研究レポート

バイデン政権初年の米・中東関係

2022-03-11
小野沢透(京都大学教授)
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「中東・アフリカ」研究会 FY2021-11号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

はじめに

バイデン(Joseph Biden)政権発足後の1年間は,アフガニスタンからの米軍完全撤退を例外として,米国の中東における動きが乏しい年となった。対外政策エリートの間での中東政策をめぐる議論も低調であった。2021年は,米同時多発テロ事件以降で米国の関心が中東から最も遠ざかった1年であった。

本稿は,民主党系の対外政策エリートたち(以下,民主党系専門家)が提起していた中東政策提言を補助線として活用することによってバイデン政権の中東政策を分析した上で,政策遂行の実情を概観し,今後の展開を考察する。

1.バイデン政権の中東政策

民主党系専門家の中東政策提言の基本方針を据えることになったのは,2019年に『フォーリン・アフェアーズ』誌に掲載された,「中東というアメリカの煉獄: 消極的政策の主張」(以下,「煉獄」論文)であった1。「煉獄」論文の要点は,次の2点に要約できる。ひとつめは,米国民が許容できるレヴェルの負担で,米国が中東における影響力を維持し,あるいは中東に好ましい政治状況を創出できる可能性は無く,それゆえ米国は,中東の政治情勢如何にかかわらず,米国自身のインタレストに従って,中東における軍事的負担や責任を縮小すべきである,との主張である。もうひとつは,米国の中東におけるインタレストを,① 国際的水路の自由航行の維持,② テロの脅威の抑制,③ 域内の友好諸国の安定,以上3点に局限すべきであるとの主張である。

「煉獄」論文は,冷戦期以来の米国の中東におけるインタレスト定義――敵対的勢力の中東への影響力拡大の防止という地政学的インタレスト,および中東からの石油・天然ガスの安定的供給の維持という経済的インタレスト――を大幅に縮小することを主張する。「煉獄」論文は,その論拠として,グローバルなレヴェルで米国とライヴァル関係にある中国とロシアは,中東においてはあらゆる勢力との友好関係を構築することによって,おもに経済的な利益を追求している,との分析を示し,それゆえ中東においては超大国関係をゼロサム・ゲーム的に捉える必要はない,と論ずる。一方,石油については,その供給地が多様化し,一次エネルギーとしての重要性も相対的に低下していることなどを指摘し,米国がこれまでほど中東からの石油供給の維持に関心を払う必要はなくなっているとの判断を示す。以上のように論じた上で,「煉獄」論文は,その「基幹的なパートナーやインタレスト(core partners or interests)」が脅かされぬ限り,米国は中東からの撤退を加速させるべきである,と論じたのである。

民主党系専門家たちは,「煉獄」論文の共著者が在籍していたブルッキングス研究所を中心に,個別の国やイシューに関する具体的な政策提言を含む体系的な中東政策構想を練り上げていった2。その主要な論点は下記のとおりである。

  • イランに対する「最大圧力」政策を中止する。それに代えて,外交,情報共有,経済的・軍事的手段を活用することにより,イランの転覆活動を抑止・妨害すると同時に,核協議に参加させるインセンティヴを提示する。
  • 国防省は,ゼロ・ベースでペルシャ湾駐留戦力の再検討を行う。
  • トランプ政権のイスラエル・サウジアラビア・UAEに対する無制限の放任政策を撤回する。サウジアラビアをはじめとするパートナー諸国に,米国のインタレストを説明し,米国にとって障害となる行動の自制を求める。
  • 外交的手段により,イエメン,リビアの内戦解決を目指す。
  • イスラエル・パレスチナ間の対話再開を促し,双方に不安定化につながる一方的行動を抑制させる。但し,パレスチナ問題の解決は優先課題ではなく,あくまでも長期的な問題解決を目標とする。
  • シリア・イラク国境地域における小規模な米軍のプレゼンスを維持するとともに,シリア・イランに対する制裁を維持することにより,アサド政権への一定の影響力確保を目指す。

