束することはいよいよ難しい。それでも米国の民主主義は強靭であり揺り戻しがあるかもしれないと考えがちな日本とは異なり、米国とは価値観の話はできないという欧州の感覚は相当なずれを感じる。これに対して、国際法や国際秩序の重視、自由貿易やマルチラテラリズムの維持といった中国のナラティブは相当浸透している。過剰生産や経済威圧など中国のもたらす諸課題は欧州でも相当程度共有されてきている。しかし、ロシアが安全保障上の現実的脅威であるのとは異なり、中国は欧州への直接的脅威とは認識されていない。ウクライナを巡る対ロ支援や経済安全保障の問題に関する中国への警戒は高まっているとはいえ、欧米関係の亀裂が深まる中で、中国との根本的対立は回避し、安定的関係の維持に努める方が得策である。我々は欧州と向き合う時にこうした現実も頭に入れておく必要がある。
ミュンヘンには多数の中国の政府関係者、シンクタンク、メディアが招かれている。長年にわたる中国の浸透努力の成果であり、その影響は過小評価してはならない。およそ中国が関係のあるパネルには誰かが参加し、流暢な英語で中国のナラティブを展開する。王毅外相は単独でメインステージに登壇し、中国語でやりとりする特別扱いが認められている。中国の浸透力はすさまじい。かたや日本は、今年こそ茂木外務大臣、小泉防衛大臣が登壇し、日本の視点や関心を積極的に発信したが、例年のプレゼンスはほぼ皆無に等しい。日本の国会で予算委員会と重なる日程がネックにあるためだが、閣僚の出席が困難としても、様々な形で日本の発信をできる者を参加させる努力をオールジャパンで推進する必要がある。日本国際問題研究所は幸い毎年招待を受けているが、同時進行で行われる複数のラウンドテーブルを一研究所でカバーすることは毛頭できない。日本には英語で渡り合える優秀な政策実務者や有識者が多数いる。そうした有為な人材を欧州最大の外交安全保障のプラットフォームに送り込む必要がある。
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https://securityconference.org/en/publications/special-editions/mind-the-deterrence-gap/
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3月2日に行われたマクロン大統領による演説は、欧州の核抑止に関する議論へのフランスの新たな立場を表明したものとして注目される。直近の分析として国際問題研究所特別研究員Timothée Albessard(Special Research Fellowの戦略コメント“Forward Deterrence” and the New Age of France’s Nuclear Deterrence (https://www.jiia.or.jp/eng/report/2026/03/strategic_comment_2026-7.html)を参照。