コラム

「アーミテージ報告」から読み解く日米同盟の今後

2007-04-04
藤重博美(研究員)
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2007年2月、米国のリチャード・アーミテージ元国務副長官、ジョセフ・ナイ元国防次官補が執筆した報告書「日米同盟-2020年に向けてアジアを正しく導く」が発表された。同コンビにより、日米同盟についての政策提言報告が出されるのは、2000年10月に続き、2回目、7年ぶりのことである。これらの報告書は、一般に、「アーミテージ報告」および「アーミテージ報告2」として知られている。(以下、本稿では、便宜的に、「00年版」、「07年版」と呼ぶ。)本稿では、「00年版」と対比させながら、「07年版」の提言内容を分析し、過去7年間の日米同盟の越し方を振り返るとともに、今後の展望について検討していくことにしよう。

まず、両報告書に共通しているのは、執筆者の2人以外にも、10数名に及ぶ超党派の日米関係および外交・安全保障問題の専門家グループが報告書作成の基盤となる議論に参加していること、さらに、それぞれ大統領選挙の前年に出されていることである。つまり、2度にわたって出された「アーミテージ報告」は、いずれも米国の政権交代後の対日・対アジア政策に影響を及ぼすこと、そして、大統領選の結果、共和党、民主党のどちらが新政権を担うことになっても、その提言が実際の政策に反映されることを目指したものだった。

実際、「00年版」の政策提言は、01年に発足したブッシュ政権の対日政策の「青写真」としての役割を果たすこととなった。「00年版」が発表された当時は、1990年代前半の「同盟の漂流」期を乗り越えた後の中だるみとも言える時期だった。冷戦終結後、「共通の脅威」を失ったことで一時は存在価値を失ったかのように思われた日米同盟は、自由主義に基づく「共通の価値」を擁護するためのパートナーシップとしてその意義が再定義されることによって、冷戦後の文脈における新たな価値を見出していた。

しかし、1999年までに、新日米防衛ガイドライン、続いて周辺事態関連法がようやく成立し、日米同盟の運用レベルでの協力体制がある程度整った後は、政策課題としての日米同盟問題は、次第に勢いを失っていった。日本側では、長引く経済的苦境から抜け出すことが最優先の課題とされるとともに、2000年に就任した森喜朗首相(当時)は、前任者たちほどには日米同盟強化に熱心でなかったことがあり、一方、米国側では、日本がバブル経済崩壊の清算に手間取っていることに対し失望が広がり、関心が薄れつつあったためである。

そのような時代背景の中、「00年版・アーミテージ報告」は発表された。同報告は、日米同盟の強化を一層推し進めなければならないという信念と停滞する現実の落差に対する危機感を前面に出し、日米同盟の強化は未だその道半ばであることを強く訴えかけた。執筆者たちは、米国にとってのアジア地域と日米同盟の重要性を改めて強調するとともに、沖縄の基地問題や日本側の集団的自衛権に関する制約を同盟関係の阻害要因として指摘し、これらの解決に向けて一層の努力をするよう、強く求めたのである。

「00年版」の強い調子は、日本側の一部で反発も招いた。特に、集団的自衛権問題は、憲法改正にも関わる政治的に極めてデリケートな問題である(1)。同報告がこれについて、「決定を下せるのは日本国民だけだ」としながらも、制約を解除することへの強い期待感を表明したがことが、内政干渉とも受け止められたのだった。

しかし、2001年1月、米国側で日米同盟重視を打ち出すブッシュ政権が発足したことで、日米同盟強化の機運が再び動き出す。特に、アーミテージを初め、「00年版」の研究グループから数名のメンバーが新政権内に迎え入れられたことは、同報告の提言が新政権の対日政策として採用されたことを意味していた。さらに、同年4月、日本側でも小泉純一郎首相(当時)が就任したことで、日米の同盟関係は、「史上最良」と形容される蜜月期を迎えたのである。

