国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2022-02)
ロシアのウクライナ侵略と核威嚇

2022-03-02
戸崎洋史(日本国際問題研究所軍縮・科学技術センター所長)
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「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。

核威嚇下の侵略

ロシアは、最大19万人規模ともされる兵力をウクライナ国境付近に展開し、2022年2月22日にはプーチン大統領がウクライナ東部の2つの親露「共和国」の独立承認と「平和維持部隊の派兵」を記した大統領令に署名した。2月24日、ロシアは攻撃を開始した。

この間、ロシアは、ウクライナや北大西洋条約機構(NATO)諸国に対して核抑止力の存在を繰り返し示唆してきた。2月7日の仏露首脳会談後の記者会見で、プーチン大統領は、ウクライナがNATOに加盟し、軍事的手段でのクリミア奪還を決定すれば、欧州諸国は世界をリードする核兵器国の一つであるロシアとの戦争に自動的に巻き込まれることになり、その戦争に勝者はいないと発言した。

また、オープンソースの衛星画像などから、ロシアが開戦に先立って、欧州NATO諸国に到達可能で、核・通常弾頭のいずれも搭載可能な短距離弾道ミサイルのイスカンデル、地上発射型中距離巡航ミサイルの9M729、空中発射型極超音速ミサイルのキンザールをウクライナ周辺に展開したことも確認された。2月19日には、プーチン大統領の指揮下で大規模なミサイル発射演習を実施し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)のヤルスに加えて、イスカンデル、キンザール、海洋発射型極超音速ミサイルのツィルコン、海洋発射型巡航ミサイルのカリブルなどが発射された。

さらに、プーチン大統領は2月24日の開戦演説で、「ソ連が解体し、その能力のかなりの部分を失った後でも、今日のロシアは軍事面で依然として最も強力な核保有国の一つである。しかも、いくつかの最新兵器で一定の優位性を保持している。このような背景から、潜在的な侵略者がわが国を直接的に攻撃した場合、敗北と不吉な結果に直面することは、誰にとっても疑いのないことであろう」と述べ、重ねて核威嚇を行った。

そして、2月27日、プーチン大統領は、「西側諸国は我が国に対して非友好的な経済行動を取っているだけでなく、NATO主要国の指導者は我が国に対して攻撃的な発言をしている。そこで私は、ロシアの抑止力を特別任務体制に移行させることを命じる」と発言した。ロシア国防相は翌日、戦略ロケット軍、太平洋艦隊、北方艦隊などの核戦力部隊が「戦闘態勢」に入ったと発表した。

プーチン大統領は、2014年のウクライナ侵攻およびクリミア併合の際に、「クリミアの状況がロシアに不利に展開した場合、核戦力を戦闘準備態勢に置く可能性はあったか」との問いに、「その用意があった」と明言していた。2022年のウクライナ侵略でも、事態の推移によっては、より公然たる核威嚇、さらには核兵器の使用を選択肢の一つに含めていてもおかしくはない。

ロシアの核ドクトリン

ロシアの上述のような核威嚇は、その核戦略・ドクトリンとは大きな齟齬をきたしている。ロシアが2020年6月に公表した「核抑止の分野における基本政策」によれば、ロシアの「核兵器はもっぱら抑止の手段であり、その使用は極度の必要性に迫られた場合の手段」であり、核抑止の目的には「国家の主権及び領土的一体性、ロシア及び(または)その同盟国に対する仮想敵の侵略の抑止」などを挙げていた。もとより、この文書では、ロシアが「核の脅威を減らし、核を含む軍事紛争の引き金となりうる国家間関係の悪化を防ぐために必要なあらゆる努力をする」とも述べていた。

また、「ロシアが核兵器の使用に踏み切る条件」として、(1)ロシア及び(または)その同盟国の領域を攻撃する弾道ミサイルの発射に関して信頼のおける情報を得た時、(2)ロシア及び(または)その同盟国の領域に対して敵が核兵器またはその他の大量破壊兵器を使用した時、(3)機能不全に陥ると核戦力の報復活動に障害をもたらす死活的に重要なロシアの政府施設または軍事施設に対して敵が干渉を行った時、(4)通常兵器を用いたロシアへの侵略によって国家が存立の危機に瀕した時を列挙した。

ロシアが第10回核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議(2022年1月に開催予定だったが延期)に提出した、条約の履行などに関する国別報告では、「ロシアの核抑止政策は厳格な防衛的性格を持ち、国家の主権と領土の保全が目的であることが明確に定義されている」としていた。さらに、「核紛争およびその他の軍事紛争を防止するという観点から、ロシアは、国際・地域レベルでの関係の危険な悪化につながりかねない状況を回避し、核戦争の勃発を回避するように行動し、また核の脅威を減らすために必要な措置をとっている」とも報告している。

ロシアによるウクライナ侵略は国連憲章違反で、力による一方的な現状変更であり、そのなかでなされてきた核威嚇にも正当性はなく、ロシアが国際社会に向けて公表してきた核戦略・ドクトリンとも大きく乖離するものであることは明らかである。