バイデン政権の成立後,新政権の対外政策の基本方針は,2021年3月に発表された「暫定国家安全保障戦略ガイダンス(Interim National Security Strategic Guidance: 以下INSSG2021)」で示された3。一般公開向けの文書であるINSSG2021の叙述のみから新政権の政策を読み取るのは困難である。しかし,その叙述を上記の民主党系専門家の政策提言と答え合わせ的に突き合わせてみれば,両者間に密接な対応関係を見出すことが出来る。このことから,バイデン政権は民主党系専門家の提言をほぼそのまま採用する内容の中東政策を構想していると考えられる。

11月末に国防省から大統領に提出され,その勧告が承認された「グローバル・ポスチャー・レヴュー(Global Posture Review: 以下GPR2021)」についても同様である4。GPR2021は文書自体が非公開であるものの,「煉獄」論文の共著者のひとりでもあったカーリン(Mara Karlin)国防次官補の記者会見を含む断片的な情報から判断する限り,バイデン政権がひきつづき民主党系専門家の構想に沿って中東政策を遂行しようとしていることが読み取れる5。ただし,政権発足後1年あまりを経ても,民主党系専門家の構想の眼目であった中東からの軍事的撤退は,なお国防省内での検討段階にあり,外交的な環境整備等が進んでいない様子も窺われる。

2.バイデン政権の行動

民主党系専門家の中東政策提言を受け入れたバイデン政権は,実際にはどのように行動しているのか。アフガニスタン,イラン,親米アラブ諸国に対するバイデン政権の政策遂行の状況を瞥見する。

バイデン政権は,トランプ(Donald J. Trump)政権がターリバーンとの間で締結した協定を踏襲し,さらに米軍の完全撤退予定を8月末に繰り上げた。対アフガニスタン政策に関する4月14日と7月8日の演説で,バイデンは,米国等の支援で30万人の兵力をもつに至ったアフガニスタン政府の存続に自信を示す一方で,現地の政治情勢如何にかかわらず米軍を撤退させる方針も示唆していた6。7月以降,ターリバーンが支配地域を拡大する中でも,バイデン政権は完全撤退に向けた規定のスケジュールを変えることはなく,NATO諸国との連携も米国からの一方的な通告に近い形で進められた。8月15日にターリバーンがカーブルを制圧した後も,米国の方針に変化は無く,8月末日に米軍はアフガニスタンからの撤退を完了した7

現地情勢と無関係に,かつ一国主義的に遂行された完全撤退は,バイデン政権が民主党系専門家の方針を忠実に遂行したことを強く示唆している。しかし,ターリバーン政権の復活を許し,米国人を含む現地関係者を事実上見捨て,NATO諸国の不満を高める結果となったアフガニスタン撤退は,バイデン政権の大きな政治的失点となった8。このことが民主党系専門家の提言に基づく政権の中東政策にどのような影響を与えるかは,未だ明らかではない。

民主党系専門家たちは一様にイランとの核合意の再建を強く求めていた。それは,イランとの合意の成否が,中東域内の緊張緩和と米軍撤退をセットで進めようとする彼らの中東政策構想全体の成否を左右することになるからである。バイデン政権は,核合意再建を目指すイランとの間接交渉を4月から開始した。イランの大統領選挙に伴い6月に交渉が中断するまでの間に,双方の妥協によって協定案は「70から80パーセント」完成していたとされる。しかし,保守派のライースィー(Ebrahim Raisi)政権との間で11月末に再開された間接交渉では,イラン側が前回までの交渉での譲歩を実質的に撤回した9

この間もイランは核兵器製造への転用が容易な60パーセント水準のウラン濃縮を進めており,この高濃縮ウランが短期間のうちに核兵器製造が可能な量に到達するまでが交渉の事実上のタイムリミットと見做されている。バイデン政権は,交渉が失敗した場合に「他の選択肢」に訴える可能性を示唆する形でイランに圧力を加えているが,妥結を展望するのはいっそう困難になっている10。結果的に,バイデン政権は発足後1年間にわたり前政権の「最大圧力」政策を継続することとなった。イランとの対立が亢進する場合,民主党系専門家の構想に基づく政権の中東政策は大幅な見直しを迫られる可能性が高いと考えられる。

