国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2022-11)
イランの核問題―現在を覆う過去の影

2022-11-07
市川とみ子(日本国際問題研究所所長)
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「国問研戦略コメント」は、日本国際問題研究所の研究員等が執筆し、国際情勢上重要な案件について、コメントや政策と関連付けた分析をわかりやすくタイムリーに発信することを目的としています。

イランの核問題を巡って、2018年にトランプ米大統領が離脱した「包括的共同行動計画(JCPOA)」復活に向けた関係国間の交渉が難航している。バイデン大統領は就任前から合意に復帰する意欲を示していたが、2021年夏のロウハニ政権退陣までには合意に至らなかった。2022年に入り、ロシアのウクライナ侵略を受けた国際的なエネルギー価格高騰を背景にイラン原油の輸出再開に向けた期待が高まる中で、夏頃にはJCPOA復活の合意は近いとの観測もあった。しかし、その後交渉は停滞しており、イラン国内で異例の大規模デモに発展した女性のヒジャブ着用を巡る問題やロシアへの無人機供与に関して西側諸国のイラン批判が強まる中で、JCPOA復活のモメンタムは失われつつあるようにも見える。

JCPOA復活に向けては様々な論点があるが、イランによる過去の核開発疑惑の解明を巡る立場の相違が交渉停滞の一つの要因となっていることは、関係国の発言から見てとれる1。このイシューは、イランの核開発計画が明らかになって以来現在まで続く根本的な問題とその解決の難しさを体現するものであり、過去が現在に暗い影を落としている。この問題の背景と現状を整理し、今後に向けた論点を考えたい。

イランの核計画の「軍事的側面の可能性」

イランがNPT上の義務に反して隠れた核活動を行っていることが2002年8月に反体制派により暴露されて以来、その全容の解明は、イランが追求するウラン濃縮など、核不拡散の観点から機微な活動への対処と並んで大きな課題となってきた。2011年11月、国際原子力機関(IAEA)は、それまでに入手していた情報を包括的に検討・分析した結果をとりまとめた事務局長報告を発出し、「軍事的側面の可能性(Possible Military Dimensions to Iran's Nuclear Programme)」(以下PMD)と題する同報告の別添でイランの過去の核活動を詳述した2。この文書でIAEAは、イランが行ってきた核活動について、核物質関連のみならず、起爆装置、高性能爆薬、流体力学、中性子発生源、核弾頭のミサイル搭載に関連する活動など、核物質を使用しない活動を含めて詳細に記述したうえで、イランが核爆発装置の開発に関連する活動を2003年末以前には組織的に行っていたとみられ、それ以降も一部の活動が継続している可能性があると結論づけた。この結論は、イランの核活動の根幹部分がイランの主張する平和目的とはかけ離れたものであることを示すものであった。

自国の核活動は全て平和目的であると主張するイランは、IAEAの報告に強く反発した。イランは事務局長報告に対する詳細な反論文書の中で、IAEAは本来のマンデートを超えて政治化しており、他国のインテリジェンスにより捏造された虚偽の情報に基づいてイランに不当に圧力をかけている、報告の結論には根拠がなく誤りである、解明を要する事項についてはIAEAとの間で過去に合意された活動を実施済みである、などと主張した3。IAEA理事会はイランとIAEAが未解決の問題の解明のため対話を強化するよう求めたが4、イランの核活動の制限を目指す交渉と並んで過去の核活動を解明するための努力も、しばらくは進展が見られなかった。

JCPOAと「過去より未来優先」のアプローチ

アフマディネジャド政権の下で長く停滞していたイランの核問題に関する交渉は、穏健派であることに加えて核問題に関する過去の交渉を熟知するロウハニ氏が2013年6月に大統領に選出されると一気に動きだした。2013年11月、イランはIAEAとの間で現在と過去の全ての問題の解明を目指す「協力枠組みに関する共同声明 (Joint Statement on a Framework for Cooperation)」を発出した5。並行して、核活動の制限を巡ってもイランは同月、E3(英仏独)+EU+米中ロとの間で暫定合意(Joint Plan of Action)に達し、その後何度も交渉期限の延長を経て2015年7月にはJCPOAの合意に至ることとなる。しかしこの間、IAEAとの共同声明に基づくイランの過去の核活動の解明作業は目立った進展を見せず、JCPOA合意達成に伴って核活動を理由としてイランに課されてきた制裁を解除するうえでは、過去の問題についても何らかの決着が必要となった。

