国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2022-04)
EUの戦略的自律 フランスから見た大西洋同盟

2022-03-15
鈴木庸一(日本国際問題研究所客員研究員/元駐フランス大使)
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「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。

欧州の安全保障

「ウクライナ戦争」が起きてしまった。ウクライナ市民の困難と犠牲がさらに拡大しないよう主権と領土の一体性が保持される形で一刻も早く事態が収拾されることを切に祈る。一方プーチン大統領にとって皮肉なことに今回の行動は「西側」の結束を一気に深めさせた。またドイツが防衛安全保障政策面でこれまでの慎重な殻を破り大きな一歩を踏み出す精神的きっかけを与えた。先ずは「西側」として結束を固めてロシアに対し高い代償を払わせるために厳しい経済制裁を課す以外の選択肢はないであろう。他方いずれ落ち着いたところで今回の事態を踏まえて欧州の安全保障体制の在り方が議論されよう1。なぜ今回のような事態を招いてしまったのか、欧州の安全保障体制のどこに問題があったのかも検証されよう。

この関連では2022年はじめマクロン大統領がEU議長国としての半年の任期の開始にあたり欧州議会で演説を行っている。その中で同大統領はEUが自ら決定し行動する能力を保持する「戦略的自律」を備える必要性を訴えた。また同大統領はプーチン大統領との独自の戦略対話をこの二年間続けてきた。今回の事態を防げなかったこともありこれらの動きには賛否両論がある。この機会にフランスの求める「戦略的自律」の底流にある考え方について考察してみたい。本論は筆者の駐フランス大使としての経験などに基づく印象論の域を出ないものであり、ご批判もあろうが、我が国の安全保障を考える上で一つの材料を提供するものとしてお読みいただければ幸いである。

不発に終わったシリア空爆

安全保障上のフランスの米英との関係を考える一つの視座を筆者に提供してくれたのはフランス政府担当者が筆者に語った2013年8月31日のシリアへの限定的空爆中止についての「苦い」思いである。アサド政権の化学兵器使用、オバマ大統領の言うレッドラインを超えた行動に対する懲罰的空爆のことである。

フランス各誌の報道によれば当時の状況は次のようなものであった。フランス、米国ともそれぞれ戦闘爆撃機の出動、シリア沖の艦船から発射する巡航ミサイルで爆撃体制を整え二日前のキャメロン首相の作戦から離脱の決定にもかかわらず前日の8月30日には米仏間で空爆対象の特定も行われていた。ところが直前になってオバマ大統領は国連安全保障理事会の決議がなく、英国が下院の承認を得られずに空爆への参加を取りやめた状況の中では米国議会承認なしに空爆できないという理由で空爆の延期を決めた。そしてその後の様々な展開もあり結果的にこの作戦は遂行されることはなかった。

代償としての連続多発的テロの発生

英米とも内政上のやむを得ない事情があったとは言え、フランスは貴重な空爆の機会を逸し、言わば「梯子を外された」のであった。フランス政府にはこの空爆がアサド政権に大きな打撃を与え、事態を動かすきっかけになり得るとの期待があった。当時フランスでは反アサド勢力と共に戦うためフランス国内から相当数の若者がシリアへ渡航することが社会的に大きな懸念材料になっていた。その多くが中東からの移民の家庭の出であった。シリア国内に台頭し始めていた「イスラム国」が事態をより深刻なものとしていた。これら若者が「イスラム国」の過激思想に染まり、テロ行為の経験を積み始めていた。彼らがフランスに帰国し国内の「矛盾」にその怒りを向けて行動に出る事は時間の問題と見られていた。それが現実のものとなる前にそのようなシリアの状況に一刻も早く終止符を打つ事がまさに喫緊の課題であった。空爆作戦が不発に終わったことでフランス政府等の関係者が感じた失望感の深さは想像に難くない。米英がどこまでフランスのこの危機感を共有していたかは分からない。また空爆が行われていても事態は変わらなかったかもしれないが、連続多発テロを防げなかった無念さと不発に終わった空爆作戦は無縁ではなかった。