とはいえ、小泉首相は、当初から日米同盟強化に極めて積極的だったというわけではない。しかし、9.11テロが発生した際、米国の対テロ戦を支援するために、かつてない迅速さで自衛隊艦をインド洋に派遣したこと、また、国際世論を二分したイラク戦争に際しても米国を支持し続け、イラク復興のため自衛隊を派遣したことで、日米の紐帯はこれまでになく強まることとなった。

また、小泉政権期には、日米の同盟関係は、実際的な運用面においても大幅に強化する方向性が打ち出された。その一例は、米軍再編の動きと平行して進んでいる自衛隊と米軍による基地の共同使用である。その象徴的な例としては、航空自衛隊・航空総隊司令が、2010年度、在日米軍司令部が置かれている横田基地(東京都)に移転し、同基地内に日米共用の「共同統合運用調整所」が設置されることが決定されたことがある。同調整所が機能し始めるようになれば、有事の際の防空態勢が強化され、さらに、ミサイル防衛に関連する日米協力も円滑に進むものと期待されている。小泉政権時代、日米同盟の強化は、名実ともに、著しい進展を遂げた。

その小泉首相が表舞台を去って数ヵ月後、「07年版・アーミテージ報告」が発表された。そこに描かれた日米同盟の未来図はどのようなものだろか。小泉政権時代の大幅な日米同盟の強化が、概ね同報告の執筆者グループの意に沿うものだったためだろうか、「00年版」に比べ、「07年版」のトーンはより穏やかであり、全体としては楽観的な傾向が強いと言えよう。また、同報告書が検討の対象としているのは、「2020年のアジア」という中期的将来であるため、現在の具体的課題に対する言及は少なく、将来的ビジョンを示すことに力点が置れている。

全編を通じ見て取れるのは、過去数年間に築かれた両国の同盟関係に対する揺るぎのない信頼感である。「00年版」は、日米二国間の同盟関係を深く掘り下げ、その強化の必要を強く打ち出していた。しかし、「07年版」では、日米同盟の強い結びつきは、いわば所与のものとして位置づけられ、その信頼感を基盤に共通の価値観を持つ国々のネットワークを広く構築するという新たな展望が示されている。

「07年版」は、東アジア情勢について包括的な分析を行っており、政策分野についても、安全保障面だけではなく、経済、エネルギー、気候変動などについても幅広く言及している。しかし、最大の関心事は、中国の急速な台頭に対し、日米両国がいかに対処すべきかという点に集約されよう。「00年版」が発行されて以降、「07年版」が出るまでの約7年間の月日は、日米の絆を強固なものとするととともに、中国の目覚しい躍進をも、もたらしたのであった。「00年版」においても、中国の台頭は関心事の一つとして指摘されていたが、その記述は将来的な可能性について示唆する程度に留まっていた。一方、「07年版」は、中国に関してかなりの紙幅を割き、その将来の方向性如何によっては、地域の不安定要因ともなりかねないことに警鐘を鳴らしている。

しかし、中国の台頭に大きな注意を喚起しながらも、「07年版」で描かれる東アジアの将来像は決して暗いものではない。「07年版」の思い描く対中政策の柱となっているのは、いわゆる「責任ある利害共有者(responsible stakeholder)論」である。この議論は、中国が急速に拡大しつつある国力に見合う国際的責任を果たしていくよう導いていくべきだとするものであり、「07年版」は、そのために日米が協力していく必要性を論じている。

また、「07年版」は、インドの急成長にも大きな注意を払っているが、民主主義と市場経済を奉じる同国は、日米同盟とのパートナー関係の構築が可能とみなされており、今後、一層緊密な協力関係を築いていくことを推奨している。その他、日米豪三国間の関係強化も強く勧めるなど、日米同盟を土台にして、アジア太平洋地域に自由主義諸国のネットワークを広げようとする強い意欲が伺える。東アジアサミット、APEC(アジア・太平洋経済協力会議)、ARF(ASEAN地域フォーラム)などとの関係強化を訴えている点も、同様の文脈で捉えられるだろう。つまり、「07年版」が言う、「アジアを正しく導く」とは、同地域に自由主義を深く根付かせ、そのネットワークを広げていくことにほかならない。

