
「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。
米国トランプ大統領による追加関税措置に各国が対応を追われる中で、ロシアのウクライナへの軍事進攻が続き、また、米国とイスラエルがイランを攻撃するなど、世界的に貿易、経済動向への不確実性が高まり、原油価格の高騰や国際金融市場の動揺など悪影響も懸念されている。一方、世界貿易機関(WTO: World Trade Organization)による多角的自由貿易体制の下、地域的な自由貿易協定(FTA: Free Trade Agreement)や経済連携協定(EPA: Economic Partnership Agreement)を通じた貿易投資の自由化円滑化の取組も着実に進んでいる。2017年に米国が環太平洋パートナーシップ(TPP: Trans-Pacific Partnership Agreement)協定を離脱した後、米国を除くオーストラリア、ニュージランド、日本、ブルネイ、マレーシア、シンガポール、ベトナム、カナダ、メキシコ、チリ、ペルーの11か国で2018年に発効した環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP: Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership)には英国が2024年に加盟している。この間、中国、チャイニーズ・タイペイ、カンボジア、インドネシア、フィリピン、コスタリカ、エクアドル、ウルグアイ、ウクライナ、アラブ首長国連邦(UAE: United Arab Emirates)などいくつかの経済がCPTPP参加を正式に申請 し、コスタリカとウルグアイの加盟手続が交渉されている。また、2025年11月には、CPTPPと東南アジア諸国連合(ASEAN: Association of Southeast Asian Nations)及び欧州連合(EU: European Union)との貿易投資対話閣僚会合も開催されている。
国際貿易は世界的に近接する地域間で比較的多くなっており、FTAやEPAの締結も大陸内が中心でアジアとアメリカなど大陸間の締結は少なくなっている。2022年の地域的な包括的経済連携(RCEP: Regional Comprehensive Economic Partnership)協定の発効以来、日本は2026年2月には日・バングラディシュEPAに署名し、22のFTAやEPAなどを発効済・署名済である1が、CPTPP加盟国を除くと欧米ではスイス、EU、米国と協定が締結されている限りである。なお、日米貿易協定は元よりRCEP協定はWTOの地域貿易協定(RTA: Regional Trade Agreement)データベースには含まれていない。関税および貿易に関する一般協定(GATT: General Agreement on Tariffs and Trade)の下で自由貿易地域として認められるために必要な「実質的に全ての貿易」を自由化する関税削減が実施されておらず、日本、米国、中国の間では今後の更なる関税削減の余地が大きく残されていると考えられる。
南米南部の共同市場であるメルコスール(MERCOSUR:Mercado Común del Sur)は1995年に域内の関税撤廃などを目的として発足した関税同盟である。アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラの加盟6か国に加えて、チリ、コロンビア、エクアドル、ガイアナ、パナマ、ペルー、スリナムの7か国が準加盟国となっている。13か国を合せたGDPは2025年には4兆7,000憶ドルになり日本(4兆4,000億ドル)を上回る経済規模となっている2。域内では世界第11位のブラジルのGDPがメルコスール全体の50%程度に相当し、続くアリゼンチン、コロンビア、チリ、ペルーの5か国を合せると90%近くを占めている。

メルコスールが日本の輸出市場に占める割合は1.32%、また、輸入に占める割合も2.83%と、表1に示される通り、CPTPPに加盟しているチリ、ペルーを含めてもメルコスールの世界的な経済規模に比べて小さくなっている3。産業別には日本からメルコスールへの輸出は自動車及び部品(40.3%)、電子機器(22.6%)、その他機械・設備(6.9%)など機械・設備を合せると70%程度になり、日本の世界全体への輸出に比べても特に自動車及び部品の輸出が2倍近く多くなっている。また、日本のメルコスールからの輸入は鉱業(52.0%)と農林水産業・食品(32.1%)で80%を上回り、共に日本の世界全体からの輸入に比べて2倍程度集中していると見られる。牛肉はアルゼンチン、ブラジル、チリなどから輸入されているが、メルコスールからの輸入が世界全体に占める割合は1%に満たず、オーストラリアと米国からの輸入が80%を超えている。なお、日本のメルコスールからの輸入に賦課されている関税率は平均1.9%で世界平均(2.1%)とあまり変らない一方、メルコスールが日本からの輸入に賦課している関税率は平均9.6%で世界平均(4.2%)に比べて2倍以上高くなっている。産業別には、日本の輸入関税は農林水産業・食品、繊維で残っている一方、メルコスールの輸入関税は鉱業を除いて産業横断的に高く、特に自動車及び部品で高くなっている。

