国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2020-13)
全人代後の中国情勢

2020-06-22
李昊(日本国際問題研究所 研究員)
  • twitter
  • Facebook

5月22日から28日まで、中国で全国人民代表大会(通称、全人代)が開催された1。2020年の全人代は、当初例年通り3月5日に開会が予定されていたものの、新型コロナウィルスの流行のため、延期されていた。延期決定時、新たな日程は発表されず、3月下旬や4月中旬開催の噂が一時流れたものの、結局は慎重を期して、5月下旬まで待った。会期も例年より短く、出席者はPCR検査を受けたという。22日の開幕会では、殆どの代表がマスクをつけて出席していたが、雛壇の前二列、全人代幹部及び中国共産党中央政治局委員らはマスクをつけなかった。

今年の全人代の事前の注目点はコロナウィルスとの戦いに対する勝利宣言の有無、そして経済成長目標であった。しかし、香港版国家安全法導入など、事前の想定とは異なる問題が注目を浴びた。本稿では、全人代で注目された問題について簡単に整理し、分析する。

コロナウィルスと経済情勢

全人代初日の国務院総理による政府活動報告は、全人代のハイライトであり、李克強総理にとっては、年に一度の晴れ舞台である。ただし、もちろん、政府活動報告は事前に政権内で検討され、修正されるものであり、李克強個人の立場を反映したものではない。今年の政府活動報告は、例年に比べて分量が少なく、一万字程度であった。先行き見通しが難しい中、不安のある内容を削った結果、短くなったのではないかと推測される。

全人代開催前、全人代でコロナウィルスとの戦いにおける勝利宣言がなされるのではないかという観測もあった。しかし、蓋を開けて見ると、李克強は政府活動報告の冒頭部分で「重大な戦略的成果を収めた」としながら、「感染はまだ終息していない」と慎重な態度を示した。4月以降、中国では戦勝ムードも漂い始めていたが、陸上国境地域などで新たな感染者が発生し続けていたし、無症状の感染者も継続的に発生していた。当然、第二波を警戒する必要性が理解されていたと思われる。現に、6月中旬に、北京の新発地食品卸売市場で大規模なクラスターが発生し、「非常時」が宣言された。コロナウィルスとの戦いは依然として続いている。

例年、政府活動報告の一つの注目点は、経済成長率年間目標値の提示であったが、今年、具体的な数字目標は示されなかった。その理由として、李克強は、パンデミックに伴う経済貿易情勢の不確定要素が大きく、予測が困難であると率直に述べた。実際に、1月から3月の第一四半期は、経済成長率が前代未聞のマイナス6.8%となり、そこから経済をV字回復させるのは至難である。目標未達という事態を回避するためには、具体的な数値目標の提示を控えざるを得なかった。

経済に関連して、全人代閉幕後の記者会見で、李克強が中国の経済格差について発言したことも注目を集めた。李克強は、中国には「6億の中低所得者がおり、彼らの平均月収は1000元程度(日本円15000円程度)だ」と述べ、コロナ禍の流行はこうした人々の生活に打撃を与えており、彼らの生活保障も重要な政治課題であると認めた。

以上のように、コロナ禍への対応や経済情勢について、中国は全体として慎重な態度を示し、民生を重視する姿勢を見せたと言えよう。他方、国防費が前年比6.6%増の1兆2680億元(約19兆円余)と過去最高額となり、このコロナ禍の中でも依然として軍事力の強化に余念がないことが明らかとなった。

台湾への言及

李克強による政府活動報告において、もう一つ注目されたのは、台湾への言及の変化であった。大陸と台湾の双方が「中国は一つである」と合意したとされる「92年コンセンサス」は触れられず、統一に触れた部分では、「平和的」という言葉が用いられなかった。もちろん、中国はこれまでも台湾との統一において、非平和的手段をとることを放棄したことはないが、語句の微妙な変化によるニュアンスの変化は当然大きな衝撃となり、広く報じられた。中国国内メディアには、「92年コンセンサス」が削られた経緯として、政府活動報告を圧縮する上で字数を減らすために削っただけだとする説明も見受けられるが、高度に政治的意義を有する語句の修正を行う理由としては説得的ではない。

