研究レポート

どこまで続くか韓国・尹錫悦政権の対日「抱きつき外交」

2022-10-19
箱田哲也(朝日新聞論説委員)
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「『大国間競争の時代』の朝鮮半島と秩序の行方」研究会 FY2022-3号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

始まった関係修復の動き

2022年5月10日。韓国で第20代大統領に尹錫悦氏が就いて以降、日本と韓国の政治関係は大きな変化をみせている。正確に言えば、尹氏の就任の日からさかのぼること2カ月前。一貫して日韓関係の改善を呼びかけた尹氏が歴史的な大接戦を制して以降、かたくなとも言えるほどだった日本政府の対韓政策にも柔軟性が出てきた。それは新時代の幕開けというよりも、傷つき果てた両国政府間関係の修復という正常化への再始動を印象づけた。ともすれば大やけどを負いかねない日本との関係改善を、尹氏陣営は選挙戦を通じて主張し続けた。その姿勢は当選後、また新政権発足後も変化することがないどころか、さらに強まってさえいる。それほどまでに尹氏を突き動かす原動力は何か。その限界はあるのか。日本政府側が、主に国内政治との関係から、尹政権の積極姿勢に十分には呼応しにくい中、尹氏の意欲がどこまで継続するかが、今後の日韓関係に大きな影響をおよぼすことになるだろう。

大統領選前から日本との関係改善に意欲をみせてきた尹氏は、当選直後の3月11日、お祝いを伝えてきた岸田文雄首相と電話で話した。尹氏は北朝鮮問題を念頭に「韓日米の協力をさらに強化していきたい」と語ったほか、自ら歴史問題を切り出し、「懸案を合理的に、相互の利益に合致するように解決していくことが重要」と強調した。

この電話協議自体も、前もっての双方の入念な準備を経て実現した。大統領選終盤、韓国メディアが発する「尹氏圧勝」との事前予想が飛び交う中、五分の戦いになると踏んでいた日本政府は、尹氏が勝利した場合、どの程度まで祝意を示すべきかを慎重に検討した。尹氏周辺の外交問題を担う諮問グループからは、トップ(首相)による直接の祝意伝達を望むとの声が伝わっており、日本政府としてまずこの要望に応えた格好となった。

5月の就任式の演説で尹氏は、日本に言及しなかったものの、その日の午後には、岸田首相の特使として派遣された林芳正外相と会談し、首相からの親書を受け取った。一部の韓国メディアなどでは、就任式の際の岸田首相訪韓を含めた期待も出たが、現役外相の訪韓は尹氏側として「満額回答」といって良い結果だった。林外相訪韓は4月後半には内々に決まっていた。

大統領選を制した尹氏陣営はまず、米国に向け、特使団にあたる政策協議団を送った。訪米団はいきなり望外の成果を得た。東京で5月下旬に開かれる対面式の日米豪印(クアッド)首脳会合に先立ち、バイデン米大統領が韓国を訪れることがほぼ確実になったのだ。政権発足直後の米大統領訪韓という朗報に、尹氏側は沸き立った。

これに対し、日本への政策協議団派遣は、中国の関係もあり、当初は就任後を想定していた。しかし、日本政府側は新政権発足前、しかも4月後半からは黄金週間の連休が控えていただけに、それ以前の協議団の来日を強く要請し、尹氏も急きょ日本への派遣を決めた。両国間の最大の懸案である徴用工問題の解決方法など、具体的な協議にはならなかったが、就任式への林外相の出席を含め、双方が大きな手応えを感じるスタートとなった。

最大懸案で踏み込む尹大統領

就任後も日本に対する積極的な発言を続けた尹氏だが、極め付きは8月だった。日本の植民地支配からの解放を記念する光復節の演説(15日)と、直後の17日にあった内外記者との会見での発言である。

