1934(昭和9)年に撮影された竹島とニホンアシカの映画

井上貴央(鳥取大学名誉教授)

1934(昭和9)年に撮影された竹島とニホンアシカの映画

日本海の孤島・竹島。江戸時代から島に出向いて海産物の採取やアシカ猟が行われていた記録が残る。簡単に渡航できる島ではない。ニホンアシカが生息し、その猟が行われていたという物珍しさもあって、取材に何人かの新聞記者が訪れた。ちなみに、ニホンアシカはかつて日本列島や朝鮮半島の一部に広く生息していたが、戦後まもなくその姿を消してしまった海獣である。

1934(昭和9)年6月の大阪朝日新聞社による取材は大規模なものだった。大阪市立動物園の獣医や動物商を伴って竹島に渡り、島やアシカ猟の様子を11回にわたる連載記事にし、リヤンコウ大王と呼ばれたアシカの剝製標本の製作や「リヤンコウ島納涼展」を主催した。渡航メンバーは松浦直治記者と長谷川義一写真部員、大阪市立動物園の寺内信三獣医、神戸の中田忠一動物商の4名で、アシカ猟の権利を持っていた池田幸一宰領と長年アシカ猟に従事し竹島を知り尽くしている中渡瀬仁助頭領が取材に対応した。

かつて隠岐諸島におけるニホンアシカの聞き取り調査をしていた筆者と佐藤仁志氏(元島根県立三瓶自然館指導課長)は、1992 年10 月に中渡瀬頭領の縁者である中渡瀬ナツさんから一冊のアルバムを譲り受けた。中表紙には「贈中渡瀬氏 日本海リヤンコウ島海驢狩記念 昭和九年六月大阪朝日新聞社 長谷川義一撮影」と書かれていた。リヤンコウ島とは「竹島」の別名で、竹島の漁師たちは「ランコ」、「リャンコ」などと呼んでいた。

2025年3月、このアルバムと新聞の連載記事を元に、当時の竹島やアシカ猟の様子をまとめ、(公財)日本国際問題研究所(以下、国問研と略)のご協力のもと、『日本海・竹島のアシカ猟-1934(昭和9)年の取材記録と「中渡瀬アルバム」』を上梓することができた。写真をデジタル処理して修復を行い新聞記事を分析して、当時の竹島の自然やアシカ猟の詳細を明らかにした。

ところで、それまでの調査で、新聞記事や中渡瀬頭領の証言から、長谷川写真部員は竹島で映画を撮影していたことが分かっていた。また、1934年7月6日には大阪市内の朝日会館(フェスティバルホールの前身)で長谷川写真部員が「壮絶無比の海獣狩実況」と題して映画の上映と講演を行ったことも判明していた。

映画を見てみたい。つてを頼って、朝日新聞大阪本社の中を調べていただいたり、長谷川写真部員のご遺族にも接触していただいた。東京の某所に残っているのではなどの情報を得ては、あちこち探し回ったが、映画フィルムは見つからなかった。

2025(令和7年)年4月18日にリニューアルオープンした領土・主権展示館(東京都千代田区霞が関)。新設されたイマーシブシアター(没入・臨場型映画館)の竹島部分の映像作制に関わらせていただいた。そのリニューアル事業の過程で、内閣官房領土・主権対策企画調整室が映像・写真資料を調査していたところ、国立映画アーカイブ(以下、映画アーカイブと略)に今回の映画フィルムが保管されていることが判明し、その調査・分析を依頼された。

発見されたフィルムは100フィートの16 mmフィルムが3リール。映画アーカイブではデジタル化され1本にまとめられていた(約89 m長)。当初拝見したときは、時系列が前後していて、映画に採用した残余のフィルムをつないだものではないかと思われた。また、解像度も低く、人物など詳細な解析には難があった。また、時間をかけて映像を詳細に調査したかったが、映画アーカイブの規程などの制約上、詳細な分析や一般公開には課題があった。

映画アーカイブと国問研などとの間で協議が持たれた。その結果、国問研にフィルムを一時貸与し、一般公開を前提に国問研がデジタルリマスター(最新のデジタル技術を用いて、高解像度で再スキャンする作業)を業者委託することになった。映像は鮮明なものになり、フィルムのカビなども明瞭に見えるまでに画質は向上した。また、その映像を時間をかけて詳細な分析ができるようになった。

映画アーカイブの担当者からの情報で、当時の映画上映には検閲制度があったことを知った。『映画検閲時報』(内務省警保局編)第18巻に、大阪朝日新聞制作による『日本海のアシカ狩』という映画が検閲を受けた記録があった。35mmフィルムで巻数は1巻、269 mの長さであった。今回発見されたフィルムは16 mm、かつて上映されたフィルムは35 mmで、上映されたものでないことは明らかだった。

デジタルリマスターされた16 mmフィルムを時系列に並べて検討した。映像のカットは64カットで、10分48秒の映写時間であった。接合部は1箇所しか認められず、リール内のカットは順次撮影されたものだった。映像の天気や波の具合から撮影時の天候・風力を推定した。当時の天気図やそれまでに判明していた取材陣の行動記録をもとに、それぞれのカットの詳細な検討を行い、3リールの撮影順序を決定した。

映像は隠岐航路の船から隠岐諸島の島後(どうご) の山々を写した映像から始まる。1934年6月4日の夜に境港発の隠岐汽船に乗船し、翌5日の朝に到着したときの島の眺めだ。西郷港への入港シーンに引き続き、同日に催された隠岐三大祭の一つである玉若酢命神社の御霊会風流(ごれえふりゅう)馬入(うまい)れ神事が写っていた。

