コラム/研究レポート

サンフランシスコ平和条約の領土条項と竹島 ‐1951年の交渉経緯を中心に‐

2021-10-07
藤井賢二(島根県竹島問題研究顧問)
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サンフランシスコ平和条約の領土条項と竹島 ‐1951年の交渉経緯を中心に‐

2021年10月7日

公益財団法人日本国際問題研究所

日本国際問題研究所では,領土・主権・歴史の分野において,調査研究及び対外発信事業を実施するため,2017年に「領土・歴史センター」を設置しました。同センターでは,①我が国の領土・主権・歴史に関する国内外の資料の収集・整理・対外発信等,②同分野に関する国内外での公開シンポジウムの実施,及び③同分野に関する調査研究の実施等の事業を展開しています。

このうち,領土・主権に関する国内外の資料については,内閣官房領土・主権対策企画調整室及び領土に関する専門家の方々と協力をしながら,資料の収集・整理・分析を進めています。

これまでにサンフランシスコ平和条約の交渉過程における竹島の取扱いに関連して収集した成果について,収集に当たった藤井賢二・島根県竹島問題研究顧問に依頼するなどしてとりまとめたところ,その概要は以下のとおりです(収集した資料についての詳細な分析・検討については,別紙をご覧ください。別紙の執筆者については,以下のとおりとなっています。別紙については,執筆者の個人的見解であり,日本国際問題研究所の見解を代表するものではありません)。

<別紙>

執筆者 藤井賢二(島根県竹島問題研究顧問)
別紙 サンフランシスコ平和条約の領土条項と竹島‐1951年の交渉経緯を中心に‐

〔概要〕

1951年に署名されたサンフランシスコ平和条約によって竹島の日本保持が決定したことは、先行研究で明らかである。にもかかわらず、同条約第2章「領域」第2条(a)項「日本は朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」について、「独島が直接明示されていないからといって、独島が日本から切り離される韓国の領土に含まれていないことを意味するわけではありません」、さらには「連合国の意思を踏まえると、同条約によって日本から切り離される韓国の領土には当然独島が含まれていると見るべきです」(韓国外交部の広報冊子「韓国の美しい島・独島」)という韓国の反論がある。

この条項の文言が実質的に定まったのは、1951年4~5月の米英事務レベル協議である。本稿第一部「米英事務レベル協議での竹島の取扱い」では、同協議における討議を再検討した。その結果は次の通りである。

米英事務レベル協議で、紛争防止のために「日本と朝鮮の間にある島嶼が明確な表現で処遇されることが望ましい」という英国の方針を容れて、米国は日本が放棄する朝鮮に属する島を明確に記すことに同意した。その代わりに英国は日本の領域を線で囲む方式および、竹島を日本の領域外に置くという二点を撤回した。米英事務レベル協議の結果作成された「米英共同草案」の日本が放棄する「朝鮮(済州島、巨文島および鬱陵島を含む)」には竹島は入らない。すでに決定されていた竹島を日本が保持するという米国の方針は英国と共有され、「連合国の意思」が形成されていった。

本稿第二部「韓国の竹島要求とその挫折」では、米豪両国が韓国の竹島要求に応じなかった1951年の過程を検討した。その結果は次の通りである。

竹島を日本が保持するという米国の方針の根拠は、日本は竹島に関する「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原を有することであった。それは、1951年5月に米国に対して韓国が要求した対馬についても同様であった。韓国は自国を連合国(戦勝国)と位置付けて対馬を要求したが、同年7月に米国に拒否された。 

そこで韓国は、次に豪州に対して対馬の非武装化を支持するよう求めた。韓国が米国に竹島を要求し、豪州にその支持を求めたのは同じ7月であったが、その時の韓国の根拠も安全保障上の必要性であった。日本の脅威に対する安全保障上の必要性を対馬について認めさせ、それを竹島にも適用して要求の口実とする。韓国のこのような思惑を感じさせる。

急きょ決定されたためか、韓国は竹島について「ドク島」という名称しか使わず、その正確な位置さえ示すことができなかった。韓国の求めに米豪両国は戸惑い、応じることはなかった。そして米国は「ドク島」が竹島であることがわかると、1951年8月の「ラスク書簡」で竹島は日本が保持するという「連合国の意思」を韓国に告げた。韓国には「連合国の意思」を覆すだけの領有根拠はなかった。安全保障上の必要性から竹島を韓国領とするという韓国の主張も考慮された形跡はない。

しかし、竹島を日本が保持することを米国に告げられ、竹島を自国領とする根拠が発見されないにもかかわらず、韓国の竹島不法占拠への動きは収まらなかった。対馬要求で見られた、連合国(戦勝国)として日本から領土を取得したいという韓国の抑えがたい欲求が、竹島要求の根底にあったと考えざるをえない。