光復節の演説は、その記念日の性格から歴代大統領は何らかの形で日本に触れてきた。必ずしも否定的とは限らないものの、前向きなメッセージとしても、被支配という負の歴史には言及した上で、未来の重要性を語るというケースが多かった。だが尹氏は違った。過去に国の尊厳や文化をも飲み込んだ隣国を「かつて政治的な支配から脱すべき対象だった日本はいま、世界の市民の自由を脅かす挑戦に立ち向かい、共に力を合わせていかなければならない隣人だ」と持ち上げた。

2日後の記者会見ではさらに踏み込み、徴用工問題について「日本が憂慮する主権の問題と衝突せず、債権者(原告)が補償を受けられる案をいま深く講じている」と明言。「(成り行きを)肯定的に見ている」とも述べ、解決に自信をみせた。

光復節演説のドラフトは日本政府も前もって入手しており、さほどの驚きはなかった。だが記者会見での発言、とりわけ事前に準備された部分ではなく、日本メディアの記者から受けた質問に対する答えは、尹政権の担当者らも耳を疑うほどの踏み込みようだった。「日本の憂慮」と衝突しない解決案を模索していると明言したことだ。

日本政府は一貫して、1965年の日韓請求権協定により、徴用工裁判で確定したような問題はすべて解決済みと主張しており、その法的な立場を守るというのが最優先されるべきだと訴えてきた。尹氏の発言は、日本側の主張を傷つけない解決策を出すという意味ととれ、それは最大懸案が大枠で解消する方向にあることを強く印象づけた。

他方、尹政権内部の幹部、とりわけ野党と向き合う内政を担う人々の間からは、苦言が漏れた。疑惑を抱えた高官の人事や、大統領の出身母体である検察関係者の重用などをめぐり、6月中旬から尹政権への風当たりは強まり、政権支持率は低下し始めていた。対日問題で尹氏が相次いで発言した時期は、各種調査で20%台に低迷している時期だっただけに、ただでさえ敏感な対日問題で、なぜそこまで大胆な考えを打ち出すのか理解に苦しむという反応が目立った。

それでも尹氏の「攻勢」は続く。韓国政府は早くから、秋の国連総会で対面式による初の日韓首脳会談を実現させるべく準備を整えてきた。9月に入るとすぐ、それに向けた発信も続いた。月初めにハワイで開かれた日米韓の安全保障担当の高官による協議の後、金聖翰・国家安保室長は日韓首脳会談の「具体的な時期について話し合った」と述べ、国連総会を機に実現する可能性を示唆した。さらに同15日には別の大統領府高官が「会談することで合意し、時間を調整中」と記者らに説明した。日本政府側は大慌てで、具体的には何も決まっていないと否定するという奇妙な現象が起きた。

果たして両首脳は国連総会への出席を活用して、約30分にわたって直接向き合い、対話した。この出会いを日本政府は「懇談」だと発表して、あくまでも首脳会談ではないと強調し、一方の韓国政府は略式としながらも「会談」したと説明した。このあたりの見解の差異こそが、足元が微妙な日韓両政府の現状を反映していると言えるだろう。

不正常な関係の是正急ぐ新政権

尹氏はなぜ国内的なリスクをおかしたうえで、ここまで日本との関係を重視するのか。

その一つに、核・ミサイル開発をやめるどころか、むしろ強化している北朝鮮対策があるのは間違いない。北朝鮮に対抗するためには、米韓のみならず、日本も含めた日米韓の安保協力が必要だと考えているためだ。

尹氏を支える外交・安保グループには、北朝鮮に対して強硬論を唱えるメンバーが少なくない。かつての李明博、朴槿恵と続いた保守政権以上に北朝鮮に強い圧力をかけ、非核化やミサイル開発の中断に追い込む必要があるとの認識で、そのためには日米との緊密な連携が欠かせない。尹氏自身も機会あるごとに、日米韓の安保協力の必要性に言及してきた。6月に訪米した朴振外相が、米韓外相会談後の記者会見でわざわざ日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を「早期に正常化したい」と述べたことは、尹政権として3カ国の安保協力をいかに重視しているかを如実に表していると言えよう。