ノルマンディ上陸作戦とウクライナに関するノルマンディ方式

米英と一体感を保てなかったという思いに駆られたときフランス人の心をよぎる歴史的関係がある。英米の支援なくして戦後のフランスはなく、ドゴールの「自由フランス」はその目的を成就できなかった。このことに対する深い感謝の念は今もって強い。同時にそれはフランス人の生命を守らねばならないときにフランスが米英から外された苦い経験とも重なっている。ロシアがクリミア半島を併合した2014年6月にオバマ大統領はじめ各国首脳が一堂に会して開かれたノルマンディ上陸70周年記念式典は、平和を欧州にもたらした第二次世界大戦の終わりの始まりを想起するための式典であったが、同時にフランスの変わらぬ米、英への感謝の念を伝えるための催しでもあった。他方ウクライナ問題を議論する仏独露ウクライナによる四か国協議の形式、所謂ノルマンディ方式での協議を始める機会ともなった。欧州の安全保障について米国抜きで議論する場を設けた事はフランス外交の成果とされたが、ここに米国に依存しているだけでは自国と欧州の安全保障は保てないというフランスのもう一つの思いが透けて見えた。

ドゴールの屈辱感とその克服

なぜフランスの対米英感情にはこのような二面性があるのか。米英への感謝の裏でドゴールは米英に翻弄されて屈辱も味わっている。それを克服して今日のフランスの基礎を築いた。その屈辱の大きな原因は第三共和政下のフランスがドイツの侵攻を防げられずにもろくも崩れて占領を許したこと、そのため米国の信頼を裏切ったことにある。「戦後のドゴールの独自の核戦力保有戦略はこの大戦の経験から痛いほど学んだ生き残り戦略の一端であった」。「1958年7月に米国議会が英国にだけ核開発のための情報と物資の提供を申し出て、フランスには提案されなかった。」2米国がフランスを英国ほどには信頼していなかった以上核保有は独自開発しかなかった。

歴史学者ジャン・バプティスト・デュロセルは第二次世界大戦の戦勝国英仏の間の重要な違いは、フランスが「戦争、敗北、占領、勝利のささやかな分け前」と言う言わば自己否定につながる四つの要素を経験したのに対し、英国は「戦争を回避できなかったという幻滅感は味わったものの他の三つの要素がもたらす国家としての屈辱感」を味わうことなく(戦争に勝ったという)「正当な矜持を抱いた」形で終戦を迎えることが出来たことだと分析している3

国賓として訪仏したアイゼンハウワーは、フランスはなぜ独自の核戦力の保持に拘るのか、欧州を防衛する米国の意思に疑念を持っているのかとドゴールに問うている。これに対しドゴールは、疑念を有しているわけではないが、二度の大戦の経験で、最初の時は米国が参戦するまで3年の月日を要し、戦線時には仏は既に瀕死の状態にあった、二回目には米国が参戦した時は既にフランスは敵に踏みつぶされた後だったと複雑な対米感情を説明している4(「希望の回想」)。

欧州なしにはフランスはない

フランスは戦後はやくから最早一国のみで大国に伍して自国の安全を保つ国力はないという自覚をもった。ドゴール以下のフランスが自国の国際的地位を回復するために組む相手として目を向けたのは言うまでもなくドイツであり欧州である。特に「ドイツがフランスに対し抱いていた免れがたい優越感と、それに結びついたフランスのドイツに対する経済的劣等感に起因した不信感が1950年代に払拭された」時点から仏独を軸とする欧州建設の道が見えて来た。「仏独はお互いに親近感を抱いているわけではないが、緊密な協働が相互の利益であるという深い認識」が生まれた5

同じ欧州の英国はどうか。ドゴールは「植民地を巡る遺恨が過去のものとなり、『自由フランス』を救ってくれた英国との同盟にはもはや不信の風は吹かない」と述べたが、トロイの馬の発言を想起するまでもなく、欧州統合に大西洋同盟の理屈を持ち込もうとする英国とはどこまで行っても交わらなかった6。今日フランスがBREXITを巡る英国との交渉に厳しさを求めた姿勢にも欧州大陸と運命を共には出来ない英国への突き放した感情が見て取れる。