2015年6月、JCPOA合意に向けた交渉が大詰めを迎える中、ケリー米国務長官はPMD問題に関し、イランが過去に何を行ったかは分かっているので将来に向かってこれらの活動が停止されることが重要であると述べ、過去より未来を優先する姿勢を示した6。しかし、この発言は過去の解明を放棄するものとして他の西側交渉当事国の懸念と批判を招き、ケリー長官は自らの発言が誤解されたとして、イランのザーリフ外相に対し過去の解明が重要であると念押しすることとなった7。こうした経緯を経て、イランは7月14日、IAEAとの間で全ての未解決の問題を2015年末までに解決することを目指すロードマップに合意し8、翌15日には交渉当事国との間でJCPOAの合意に至った。JCPOAをエンドースした国連安保理決議2231(2015) は、IAEAに合意の実施に関する監視・検証活動を要請するとともに、イランに対して未解決の問題の解決のためにIAEAに全面的に協力することを求めた9

2015年末に向けてJCPOAの実施準備と並行して未解決の問題解明のための活動が行われ、IAEAは2015年12月に「イランの核計画に関する現在及び過去の未解決の問題の最終評価(Final Assessment on Past and Present Outstanding Issues regarding Iran's Nuclear Programme)」と題する事務局長報告を発出した10。この報告において、IAEAは過去の活動については2011年のPMD報告の結論をほぼそのまま踏襲したが、そうした活動はフィージビリティスタディや科学的研究、関連する技術的能力の取得の域を出ず、また、PMDに関連した核物質の転用の兆候はないと結論づけた。事務局長報告を受けて、IAEA理事会はこの問題の審議を終了し、イランの核計画に関する過去の問題の追及はこれ以上行われないこととなった11

新たな暴露と現在を覆う過去の影

当初は順調な滑り出しを見せたJCPOAの実施であったが、選挙期間中から合意を厳しく批判していたトランプ大統領は2018年5月、JCPOA離脱を決定した。その直前、イスラエルのネタニヤフ首相は、イランから秘密裏に盗み出したとする大量の文書に基づきイランが過去の核兵器計画を秘匿していると主張する記者会見を行った12。ほぼ同時に起こったこれら2つの動きは、それぞれの道筋をたどってJCPOAの事実上の崩壊とその復活を妨げる要因へと発展していく。以下では、ネタニヤフ首相の暴露に端を発する過去の問題についての動きを概観する。

IAEAは2018年9月から、包括的保障措置協定及び追加議定書(JCPOAの下でイランが暫定的に適用)の実施の一環として未申告の核活動の可能性に関する検証を開始したが、イランはIAEAからの情報提供要請に応じず施設へのアクセス要求も拒否するなど、解明努力に協力せず、さらに疑惑が指摘された施設で痕跡抹消(sanitization)とみられる活動も行った13。イランがIAEAへの協力を拒否する理由は多岐にわたったが、主な理由の一つは上述の2015年12月の理事会決議が過去の問題の追及をクローズしたことであり、もう一つはIAEAによる情報提供やアクセスの要請が(イランによれば捏造された)外国のインテリジェンスに基づくことであった14。問題の解明を進めるため、IAEA理事会は2020年6月、イランに対しIAEAへの全面的な協力を求める決議を採択した15

2022年に入りJCPOA復活に向けた機運が高まる中、イランは3月にIAEAとの間で6月理事会までに問題の解明に向けた一連の作業を完了し、その結果をIAEAが理事会に報告することを目指すとする共同声明に合意した16。共同声明に記載されたプロセスも、JCPOAを巡る交渉との関係も、2015年当時に酷似した動きであった。しかし、6月に発出されたIAEA事務局長報告は、共同声明で予定された活動の完了を報告する一方で、IAEAが3か所の未申告の施設で検出した人為的に生成された(anthropogenic)ウラン粒子についてイランが信頼できる説明を行っていないことや、核物質及び関連機材の所在についての情報を提供していないことなどを挙げて、これら3か所に関する問題は未解決であると結論づけた17。この事務局長報告を受けて、IAEA理事会は現状に懸念を表明し問題解明のためイランにIAEAへの協力を求める決議を採択したが18、イランはIAEAの結論に対して激しく反発し、その後もIAEAへの協力に応じていない19。この間、JCPOA復活に向けた交渉も停滞しているが、イランがIAEAによる過去の問題の解明終了をJCPOA復活の条件としているのに対し、米欧諸国がこれに反対していることもその一因であると報じられており20、過去を巡る問題がJCPOA復活に向けた現在の関係国の努力に暗い影を投げかけている。