そんな対北朝鮮政策は同時に、南北融和を最優先してきた文在寅・前政権の否定にもつながる。文政権は、積もりに積もった韓国政界や社会の弊害をなくすのだと唱える「積弊清算」の看板を掲げ、徹底して国内の保守勢力を攻撃したとして、右派が結集して担ぎ上げたのが検事総長だった尹氏である。僅差での勝利だったとはいえ、政権を奪取したからには意趣返しが必要だと考える政権側の関係者らが少なくない。

文政権の5年で悪化したのが対日関係であったことは明白なだけに、日韓関係の改善は国内的にも政権交代の成果を印象づけることができるテーマだ。光復節という特別な日に融和的なメッセージをぶつけたのは、前政権との差別化も狙ってのことだろう。

しかし、尹政権の外交当局者の何人かは、若干異なる感想を口にする。もとより政治家出身ではない尹氏は、実利や政治的な打算のためというより、単に日本との不正常な状態を元に戻そうとしているだけではないか、との指摘だ。

これまでの尹氏の発言をみると、自由や価値の重要性を繰り返し、そのためになすべき行動や選択の方向性を示すケースが目立つ。光復節の演説では、日本との関係で「普遍的な価値を基盤に(韓日)両国の未来と時代的な使命に向かって進む時、歴史問題もきちんと解決することができる」と述べた。

仮に尹氏が、日本との関係修復を優先し、その次に有用な効果が生まれることを期待しているとすれば対日外交にかける信念はかなり固いとみてよいだろう。だが尹氏の個人的な思いとは別に、大統領周辺では、政権が置かれた状況を考慮し、制動をかけようとする力も確実に働く。それは同時に、日本政府への不満にもつながっている。

内政で逆風にさらされる日韓

とりわけ両首脳による国連総会での対話が実現するまでの経緯をめぐっては、尹政権やそれを支える与党議員らが強く反発した。日本メディアは日本政府当局者の話をもとに、面会を切望する尹氏の要請を岸田氏がしぶしぶ受け入れた、との構図を報じた。これに対し、対日政策にかかわる韓国側の関係者は、経緯をめぐる報道は事実と異なると反論し、両国関係を傷つけかねない日本政府の傲慢な態度だとして批判した。

とはいえ、岸田・尹両政権の下で、最大懸案の徴用工問題はかつてないほど主張の隔たりが縮まってきたことは確かだ。尹氏自身が記者会見で語ったように、日本政府が最も重視してきた被告企業の賠償が避けられる建て付けとなるのであれば、大枠では対立点が解消されることになる。

だがそんな流れの中で日本では、安倍晋三・元首相が撃たれ、死亡した。直後の参院選では与党自民党は勝利したが、安倍氏の事件で浮き彫りになった旧統一教会と自民党との癒着ぶりやそれに関連する人事の不評などで、今度は岸田政権の足元が大きく揺らぎ、安倍氏に近い右派を刺激しかねない韓国との歴史問題を進展させるにはなじまない空気に包まれ始めた。国連総会を舞台にした日韓首脳「懇談」をめぐる日本政府側の発信も、そんな国内政治が大きく影響しているとみるのが妥当だろう。

国連総会での対面後も、尹氏の対日姿勢に変化は見られない。だが不正常な状態の復元が、主に日本側の事情で遅々として進まないとすれば、先行きは見通せない。かつてやはり対日関係の改善を掲げて就いた李明博政権は、握手をする手を差し伸べているにもかかわらず、それを日本側が拒み続けたと認識し、ついには現職大統領の竹島訪問という挙に出ることになった。

外交は内政の延長ではあるが、往々にして好機を逸すると成果も逃す。懇談であれ、会談であれ、対話を重ねて大きな政治決断をする以外、ひどく冷え込んだ日韓関係の修復はかなわないことを、双方の政治指導者は肝に銘じなければならない。

(2022年10月18日校了)