EUの戦略的自律の合理性

欧州の安全保障について「欧州が独自の強い声」を上げるべきである。冒頭言及した2022年1月19日の欧州議会での演説で、EUの戦略的自律の重要性をマクロン大統領はドゴール大統領の言葉を引用して訴えた。この考え方には「いつ米欧関係が再び悪化するか分からず、その場合の『プランB』を常に考慮しておくという認識は、EUに強く埋め込まれたもの」7であるという受け止めがある一方で、そのような考え方はEUを分裂させて大西洋同盟の結束を弱めるものであり欧州の利益にはならないと言う批判も多くある。さらに中長期的には、米国が今日の「西側主導」の国際秩序維持の上で最大の脅威と見ている中国への対応を優先するため欧州の安全保障への関与を弱める口実を与えることになり、欧州の利益に反するのではないかとの指摘もある8

そしてこのようなフランスの動きを2022年4月の大統領選挙を控えたマクロン大統領の野心の空回り或いは勇み足と見る向きもあるが、欧州として一定の自律性を保つことが自己の安全保障に不可欠と言う考えは、戦後ドゴール以来フランスが一貫して培って来た合理的判断ではなかろうか。マクロン大統領の考えもまたその延長上にあるものだと思う。そもそも米英ともその安全保障政策における基本的立場はoff shore balancerのそれであり9、自国に対する脅威とは距離を置いて対峙しようとする古典的な地政学的観念をグローバル化した今日においても保持しているのではないだろうか。地政学的にその置かれた立ち位置の違いから、仏と米英にはどこかで微妙に利害の食い違いが生じる可能性はつねにある。そのことをフランスはこれまでも時として痛い目に遭いながら経験し、自主性を保持する必要があるとの結論に至ったと思う10。今のフランスの課題は戦略的自主性の下に何をどこまで守るのか、EU内のコンセンサスを形成する過程で明確化を図ることであろう。

フランスのルドリアン外相が2022年はじめのFT紙とのインタビューの中でこう述べている。「我々は如何に困難であっても、相手が如何に自己本位の要求を突き付けてきてもロシアと対話する必要がある、何故ならばロシアは我々の大きな隣国であり、引越すつもりもないからだ。」このような感覚をフランスはドイツとは共有できても米英は完全に一致できると思っていないのではないか。フランスがロシアについて抱く感覚はわが国と中国の関係にも通じるのではないか。

結びに変えて

等しく基本的価値を共有する「西側」諸国と言っても、米国とどのような関係を保つかについて、英国や豪州のようなファイブアイズの国々とフランスなどは違う。前者の考えは過度の単純化を恐れず言えば、とことん米国と行動を共にすることで米国の意思決定に自国の意思を反映させる可能性を高め、それによって自国の安全保障を図るものである。そしてその為の犠牲は甘受すべき代償であると考える。それに対しフランスは米国と行動を共にすることが基本ではあるが、対応に齟齬が生じる場合に備えて一定の独立性を持つ事を考える。どこまで米国と共同で行動し、どこから先は自律的に自己の利益と安全保障を担保するか、その境界線を明確にすることは一筋縄ではいかないではあろう。自国の運命は自国で決める独立性は持ちたいという国家としてのエゴがある限り、常に付きまとうジレンマである。置かれた状況、地域、歴史は違えどもフランスのジレンマについて考える事は我が国にとっても参考になるのではないか。




1 Thierry de Montbrial, Vivre le temps des troubles. (Albin Michel, 2017)

2 渡邊啓貴「米欧同盟の協調と対立」有斐閣、2008年。;渡邊啓貴「シャルル・ドゴール:民主主義のリーダーシップへの苦闘」慶應義塾大学出版会、2013年。

3 Jean-Baptiste Duroselle, "Changes in French Forign Pilicy Since 1945," in Stanley Hoffmann et al , In Search of France (Harvard University Press, 1963).

4 Charles De Gaulle, Mémoires d'espoir. (Edité par Plon, 1970).

5 Jean-Baptiste Duroselle, op. cit.

6 Thierry de Montbrial, op. cit.

7 田中亮祐 「米欧関係の構造的問題 EUが目指す「戦略的自律」の行方」(Wedge 12月号)

8 Francis J.Gavin and Alina Polyakova, "Macron's Flawed Vision for Europe,"

Foreign Affairs Magazine, (January 19, 2022); Cecilia Belin, "Monsieur Fixit: The perils of Macron's shuttle diplomacy," Foreign affairs Magazine (February 10, 2022).

9 Stephen M. Walt, Taming American Power: The Global Response to U.S. Primacy.

(W. W. Norton & Company, 2006); Emmanuel Macron, Révolution. (XO, 2016)

10 Emmanuel Macron, op. cit.