研究レポート

新疆ウイグル自治区の人権問題に関する国連報告書について

2022-09-29
熊倉潤(法政大学法学部准教授)
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「中国」研究会 FY2022-1号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

中国共産党第20回大会を目前に控え、習近平政権の新疆ウイグル自治区における統治が再び注目を集めている。7月12日から15日にかけて、習近平国家主席みずから新疆を訪れ、ウルムチ、石河子、トゥルファン等を視察した。中国の国営メディアは、習近平が各地で民衆と親しく交流する様子を伝え、新疆の「安定」が実現されたことを誇示した。習近平政権はこれまでの新疆政策を成功ととらえ、そのように宣伝している。

こうした中国の宣伝は、欧米の民主国から批判的に見られているが、実は途上国を中心にそれなりに浸透している。拙稿iで論じたように、国連人権理事会において中国の新疆政策を非難する声明が出されても、中国を擁護する声明に賛同する国のほうが、数の上では多数派を成している。

それにもかかわらず、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が新疆の人権問題を批判的に論じた報告書を公表することを、中国は止めることができなかった。8月31日、バチェレ人権高等弁務官は、この画期的な報告書iiを公表した。自身の任期満了となるジュネーヴ現地時間の深夜12時まで残り10分少々というギリギリのタイミングであった。

バチェレに対する厳しい評価

OHCHRの報告書が公表されると、欧米社会、在外ウイグル人のコミュニティ等からは、歓迎、安堵の声が上がった。しかし公表に至るまで長い時間がかかったこともあり、厳しい評価もある。

バチェレは5月に新疆を訪問し、習近平ともオンライン会談を行ったが、新疆での滞在はわずか2日間で、無条件で視察することはできなかった。そればかりか、バチェレは結局、新疆では人権問題は改善されているのに対し、欧米は人権を口実に中国に内政干渉しようとしている、といった中国の主張をおとなしく聞いて帰ってくるしかなかった。そのためバチェレの訪中後、バチェレは中国で何も得られなかった、あるいはバチェレは中国側にうまく利用されたという見方が広まった。

その後バチェレは中国の圧力に耐えて報告書を発表したが、それに対しても一部からは、なぜもっと早く出せなかったのかという疑問の声が上がった。OHCHRが新疆の人権問題について報告書を出したこと自体、画期的な意味を持つとしても、家族と連絡がとれなくなっている在外ウイグル人、カザフ人たちからすれば、一刻も早く発表してほしかったという思いもあろう。任期満了直前に出したのは無責任との誹りも免れないだろう。

バチェレの報告書には、当然ながら中国側も反発している。曰く、「虚偽情報の寄せ集め」であると。結局のところ、この報告書は両方の側を満足させることができなかった。新疆の現状をめぐる中国の論理とウイグル人はじめ被害者側の悲痛な叫びのあいだで、板挟みになった結果とも言える。

地に足のついた報告書

さはさりながら筆者個人は、このOHCHRの報告書には興味深い点があると考えている。第一に、中国の「反テロ」政策の問題性を中国の法から説き起こしている点。第二に、「ジェノサイド」という言葉を使わずに分析をしている点である。

OHCHRの報告書には何が書かれているのだろうか。多くのメディアが報じたのは、新疆で重大な人権侵害が行われている信憑性が高いという結論部分である。しかし全部で46ページある報告書に書かれているのは、それだけではない。実は報告書の前半部分を中心に、中国の「反テロリズム法」「新疆ウイグル自治区反テロリズム法実施弁法」「新疆ウイグル自治区脱過激化条例」等について、紙幅を割いて分析している。中国のいう「反テロ」が曖昧な概念に基づいており、法の執行者に大きな裁量権が与えられていることの問題性を、中国の法律、条例、白書等に基づいて丹念に論じている。

それから報告書の全文を通じて、「ジェノサイド」という言葉が使用されていない点も注目される。これは中国側との決裂を避け、対話を維持するための戦略的配慮という面もあろうが、それだけではないだろう。国連人権高等弁務官としては、「ジェノサイド」論に安易に乗らなかったということである。拙著iiiで論じたように、新疆問題の多様な側面を一緒くたに「ジェノサイド」という概念でくくることには限界がある。問題が深刻でないという意味ではない。新疆問題は、「ジェノサイド」という第二次世界大戦期につくられた概念では、もはや表現しきれないほど進化した次元に達していると見たほうがよいからだ。

OHCHRの報告書は、こうした意味でかなり地に足のついたものとなっている。それにはおそらくバチェレの訪中も関係している。バチェレは5月に中国を訪問して、本当に何も得られなかったのだろうか。たしかに中国側が隠した証拠を暴くようなことはできるはずもなかった。それでも中国に実際に足を運び、中国の主張を聞くことに意味がなかったかと言えば、そうではないだろう。習近平政権が宣伝する新疆の「安定」が、実は「反テロリズム法」体系の恣意的運用によって地域住民の人権を侵害して成り立っていることを、報告書はかなりの程度浮き彫りにしたと考えられるからである。

バチェレは、中国の話に比較的よく耳を傾けていた人物であった。そのバチェレが人権侵害の存在を認める報告書を世に送り出した。このことが結果的に、報告書にある種の説得力を付け加えたように思われる。




i 熊倉潤「新疆、香港の人権をめぐる共同声明と中国」日本国際問題研究所、2021年8月。https://www.jiia.or.jp/column/china-fy2021-01.html 英語版:Jun Kumakura, "China and the Joint Statement on Xinjiang and Hong Kong," The Japan Institute of International Affairs, Japan, September 2021. https://www.jiia.or.jp/en/column/2021/09/china-fy2021-01.html

ii Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights, "OHCHR Assessment of human rights concerns in the Xinjiang Uyghur Autonomous Region, People's Republic of China," 31 August 2022. https://www.ohchr.org/sites/default/files/documents/countries/2022-08-31/22-08-31-final-assesment.pdf

iii 熊倉潤『新疆ウイグル自治区:中国共産党支配の70年』中央公論新社、2022年、終章。