トランプ政権の下で顕著であったサウジアラビアを筆頭とする親米的なアラブ諸国への白紙委任政策を撤回し,これら諸国に対して米国の国益や価値に反する行動を自制させることも,民主党系専門家の政策提言の柱のひとつであった。バイデン政権は,サルマン国王(Salman bin Abd al-Aziz)を含むサウジアラビア指導部に対して,サウジ国内の人権状況やイエメン内戦へのサウジの介入に対する懸念を伝達した。また,米国が「攻撃的」と判断するサウジのイエメン介入への協力を停止し,国境警備のために派遣されていた米軍の一部を引き揚げ,軍事物資輸出の一部を凍結した11。しかし,米国からサウジへの圧力は,民主党系専門家が想定していたほどの強度に達しているようには見えない。バイデン政権の対サウジ政策が,サウジ側の動向を注視する段階にあるのか,あるいは現状維持を優先する方向に修正されつつあるのかは,現時点では判断できない。

バイデン政権の対エジプト政策も総じて穏健に推移している。バイデン政権は,軍事援助の執行を一部停止する形でエジプトの国内統治や人権状況の改善を求める姿勢を示す一方で,その対外政策を高く評価する立場を示している。これは,エジプトがイスラエルとの協力関係や交流を拡大していること,ハマースとの交渉パイプを利用して5月にイスラエル・ハマース間に生じた軍事衝突の停戦を実現したこと,ガザへの人道支援においても重要な役割を果たしていることなどが高く評価された結果である。ロシアやフランスなどからの武器輸入の拡大を含むエジプトの対外関係の多角化を,バイデン政権は問題視せぬ姿勢を示している12。民主党系専門家の想定に相違して,エジプトにとっての米国の価値より,米国にとってのエジプトの価値が上回っている状況が浮き彫りになりつつある。

3.政策方針への異論

米国の中東政策を巡る議論は低調な状態が続いているが,そのような中にあっても,少数ながら民主党系専門家の中東政策提言に対する批判や異論が提起されている。最も根本的な批判を提起しているのは,アンソニー・コーズマン(Anthony H. Cordesman)である13。コーズマンは,米国が中東・北アフリカ地域のパートナー諸国に保持している影響力と当該地域からの安定的な石油供給を保証する能力を,中国とのグローバルな戦略的な競争に活用すべきであると説く。これは,民主党系専門家たちが共有する,中東における域外大国の影響力をゼロサム・ゲーム的に捉える必要はないとの現状認識や,米国の石油自給率の向上などを論拠として当該地域の戦略的重要性を降格させるべきであるとする議論を批判し,そのかわりに中東に関する伝統的なインタレスト定義を維持すべきであるとの主張である。

民主党系専門家の中東政策の行き過ぎを戒めるかのような議論も提起されている。ジョン・アルタマン(Jon B. Alterman)は,「アラブの春」の後に「チュニジアからヨルダンに至る」広範なアラブ世界に,権威主義的な統治を維持しながらも,社会的セーフティー・ネットを拡充し,宗教的厳格性を緩和して多様性を容認し,社会的空間を自由化し,民間経済セクターの活性化を目指す統治の枠組みが出現していることを指摘する。アルタマンは,この「GCCコンセンサス」と呼ぶべき統治の枠組みが,イノベーションを阻み,政府の暴走につながる危険を内包していることを指摘しつつも,体制の安定を脅かすような政治的不満が拡大することを未然に防止することを期待できる点で,これに肯定的な評価を下す14。アルタマンの議論は,圧力を加えながら権威主義的なアラブ諸国に統治の改革を求める民主党系専門家の提言への事実上の批判であり,伝統的なインタレスト定義を維持することを求めるコーズマンの議論と親和的な位相にある。

むすびにかえて

発足直後のバイデン政権は,民主党系専門家が提起していた政策提言をほぼ全面的に受け入れる内容の中東政策を採用したと考えられる。しかし,その実現には早くも疑問符が付き始めている。民主党系専門家の政策の眼目であった中東からの軍事的撤退は,アフガニスタンにおいては現地情勢にもNATO諸国の意向にも顧慮することなく一国主義的に遂行されたが,政治的にはバイデン政権の失点となった。中東からの追加的な撤退はなお検討段階にあり,具体的な動きは見えてこない。一方,民主党系専門家の中東政策の事実上の前提であるイランとの核合意の再建は,実現を見通せない状況が続いている。また,権威主義的な親米アラブ諸国への統治や人権状況の改善要求は部分的に実行に移されているものの,親米アラブ諸国との関係は現状維持の色彩を帯びつつある。