一方、目下の日本にとって最大の脅威である朝鮮半島情勢については、北朝鮮の核開発に強い危機感を示しながらも、2020年までには朝鮮半島は統一される見込みが大きく、また、核開発問題も南北統一によって解決されるだろうとの見通しを示している。

「07年版」を読む限り、アジアの将来については、不確定要素や懸案がないわけではないものの、全体としてはまずまず明るい未来が待ち受けているように見える。この予測は、どの程度、信頼性のあるものなのだろうか。ここで注意しなければならないのは、「07年版」には、ほとんど言及されていない懸念事項が存在していることである。

その第一は、いわゆる「核の傘」問題である(2)。日米同盟のもっとも根源的な本質は、日本国内における基地の提供と引き換えに、米国が日本の安全を担保することであり、これは冷戦後の今日も変わっていない。そして、その中核にあるのは、米国から日本に供給される「核の傘」である。しかし、昨年(2006年)秋、北朝鮮がついに核実験の成功に至った際には、「核の傘」の実効性について多くの疑問が呈された。これに対し、日米両政府とも、その有効性を繰り返し強調してきたが、懐疑論はくすぶり続けている。このような疑念を払拭するには、例えば、核攻撃を伴う有事を念頭に置いた運用面の協力態勢を整備するなどの具体的な措置が必要だと思われる。しかし、「07年版」は、単に、「米国が日本を核攻撃から守るという約束を、米国側高官は繰り返し言明し、強調しなければならない」と述べているだけで、物足りなさは否めない。

第二に、米国側ではイラク・イラン情勢を初めとする中東問題に大きなエネルギーと資源を割かざるを得ない状況で、今後の米政権がアジア情勢および日米同盟に対し、どの程度の関心を払うことができるかは不透明な状況である。実際、「07年版」の発表も、「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムズ」といった米国の主要紙では取り上げられておらず、アジアと日米同盟に対する関心は低下しつつある。親日派・知日派による議論に基づいた「07年版」がアジアおよび日米同盟の重要性を訴えるのは、いわば当然のことであるが、では、その政策をどのように新政権に売り込んでいくのかという道筋は見えてこない。同報告は、米国にとってのアジアと日米同盟の重みを繰り返し強調してはいるが、中東情勢に動きを縛られた現在の米国がアジア政策に関心を寄せるモチベーションとしては、それだけでは十分ではないかもしれないのである。

また、それ以外にも、懸念材料にはこと欠かない。昨年(2006年)秋、安倍政権が発足して以来、中韓やNATO(北大西洋条約機構)に対し積極的な外交が行われるようになるという歓迎すべき変化が見られる一方、日米関係には、小泉政権時代ほどの緊密さが見られないのも事実である。また、最近の従軍慰安婦問題に対する米国側の姿勢の硬化など、日米が共有する「価値観」の絆も必ずしも磐石でない。今後、予見しうる将来において、日米同盟の重要性が大きく揺らぐことは考えにくいが、それを所与のものとせず、絶えず良好な関係の維持に努力していくことこそ、今、求められているのである。

【注】
(1) 集団的自衛権の行使禁止は憲法に明示されているものではなく、1956年、政府が国会答弁の中で示した解釈によるものである。それによると、わが国は集団的自衛権、つまり「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されてないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」を保持しているにも関わらず、その行使は必要最小限の自衛の範囲を超えるものであり、憲法上許されていないとされた。この解釈は今日にいたるまで維持されているが、明確な憲法による禁止ではない以上、手続き的には、政府がこの解釈を変更すれば日本は集団的自衛権を行使することは不可能ではない。しかし、集団的自衛権を行使できるようにするためには憲法改正が必要との意見も根強いため、現在までのところ政府は1956年当時の解釈を変更していない。しかし、安倍首相が、就任後、集団的自衛権に関する個別事例研究を開始したことで、解釈が変更される可能性が高まっている。

(2) 日本に対する核攻撃に対し、米国が核兵器による反撃を行うというコミットメントをすることにより、日本に対する核攻撃を抑止すること。「拡大核抑止」とも言われる。