過去の影が将来を覆わないために

これまで見てきたように、イランの核問題を巡っては主に2003年末以前に行われた(一部の活動はその後も継続した可能性がある)活動の全容解明が大きな課題となってきた。2011年のIAEA事務局長報告とこれに基づく解明努力も、2018年のネタニヤフ首相による暴露以降のIAEAの活動も、この時期にイランがどのような核物質を使用して何を行いどのような技術的能力を取得したかという疑問に行き着く。

2022年から考えると2003年末以前は「遠い過去」のように思えるかもしれないが、核関連に限らずどのような技術的活動においても、過去に習得された知識や技術の蓄積はその後の活動の重要な基盤をなす。核兵器に関する基本的な技術は1940年代に既に開発されており、その後の技術の進展は無論あるが、2003年末以前に習得した核兵器関連の知見が現在及び将来にとって重要でないということにはならない。イランはその必要性について説得力のある説明を行わないままウラン濃縮をひたすら追求し、JCPOA崩壊後は60%の高濃縮ウランを生産するまでに至っており、一般に90%を超えるとされる兵器級濃縮ウラン生産への道のりを短縮させ続けている。そのイランが、過去に核爆発装置開発に関する活動を行った可能性が様々な情報から強く推定されることは、現在及び将来の国際社会にとって大きな懸念要因となる。

イランの核計画はこれまで、隠れた核活動とその暴露、国際社会による解明努力とイランの抵抗、解決に向けた妥協策の模索、というパターンを繰り返してきた。過去の影が現在のみならず将来をも覆うことがないようにするためには、過去を巡る問題を全面的に解明することが必要であり、これは、ウラン濃縮を追求し続けるイランの意図に対する国際社会の疑念を晴らすうえでも重要である。国際社会がこの問題の解決に成功しなければイランを模倣する国が出てくる可能性も懸念され、イランの核計画の全容を明らかにしこれに対処することは、NPTの下での核不拡散体制のクレディビリティを維持していくうえでも重要である。

このためには、NPTに加盟する全ての非核兵器国の義務である包括的保障措置をイランが誠実に実施し、未解決の問題の解明のためIAEAに積極的に協力することが必要である。問題の解明を促進するとともにイランの核活動全般について高い透明性を確保するため、イランによる追加議定書の批准と履行も強く望まれるところである。JCPOA当事国や日本を含む国際社会は、イランに対して、これまで行ってきた核活動の全容を明らかにして過去の影を取り除くことが現在のみならず将来にとっても重要であることを改めて強調し、イランが責任あるNPT加盟国としてその解明に真剣かつ積極的に取り組むよう、粘り強く説得を続けていくことが期待される。




3 Communication dated 8 December 2011 received from the Permanent Mission of the

Islamic Republic of Iran to the Agency regarding the Report of the Director General on the Implementation of Safeguards in Iran (INFCIRC/833), December 12, 2011

https://www.iaea.org/sites/default/files/publications/documents/infcircs/2011/infcirc833.pdf

4 IAEA理事会決議(GOV/2011/69), November 18, 2011

https://www.iaea.org/sites/default/files/gov2011-69.pdf

6 POLITICO, "Kerry: Iran doesn't have to account for past nuclear weapons research", June 16, 2015

https://www.politico.com/story/2015/06/kerry-iran-doesnt-have-to-account-for-past-nuclear-weapons-research-119074

7 Reuters, "EXCLUSIVE-Kerry tells Iran foreign minister "the past does matter"-sources", June 25, 2015

https://jp.reuters.com/article/iran-nuclear-kerry/exclusive-kerry-tells-iran-foreign-minister-the-past-does-matter-sources-idINL1N0ZB00A20150625

8 "Road-map for the Clarification of Past and Present Outstanding Issues regarding Iran's

Nuclear Program" (GOV/INF/2015/14), July 14, 2015

https://www.iaea.org/sites/default/files/gov-inf-2015-14.pdf

11 IAEA理事会決議(GOV/2015/72), December 15, 2015

https://www.iaea.org/sites/default/files/gov-2015-72.pdf

14 Communication dated 8 June 2020 received from the Permanent Mission of the Islamic Republic of Iran to the Agency (INFCIRC/936), June 9, 2020

https://www.iaea.org/sites/default/files/publications/documents/infcircs/2020/infcirc936.pdf

15 IAEA理事会決議(GOV/2020/34), June 19, 2020

https://www.iaea.org/sites/default/files/20/06/gov2020-34.pdf

17 上記事務局長報告パラ36参照。3か所の施設はTurquzabad、Varamin及び'Marivan'とされる。

18 IAEA理事会決議(GOV/2022/34), June 8, 2022

https://www.iaea.org/sites/default/files/22/06/gov2022-34.pdf

20 注1参照