驚くべきは、政府活動報告が修正・補充され、全人代閉幕後の5月29日に公表された全文では、「92年コンセンサス」も、「平和的」も補われたことである。政府活動報告の審議は全人代の最重要議題であり、会期中に提示された意見を総合して修正が行われるのは例年と同様で、不自然ではない。例年、80ヶ所程度の修正が行われ、今年は計89ヶ所に修正が加えられた。ただし、通常、修正の大半は民生に関して行われるものであり、台湾に関する言及でこのような大きな修正は異例である。なお、修正に関する新華社の説明記事は、台湾に関する言及の修正に触れていない。

このような異例の言及、そして修正の背景については、公式的に何ら説明がなされていない。理論的には、反応を見るための観測気球、武力行使のシナリオを意識させるための脅し、あるいは政権内の台湾政策をめぐる意見の不一致など、様々な説明が考えうる。従来、習近平は台湾問題に強い関心を示し、積極的な姿勢を見せてきたこともあり、政府活動報告の文言の変化は、必ずしも突拍子がないものではなかった。しかし、その後の修正は観察者を混乱させるものであった。台湾問題は、両岸双方の世論やアイデンティティー、アメリカの役割など、様々な要素がからむ複雑な問題であり、習近平政権が突如大きな行動をとるのは現実的に考えにくい。その意味で、中国の台湾政策に大きな変更があったとは必ずしも言えない。とはいえ、今回の全人代での微妙な変化とそれに対する内外の反応がフィードバックされ、台湾政策に調整が加えられる可能性も考えられる。

香港版国家安全法の導入

今年の全人代における最大のサプライズは、香港版国家安全法の導入であった。香港基本法の第23条は、国家に対する反逆や分裂活動、煽動、転覆を禁止するために、香港自らが国家安全に関わる法令を制定することを定めている。2003年、国家安全条例立法化の動きに対して、50万人にのぼる香港市民が反対デモを行い、その施行が見送られた。2019年の逃亡犯条例に対する反対運動以来、中国中央政府は香港情勢に対する不満を高め、事態を打開できない香港政府に苛立ちを募らせていた。そのため、中国が香港における国家安全条例の制定を再度図るのではないかという観測があった。しかし、あくまでも香港が立法するものと考えられ、中央政府が直接立法を行うことは想定されていなかった。この香港版国家安全法の導入は、専門家の想像を超えた一手であった。

香港版国家安全法は、全人代及びその常務委員会が制定し、香港にも適用される全国制法律として、香港基本法の付属文書三に盛り込まれる。ただし、全人代は引き続き香港政府に国家安全に関わる立法を進めることを要求している。香港版国家安全法の制定が報じられた時より、中央政府、とりわけ国家安全部が香港に新たな出先機関を設け、反体制派、民主派、あるいは外国のNGOなどの活動を制限することが懸念された。果たして6月の全人代常務委員会では、法案の詳細が議論され、中央政府の出先機関として「国家安全維持公署」が、香港政府に「国家安全維持委員会」が設置されることが公表された。それ以外にも、国家安全に関わる犯罪の審理を行政長官が選ぶ裁判官が担うこと、香港政府の国家安全維持委員会に国家安全事務顧問のポストを設け、中央政府が人員を派遣すること、香港の法律と不一致が生じた場合、この国家安全法が優先されることなどが規定される。このように実際に中央政府の権限が一層強化され、直接的な介入がなされることが明らかとなった。法案は継続審議となったが、次回の全人代常務委員会で可決する可能性が高い。今年9月には、香港の立法会選挙も予定されている。中央政府は、建制派(いわゆる親中派)が惨敗した2019年の区議会選挙の二の舞にならないよう、立法会選挙前に国家安全関連法制を整備し、対立勢力候補の出馬を阻止するのではないかとも言われる。香港版国家安全法の導入によって、誰が、どの程度、どのような制約を受けるのかは依然としてはっきりしておらず、香港の言論の自由や市民の生活に与える影響は大きい。その不透明さ、不確実性もまた大きな不安要因となっている。