中東における伝統的なインタレスト定義を維持することを求める見解や,親米アラブ諸国の現状維持を基本的に容認するよう慫慂する見解など,保守的な立場から民主党系専門家の中東政策を批判する議論は,なお少数派にとどまっている。しかし,バイデン政権の政策遂行が現状の停滞を抜け出すことが出来なければ,このような保守的な選択肢は現実味を増してこよう。さらに,グローバルなレヴェルでロシアや中国との対立・競争がエスカレートしていった場合,その影響は中東にも及びうる。たとえば,中東においてのみ中・露の影響力拡大を地政学的脅威と見做す必要はないとする議論が政治的に説得力を持ち続けるか否かは,定かではない。さらに,バイデン政権が超大国関係に関心と精力を費やすことを迫られるほど,民主党系専門家が構想したような米・中東関係の抜本的な刷新を実行に移すための資源と時間は奪われていく。政策遂行が停滞し続けるならば,合理的な選択によるものというよりも不作為の結果として,米国の中東政策が保守的な現状維持の方向に流れていく可能性は高まっていくと考えられる。

(2022年2月11日脱稿)




1 Mara Karlin and Tamara Cofman Wittes, "America's Middle East Purgatory: The Case for Doing Less," Foreign Affairs, vol. 98, no.1, (Jan/Feb., 2019), pp.88-100.

2 Dafna H. Rand and Andrew P. Miller, eds., Re-Engaging the Middle East: A New Vision for U.S. Policy (Washington D.C: Brookings Institution, 2020); Tamara Cofman Wittes, "What to Do---and What Not to Do---in the Middle East," Jan. 25, 2021. <https://www.brookings.edu/research/what-to-do-and-what-not-to-do-in-the-middle-east/>

3 Interim National Security Strategic Guidance, March 2021. <https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2021/03/NSC-1v2.pdf>

4 U.S. Department of Defense, Release, "DoD Concludes 2021 Global Posture Review," Nov. 29, 2021. < https://www.defense.gov/News/Releases/Release/Article/2855801/dod-concludes-2021-global-posture-review/>

5 U.S. Department of Defense, DOD News by Jim Garamone, "Biden Approves Global Posture Review Recommendations," Nov. 29, 2021. < https://www.defense.gov/News/News-Stories/Article/Article/2856053/biden-approves-global-posture-review-recommendations/>

7 Steven Erlanger, "Afghan Fiasco Shows Fault Lines in NATO," NYT, August 24, 2021; Mark Landler and Michael D. Shear, "Rebuffing Allies, Biden is Sticking to Exit Deadline," NYT, August 25, 2021.

8 Roger Cohen, "Post-9/11 Era Ends Painfully, For America and Afghanistan," NYT, August 18, 2021; Peter Baker, "Biden Plays the Long Game As He Justifies the End of the 'Forever War',"

NYT, August 31, 2021.

9 Steven Erlanger, "Iran Nuclear Talks Head for Collapse," NYT, Dec 4, 2021: A.8.

10 Jennifer Hansler, "Biden officials warn of turning to 'other options' if diplomacy fails as nuclear talks resume in Vienna," CNN, December 10, 2021, accessed on Dec. 21, 2021.

< https://edition.cnn.com/2021/12/09/politics/us-iran-sanctions-tighten/index.html>

11 Christopher M. Blanchard, "Saudi Arabia: Background and U.S. Relations," (CRS Report RL33533) Updated October 5, 2021.

12 Jeremy M. Sharp, "Egypt: Background and U.S. Relations," (CRS Report RL33003) Updated September 30, 2021.

13 Anthony H. Cordesman, "China, Asia, and the Changing Strategic Importance of the Gulf and MENA Region," October 15, 2021

<https://www.csis.org/analysis/china-asia-and-changing-strategic-importance-gulf-and-mena-region>

14 Jon B. Alterman, "The End of History in the Middle East," Nov. 22, 2021. < https://www.csis.org/analysis/end-history-middle-east > 同様の議論として,Bruce Riedel, "Playing a Weak Hand Well: Jordan's Hashimite Kings and the United States," September 27, 2021.

<https://www.brookings.edu/essay/playing-a-weak-hand-well-jordans-hashemite-kings-and-the-united-states/>も参照のこと。