コラム

フセイン元大統領の処刑と戦犯法廷

2007-01-30
下谷内奈緒(研究員)
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12月末、イラクのフセイン元大統領が絞首刑に処せられた。罪状は人道に対する罪。フセイン氏の異父弟で情報機関トップのバルザン・イブラヒムとアワド・バンダル元革命裁判所長官も、同様に翌1月に処刑された。途中、弁護人3人が殺害され、裁判長がイラク政府高官による法廷介入を理由に辞任、死刑執行時にシーア派の執行人らが元大統領を罵倒している映像が流出するといった波乱の展開に、果たしてこれが正義の裁判なのか、疑問に感じた人も多いのではないだろうか。

「人道に対する罪」は国際法上の犯罪で、戦時法規違反(狭義の戦争犯罪)、ジェノサイド罪と並んで広義の戦争犯罪に含まれる。これは「組織的または大規模な攻撃の一環として行われる民間人に対する非人道的な行為」(国際刑事裁判所設立規定7条)で、殺人、大量殺人、奴隷化などが含まれる。第二次世界大戦後に、連合国がユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツの指導者の責任を追及するニュルンベルグ裁判で初めて創設され、その後国際犯罪として確立された。30年余り独裁者としてイラクに君臨したフセイン元大統領には、クルド人に対する化学兵器使用やクウェート侵攻など様々な容疑があるが、今回は、1982年に自らに対する暗殺未遂事件への報復としてドゥジャイル村のシーア派住民148人を虐殺した件で責任を問われた。

注意すべきは、フセイン元大統領は米軍等と戦火を交えた近年のイラク戦争に関してではなく、今から20年以上前に行った自国民虐殺について責任を問われた点で、国家間の武力行使を戦争と呼ぶ伝統的国際法における厳密な意味での戦争犯罪ではないということだ。厳密な意味での戦争犯罪とは、国家間の戦争のルールを定めたハーグ陸戦法規違反(例えば毒ガスの使用や文化施設の破壊)と戦時における傷病者、民間人、捕虜等の人道的扱いを定めたジュネーブ四条約違反を指す。「人道に対する罪」「ジェノサイド罪」創設の背景には、こうした従来の国際法の枠組みでは保護対象外となる、一国内での紛争や人道上の悲劇についても司法の救済の手を差し伸べようとの意図があり、国家間の戦争がほとんどなくなる代わりに内戦や民族紛争に悩まされる現代の国際社会で、より重要な意義を持つ。

深刻な人的被害を作り出す戦争や紛争を規制し、その責任者を犯罪者として裁く試みは、国際法上、まだ歴史が浅い。そもそも戦争が違法だとの概念が確立されたのは、近代兵器の圧倒的な破壊力が示された第一次世界大戦後である。それまでの伝統的国際法の下では、国際紛争処理の一形態として国が武力行使に訴えることが容認されていた(欧米諸国による植民地獲得競争がよい例である。)戦争は違法だとの認識のもとに戦争犯罪人を裁いたのは、勝者の裁きとの批判はあるものの、ニュルンベルグ裁判と東京裁判が最初である。

しかし、戦争犯罪を裁く試みは、その後、大国の思惑に翻弄されることとなる。1951年には国連の国際法委員会が国際的な刑事裁判所を設立するための具体的提案を出したが、主権侵害を懸念する大国が消極的であったため、冷戦期には実現に至らなかった。戦後初の国際刑事裁判は、冷戦後、民族紛争により崩壊する旧ユーゴスラビアへの対応に手を焼いた米国のイニシアティブにより1993年に設立された旧ユーゴスラビア戦犯法廷である。翌年にはルワンダ内戦についても同様の戦犯法廷が設置された。いずれも国連安保理決議に基づく、暫定的な法廷である。そして1998年、ついに常設の国際刑事裁判所(ICC)が設置されるが、冷戦後唯一の超大国、アメリカが署名を撤回したことから実効性の担保が危ぶまれている(日本も署名していないが、国内法との整合性がとれれば署名、批准する予定)。

戦争犯罪人を裁く取り組みは、世界政府が存在しない国際社会で、国家を超えて正義を追求することがいかに困難であるかを物語る。こうした国際政治の現実を直視し、ベトナム戦争の際に、バートランド・ラッセル、サルトルら知識人が、米国の戦争犯罪を追及する民衆戦犯法廷を開廷したことも有名である。

いわゆる戦犯法廷は、形式上、国際法廷と国内法廷に分けられる。前者は、第三国に裁判所が設置され、国際的に任命された判事、検事、弁護士で構成される。旧ユーゴ戦犯法廷、ルワンダ戦犯法廷、国際刑事裁判所がこれに該当する。国内法廷は、被告の属する国が裁判を主導し、裁判所も当該国に設置される。国内法の適用に加えて国際法に準拠して戦争犯罪を裁き、判事や検事に外国人が入ることもある。コソボ特別法廷(2000年)、シエラレオネ特別法廷(2002年)、東チモール特別法廷(2002年)、カンボジア特別法廷(2003年)がこれに該当する。今回、フセイン元大統領らを裁いたイラク特別法廷も、米軍占領下の暫定統治機関、イラク統治評議会が2003年にバグダッドに設置した国内法廷である。

一般的に、国際法廷では、国際法を高い水準で解釈・適用できる利点がある一方で、通訳、書類の翻訳などに手間と費用がかかり、裁判が長期化することが欠点としてあげられる。国内法廷の場合には、費用を抑えた上で、迅速な裁判を進められることが大きな利点であるが、裁判が正当に行われるためには、その国で民主化が進み、司法の独立が確保され、司法に対する一般市民の信頼があることが前提条件となる。(多谷千香子『「民族浄化」を裁く』)。

この点、イラク特別法廷については、発足時から専門家や人権団体から公平性に懸念が出されていた。判事や検事の人選で政治的にフセイン元大統領と対立する立場にあったシーア派やクルド人が任命されたこと、弁護人の証拠閲覧や弁護権が十分に保障されていないこと、立証の基準が国際基準に比べて甘く、有罪が出やすくなっているなどの問題点が指摘された。英エコノミスト誌は今回の処刑を、フセイン独裁政権下で辛酸をなめてきたシーア派やクルド人らによる「被害者の裁き」と形容し、暴力が常態化したイラクの政治文化が背景にあるとしている(『エコノミスト』誌1月6日号)。

一方、世界で起きたすべての戦争犯罪が裁かれているわけではない。特に国内裁判の場合には、紛争で疲弊して裁判を行う余力と意思が欠けていたり、出来たばかりの新政権が、かつての大物政治家を裁くことに消極的あるいは正当な裁判よりも暴力的な実力行使を選ぶ可能性があるため、国際社会の有形・無形の圧力が裁判の実施を大きく左右する。イラクの場合には戦犯法廷の開廷にあたり、シーア派とともに、復興の成果を示したい米国の意図が働いたことは明白であろう。

戦犯法廷には、歴史の真実と責任の所在を明らかにすることで和解を促し、平和の構築を後押しすることに大きな意義がある。しかし、世界政府がない国際社会では、政治的配慮を除いた純粋な裁判の実現は難しく、戦争犯罪を裁く取り組みは、常に大きなジレンマを抱えている。