取材陣は海路の日和待ちのため西郷に足止めとなる。その間、西郷近くの千畳敷でドッサリ節踊りを見学したようで、その踊りが写っている。馬入れ神事の映像とともに現存する最古のものと考えられ、貴重な映像だ。

6月9日午後4時に発動機船第1神福丸(12トン)で西郷を出航。その風景と、翌朝に見えてきた竹島に見入る人々の映像が写る。竹島は東島と西島と多くの岩礁からなるが、猟の基地があるのは東島の石原と呼ばれる礫浜である(図1)。そこに上陸してテントを設営したのち、アシカ猟を実見する。映像ではカンコと呼ばれる手漕ぎの木造船に乗って石原を出発し、猟場の一つである西島北海岸に行く様子が写る。

西島の北で網を広げて猟を行い、捕獲したアシカを網ごと石原に曳行する。網を引き上げて檻に詰める作業(図2)、アシカの入った檻を担いで海辺に運搬する作業。そのようなアシカ猟に関わる作業風景が生々しく映し出される。アシカ猟に関わる猟師、それを見守る人々、猟師に対峙するアシカの様子は動画ならではの迫力だ。

アシカの生態映像もある。岩礁上のアシカの群れ、くつろいでいたアシカが取材陣に驚き次々と海中に飛び込む様子、岩礁に這い上がろうとする泳ぎを覚えたばかりの子アシカ……。なかでも、岩陰にたたずむ生後まもない幼獣の集団の映像は愛らしい(図3)。これらのニホンアシカの映像はどれも世界で唯一の動画映像で、学術的価値も高い。

竹島はウミネコの集団繁殖地の一つでもある。映像の随所に飛び交うウミネコの姿が見え、西島北西岸の飛翔の群れは圧巻だ。東島の急峻な西岩壁をロープを頼りに登ると、山頂付近でヒナとの出会いがあった。夜中の嵐でウミネコが岩に衝突してバタバタと落ちてきたこともあった。連載記事によると傷ついたウミネコの手当をしているという寺内獣医の姿も写る。

映像は竹島の風景も見事に映し出している。急峻な岩崖、三方から侵食されて穴が空いた五徳島、1905(明治38)年8月に松永島根県知事が竹島視察の際に観音岩と名付けた岩などが写る。西島の北沖にある大アシカ岩は竹島の全景を見るのに格好のスポットだ。そこからの写真は『中渡瀬アルバム』にも残る。

猟師の娯楽「リヤンコウ舞」の映像もある(図4)。酒が進むと手や足が自然と動き出し、石油缶や木蓋などを叩きながら踊る。座って見守る人々は太鼓代わりに木樽の底を叩いたり手拍子をしながら唄う。〽アラエー、コラエー、見いさいなァ 見いさいなァ リヤンコウ舞をば、見いさいな……。厳しい自然と猟師という生業のなかにあって、本当に楽しそうなひとときだ。

この映像はかつての竹島の自然やニホンアシカの生態をとらえた超一級の映像であるとともに、経済活動の一環としてのアシカ猟を写した貴重な記録映像である。戦前の竹島には、このようなアシカ猟などの日本人の豊かな営みがあった。1940(昭和15)年に三井物産による竹島の燐鉱調査に同行した長田芳久氏(米子市)が撮影した8 mm映像とともに、竹島の記録映画として重要だ。

今回発見された映像は編集して文字解説を加え、領土・主権展示館の付帯施設として2025年11月14日にオープンしたゲートウェイホールで放映されている。また、2026年2月22日に島根県竹島資料室で上映され、隠岐の島町の久見竹島歴史館でも見ることができる。編集した映像には『中渡瀬アルバム』の写真を交えてストリー性を持たせ、テーマごとに編集した。そのため、必ずしも撮影順になっていないことをご了承いただきたい。

朝日会館で上映された35 mmの映画そのものはまだ見つかっていないが、今回のフィルムは竹島取材の際に撮影されたものであることは明らかだ。朝日会館という広い会場で上映するために、編集を加えて35 mmフィルムに焼き付け、検閲を経て上映されたものと考えている。

このフィルムとその映像にはまだ解明すべきいくつかの問題が残っている。新しい映像の発見によって、これまでの論考に修正を要する点も見つかった。さらに検討を加え、当時のアシカ猟や竹島の姿をこの映像とともに蘇らせ、正確な情報を発信していきたいと考えている。なお、『中渡瀬アルバム』や本映画については下記を参照いただければ幸いである。


  • 井上貴央・佐藤仁志(1925)『日本海・竹島のアシカ猟-1934(昭和9)年の取材記録と「中渡瀬アルバム」』産経新聞出版社
  • 『日本海・竹島のアシカ猟』出版記念講演会(「令和7年度第2回竹島問題を考える講座」)https://www.youtube.com/watch?v=HyJfd0X7wbI
  • 「よみがえる90年前の竹島とアシカたち-1934(昭和9)年撮影の映画フィルムー」https://www.youtube.com/watch?v=OtjiPS71-2Q

図1 竹島の風景。東島(左)の麓には海食アーチと狭い石原がある。石原の小さい白点は取材陣のテント。海上から突出する岩は観音岩。

図2 曳行してきたアシカを網ごと引き上げる。中央上部にアシカの檻が見える。

図3 アシカの幼獣の群れと寺内獣医。自然の群れで、捕獲対象とはしなかった。

図4 猟師の娯楽「リヤンコウ舞」。上部に見えるのは五徳島。