コラム

明治44(1911)年『竹島漁猟合資会社 生産品勘定帳』にみられる竹島のアシカの肉から作られた肥料について

2021-07-09
舩杉力修(島根大学法文学部准教授)
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明治44(1911)年『竹島漁猟合資会社 生産品勘定帳』にみられる竹島のアシカの肉から作られた肥料について

令和3(2021)年7月9日

公益財団法人日本国際問題研究所

日本国際問題研究所では、領土・主権・歴史の分野において、調査研究及び対外発信事業を実施するため、平成29(2017)年に「領土・歴史センター」を設置しました。同センターでは、①わが国の領土・主権・歴史に関する国内外の資料の収集・整理・対外発信等、②同分野に関する国内外での公開シンポジウムの実施、及び③同分野に関する調査研究の実施等の事業を展開しています。

平成30(2018)年度からは、明治38(1905)年竹島の島根県編入前後における竹島での漁業の実態を明らかにするため、島根県隠岐地方を中心に、山陰地方において竹島関係の史料調査、聞き取り調査を、舩杉力修(ふなすぎ りきのぶ)・島根大学法文学部准教授、升田優(ますだ ゆう)・島根県竹島問題研究顧問に依頼して実施しています。

平成31・令和元(2019)年度からは、米子市や琴浦町など鳥取県中西部でも調査を実施しています。令和2(2020)年度からは境港市で調査を始めました。その結果、明治44(1911)年の『竹島漁猟合資会社 生産品勘定帳』にみられる、竹島のアシカの肉からつくられた肥料が、境港の肥料商に販売され、弓浜半島の木綿(伯州綿)の原料となる綿作に使用された可能性が高いことが新たに判明しました。これまで竹島のアシカの皮、油の用途については判明していましたが、肉(肥料)の具体的な用途について明らかとなったのは初めてです。明治38(1905)年に鳥取県琴浦町赤碕地区の住民が竹島のアシカ猟に参画していたことに続いて、竹島のアシカ漁業は島根県隠岐地方だけでなく、鳥取県境港市の住民も関係していたことが明らかとなりました。また、わが国が明治38(1905)年の竹島島根県編入以降も、竹島を持続的に実効支配していた明確な証拠であり、竹島はわが国固有の領土であることをさらに補強するものとして貴重な成果であるといえます。

その概略は別紙の通りです。別紙については、調査者の個人的見解であり、日本国際問題研究所の見解を代表するものではありません。

<別紙>

執筆者 舩杉力修・島根大学法文学部准教授(歴史地理学)

別紙1 調査成果の概要
別紙2 明治44(1911)年『竹島漁猟合資会社 生産品勘定帳』(コピー)
(田村清三郎編『竹島資料7』所収、島根県立図書館所蔵)
別紙3 表1 明治44(1911)年における竹島のアシカ猟の許可漁業者
別紙4 表2 竹島漁猟合資会社の竹島でのアシカの捕獲頭数、猟獲金額、費用予算、
従業者数の推移
別紙5 表3 明治41(1908)年4月19日における竹島での操業者
別紙6 表4 明治43(1910)年第10回関西府県聯合共進会における肥料の受賞者
(名古屋市)
別紙7 表5 明治44(1911)年竹島漁猟合資会社に入荷した竹島の生産品(海産物)
別紙8 表6 明治44(1911)年竹島漁猟合資会社から出荷された竹島の生産品(海産物)
別紙9 図 境港市中心部(国土地理院地図)
別紙10 写真 明治40(1907)年における中村市太郎商店の広告
(足立定太郎編『実業鑑-境港と其附近』、実業鑑発行所、境港市史編纂室提供)
別紙11 表7 綿作肥料に含む肥料の三要素の量