日本とメルコスールがEPAを締結し、相互に関税を100%撤廃すると、GTAPが提供する標準的な世界貿易応用一般均衡(CGE: Computable General Equilibrium)モデルを用いたシミュレーション分析によれば、表2に示される通り、実質GDPは日本で0.05%、メルコスールで0.06%増加し、双方とも同じ程度マクロ経済的な便益を享受する可能性が示されている。メルコスールの関税撤廃によって日本のメルコスールヘの輸出は82.6%の増加と倍増し、世界全体への輸出も0.25%増加すると推計されている。一方、日本の関税撤廃によってメルコスールからの輸入は増加するものの、関税がかかっていない鉱業が輸入の半分を占めることから9.9%の増加に留まり、世界全体からの輸入も0.38%の増加と推計されている。また、輸入物価の下落によって民間消費も増加している。モデル分析からは、実質GDPの増加効果は、双方とも日本のメルコスールからの輸入に対する関税撤廃よりも専らメルコスールの日本からの輸入関税撤廃によってもたらせることも示唆されている。上述の通り日本より高い関税を賦課しているメルコスールが関税を削減することが経済効果のカギを握ると考えられる。なお、日米間で関税を撤廃すると日本の実質GDPは0.09%増加すると推計されている。日本のメルコスールへの輸出が米国への輸出の10分の1にも満たないことに比べると、メルコスールとの関税撤廃による実質GDP効果が米国との関税撤廃の場合の半分に相当することは比較的大きいと言えよう。
関税撤廃の産業別の効果は以上のマクロ経済的な効果に比べてより大きくなる。理論的には各経済の比較優位を反映して勝者と敗者が生まれることが期待されているが、実際には関税撤廃前の関税水準によって左右され、社会科学の実験室である経済モデルによって事前に定量的に分析しておくことが政策当事者にとっても有益と考えられる。本稿のシミュレーションによれば、日本ではメルコスールの関税が最も高い自動車及び部品の生産が他の産業に比べて大きく増加(0.86%)し、その他機械・設備の生産も増加するものの、電子機器の生産は必ずしも増加しない可能性が示唆されている。一方、依然として日本の関税が残っている農林水産業・食品、繊維・衣料の生産は、関税撤廃による輸入増加の結果、減少することが示されている。農林水産業・食品生産の減少(▲0.23%)は日米間の関税撤廃による日本の農林水産業・食品生産の減少(▲2.37%)に比べれば10分の1程度に留まっているものの、センシティブな分野を始め実際のより確かな経済効果は更に詳細に分析する必要があろう。日本と対照的にメルコスール側では農林水産業・食品、繊維・衣料の生産が増加し、自動車及び部品、その他機械・設備の生産が減少すると推計されている。何れもメルコスール各国間でその増加、減少の程度が異なることも留意されよう。
EPAには関税の撤廃に加えて非関税措置の削減、サービス、投資の自由化など幅広い貿易政策の取組が期待されてきている。ただし、21世紀型の新たなEPAと言われ、関税に加えて非関税措置、サービス、金融、投資、電気通信、電子商取引、政府調達、競争政策、知的財産、労働、環境など30章からなるTPPでも、実際に合意された協定に基づく非関税措置削減の効果は限られており、関税削減効果が依然として大きいとの指摘(Ciuriak, Dadkhah and Xiao, 2016)もある4。ルールベースの国際経済秩序の再構築などが提唱されているが、予見可能性や貿易制度の安定への貢献に加えて、経済効果の観点からは具体的に貿易の価格や数量に貨幣価値で見た効果を与える政策措置が肝要である。日本のEPAでは貿易の自由化が主とされるFTAと対照的に経済協力などによる開発にも留意してきたと見られる。メルコスールとのEPAでは、関税削減ではメルコスール側の貢献が大きくなると考えられることから、日本側のその他の分野における貢献により、相互に経済的な便益を享受出来ることを期待したい。
- 我が国の経済連携協定(EPA/FTA)等の取組、外務省、令和8年4月10日。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/fta/ - 国際通貨基金(IMF: International Monetary Fund)、世界経済見通し(World Economic Outlook)データベース。
https://www.imf.org/en/publications/sprolls/world-economic-outlook-databases - 世界貿易分析プロジェクト(GTAP: Global Trade Analysis Project)、GTAP 11 Data Base。https://www.gtap.agecon.purdue.edu/databases/v11/
- Ciuriak, Dan, Ali Dadkhah and Jingliang Xiao (2016), “Better In than Out? Canada and the Trans-Pacific Partnership,” E-Brief, C.D. Howe Institute, April 21, 2016.