核兵器使用の可能性

少なくとも本稿執筆時点では、合理的に考えればロシアが核兵器を実際に使用する可能性は高くはないと言える。ロシアによるウクライナ侵略の主軸は通常戦力であり、制圧後のウクライナ統治への影響を考えれば、ここでの核兵器使用は考えにくい。また、NATOは、同盟国ではないウクライナへの防衛義務はなく、米国を含め軍事介入しないことを明言してきた。ロシアが「特別任務体制」を発令した翌日、米国防総省高官は、ロシアの核部隊に特筆すべき具体的な動きは確認できていないとも述べている。もとより、1945年8月以来75年以上にわたって実戦では使用されていない核兵器の使用を決断する敷居は、決して低くはないであろう。しかしながら、戦争には常に不確実性がつきまとう。

たとえば、ウクライナがロシアの想定を超えて抵抗し、政権転覆などウクライナ攻略を早期に達成できない状況、あるいはロシアに対する厳しい非軍事的制裁や米国を含むNATO諸国によるウクライナへの軍事支援への不満を強める状況において、ロシアがエスカレーション抑止、すなわち損害を極限しつつ少数の核兵器を示威的に使用して、核戦争へとエスカレートする決意を示し、ウクライナやNATO諸国などに譲歩を強く迫ろうとするかもしれない。

また、NATO諸国によるウクライナへの軍事支援物資の輸送に際して、ロシア軍との衝突が発生し、予期せぬエスカレーションの結果として、ロシアが「警告的」あるいは「懲罰的」に核兵器の使用に踏み切る可能性もゼロではない。ウクライナ侵略後のロシアが、さらにバルト三国や東欧などのNATO加盟国に対して軍事的な挑発行為、さらには武力行使を仕掛ければ、核兵器使用のリスクは格段に高まる。冷戦後、ロシアは通常戦力でNATOに対して劣勢で、これを核兵器で補完するとの核態勢と、これを可能にする能力として2000発ともされる非戦略核戦力を一貫して維持してきた。

武力衝突など高い緊張状況では、事故、誤解や誤認といった意図せざる核兵器使用の可能性も高まりかねない。サイバー攻撃が核兵器システムに作用し、誤作動などの事故につながる可能性、あるいは核兵器システムへの攻撃であるとの誤認によって、偶発的に核兵器が使用される可能性も指摘されてきた。

また、ロシアがウクライナ侵略でも数百発を発射し、NATOに対する効果的な抑止・対処能力としても重視する短・中距離ミサイルが核・通常両用であることも、核リスクを高める一因となっている。これらのミサイルにロシアがいずれの弾頭を搭載しているかはロシア以外には不明であり、攻撃されたロシアのミサイルが仮に核弾頭を搭載していた場合、ロシアは核戦力に対する攻撃だとして核報復を敢行するかもしれない。有事には敵対国の近傍に配備される短・中距離ミサイルは、敵対国からの攻撃に脆弱であり、攻撃で破壊・無力化される前に使用したいとの誘因も高まりうる。2月27日、ベラルーシでロシアの核兵器配備を可能にする憲法改正の国民投票が行われ、改正が承認されたと報じられているが、ロシアによるベラルーシへの核兵器の配備は、早期使用のリスクを一段と上昇させうる。

さらに言えば、プーチン大統領によるウクライナ侵略の決断と、その「正当性」の論拠の――少なくとも西側諸国をはじめとする民主主義勢力から見れば――非合理性は、同大統領が核問題について非合理的な行動を選択しないということにも疑問を投げかけている。

現状変更への対抗

戦略的競争の緊張が高まるなかで、日米欧の専門家の間では、核問題に関して二つの可能性が強く懸念されてきた。一つは、力による一方的な現状変更を企図する国が、米国・同盟国に対して信頼性の高い核戦力を突き付けて軍事的な反撃・介入を抑止しつつ、局地・地域レベルで目標達成のための軍事力行使を進めようとするという、いわゆる「安定・不安定逆説」が具現化する可能性である。もう一つは、核兵器の実際の使用、なかでも上述のような「エスカレーション抑止」が行使される可能性である。ロシアのウクライナ侵略では、前者が現実のものとなり、また後者についてもロシアは実際の核兵器使用に至るまでのラダーを一段ずつ昇って圧力を高めている。

さらに言えば、ウクライナ危機から侵略に至る過程で示されたのは、現在の国際関係における核兵器使用のリスクの最大の要因の一つが、権威主義国が試みる力による一方的な現状変更だということである。強い決意をもってなされるそうした行動に対して、現状維持国が抑止・対処することは容易ではない。しかしながら、そうした行動を許せば、さらなる一方的な現状変更と、そこでの核リスクを招きかねない。ロシアのウクライナ侵略に強く反対し、ロシアに厳しい制裁措置を課し、ウクライナに積極的な支援を提供することの重要性は言を俟たない。仮にウクライナ侵略が核レベルにエスカレートした場合にロシアに一層重大な代償を課すためにとり得るオプションを事前に検討することも、依然として敷居が高いであろう核兵器使用を抑止するのに寄与しよう。

この戦争の後も、国際秩序やルールに反して、核抑止力を後景に置きつつ――しかも、核戦略・ドクトリンといった宣言政策とは明らかに異なる形での核抑止力を活用して――力による一方的な現状変更を企てる国が出てくる可能性は低くはない。現状やルールに基づく秩序の維持に究極的には力の保持が不可避な国際関係は、少なくとも当面は続く。日本を含む民主主義国には、力による一方的な現状変更を拒否するための抑止・対処能力を維持・強化することが、従前以上に必要となっている。