香港は1997年の返還以来、「一国二制度」によって、高度な自治を享受してきた。「港人治港」(香港人が香港を治める)というスローガンの下、中央政府は表立った介入をなるべく避けてきた。香港では言論の自由や司法の独立も保障されてきた。しかし、近年、中国の中央政府や共産党は、香港政策を調整し、統治を強化しようとしている。中央政府に反対する勢力から見れば、近年の様々な施策は「一国二制度」の損壊であり、香港の自由を抑圧するものである。一方、中央政府は、香港に関わるいかなる施策も、「一国二制度」を強化するものだと説明する。中央政府にとって、「二制度」はあくまでも「一国」の前提の上で、享受できる高度な自治であり、香港の安定と国家の統一を損なう「極少数」の敵対勢力の活動を規制する必要がある。「一国二制度」をめぐる理解のギャップが香港問題の最大の論点となっている。

国際社会は香港情勢に強い関心を示してきた。当然、香港版国家安全法の導入に対しても、厳しい批判が寄せられ、例えばG7外相による共同声明が発出された。しかし、中国はそうした国際社会の反応も織り込み済みであったと思われる。それでもなお、香港の現状を看過できないと判断しているようだ。一連の批判に対して、中国は香港に関わる事柄は内政であると反発している。しかし、「一国二制度」と香港に対する基本的な方針を50年間変えないとした中英共同声明は中国が国際社会に示した約束である。諸外国は、その約束を受けて、中国の立場を支持し、香港の発展を支えてきた。香港の安定と繁栄のためには、国際社会の支持と協力が必要不可欠である。中国は国際社会の声にも耳を傾け、その理解と協力を得られるよう努める必要がある。

参考資料:

「政府工作報告」新華社、2020年5月29日

(http://www.xinhuanet.com/politics/2020-05/29/c_1126051808.htm)

「李克强総理出席記者会並回答中外記者提問」新華社、2020年5月29日

(http://www.xinhuanet.com/politics/2020-05/29/c_1126047196.htm)

「今年政府工作報告補充修改89処 三分之二渉民生和就業」新華社、2020年5月29日

(http://www.xinhuanet.com/politics/2020-05/29/c_1126051209.htm)

「関於《全国人民代表大会関於建立健全香港特別行政区維護国家安全的法律制度和執行機制的決定(草案)》的説明」新華社、2020年5月28日

(http://www.xinhuanet.com/politics/2020lh/2020-05/28/c_1126046982.htm)

「全国人民代表大会関於建立健全香港特別行政区維護国家安全的法律制度和執行機制的決定」新華社、2020年5月28日

(http://www.xinhuanet.com/politics/2020lh/2020-05/28/c_1126046490.htm)

「法制工作委員会負責人向十三届全国人大常委会第十九次会議作関於《中華人民共和国香港特別行政区維護国家安全法(草案)》的説明」新華社、2020年6月20日

(http://www.xinhuanet.com/legal/2020-06/20/c_1126139511.htm)

李昊「新型肺炎の流行と中国の政治経済への影響」日本国際問題研究所、2020年3月9日

(https://www.jiia.or.jp/strategic_comment/no16.html)

李昊「続・新型肺炎の流行と中国の政治経済への影響」日本国際問題研究所、2020年5月1日

(https://www.jiia.or.jp/strategic_comment/2020-9.html)



1 中国では、全人代と同時期に、中国人民政治協商会議全国委員会(通称、全国政協)の会議が並行して開催され、二つの会議を合わせて「両会」と呼ばれる。政協は中国共産党と八つの民主党派、各団体、各界の代表から構成され、国政諮問機関に位置付けられるものの、実権はない。一般的に、全人代により注目が集まる。