コラム

東ティモールの再生 治安部門改革(SSR)(1)の成否が鍵

2007-07-25
藤重博美(研究員)
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世界一若い国家・東ティモールの国づくりが、正念場を迎えている。今後、国家を安定的に発展させていくためには東ティモール人自身の手で治安を適切に維持していく必要があるが、この若い国家の治安部門(警察や軍隊など)はいまだ成熟しておらず、今後、克服していくべき問題が山積しているからだ。


1999年、インドネシアからの独立をめぐって行われた住民投票を契機に、東ティモールでは残留派と独立派が衝突、大きな混乱が生じた (2)。この騒乱後、国際社会の支援で、2002年、東ティモールは念願の独立を達成したものの、昨年春には再び大規模な騒乱が発生する事態に陥ってしまった。


一時は「平和構築」の成功例として語られてきた東ティモールの情勢が再び混乱したことは、その独立を全面的に支援してきた国連のみならず、国際社会に大きな衝撃を与えた。騒乱後には、一旦は終了していた国連PKOが再び展開し、東ティモールの建て直しを支援している。国家の再起を賭け行われた大統領選挙(本年4~5月)と総選挙(同6月)が大きな混乱もなく実施され(3)、東ティモールが本格的に国家再建に取り組んでいくための基盤はようやく整ったといえよう。


しかし、選挙が滞りなく終わったとはいえ、東ティモールの前途には決して平坦ではない。50%に近い失業率の改善と並び、国家再建の行方を占う重要な鍵を握るのが治安状況の改善だ。ホルタ新大統領が喫緊の課題として挙げている通り、「国民が安心して眠れる」治安環境を回復しない限り、経済環境の改善や政情の安定も容易ではないだろう。


現在のところ、オーストラリア軍主導の国際的軍事プレゼンスと国連警察によって治安はとりあえず維持されている。しかし、国際社会が永遠に治安維持の役割を担い続けることはできない以上、東ティモール自身の治安維持能力を早急に改善していくことが、この若い国家の将来に直結しているのである。


劣悪な治安環境の中、軍や警察といった治安組織をいかに改革・強化するかという問題は、東ティモールに限らず紛争後の国々で広く見られる問題である。しかし、長らく外国の支配下にあった東ティモールの場合、そもそも自らの治安組織を持っておらず、一から組織を構築しなければならないハンディを背負っていた。そのため国連を中心とする国際社会は、東ティモールの独立が決まった1999年から数年をかけて治安組織の立ち上げを支援したのである。


だが昨年の騒乱発生には、国軍内の対立および国軍と警察の対立が深く関係しており、東ティモールの治安組織に多くの問題があったことが明らかになった。待遇に不満を持つ西部地域出身者兵士が抗議行動を行ったことを契機に状況が不安定化し始めると、軍と警察がお互いに襲撃しあう、警察官が次々に持ち場を離れて警察組織が事実上崩壊するなど、本来秩序を維持すべき治安組織がその機能を果たせないばかりか、混乱を大きくする側に回ってしまったのである。


これらの問題の背景には、国際社会側の不手際が多分にあった。独立の方針が決まって以後、東ティモール人の手による治安維持の実現のため警察育成が急がれ、旧インドネシア警察出身者が多く採用された。その一方、独立を目指して長年戦ってきた東ティモール民族解放軍(以下、FALINTIL)の処遇はなかなか定まらなかった。一般に、紛争の終結後、旧戦闘員は国軍に吸収される場合が多いが、さしあたり深刻な安全保障上の脅威がない東ティモールの場合、当初、国軍を創設する計画が立てられなかったためである。


その結果、FALINTILが武装解除されないまま放置されるという状態が、1999年の混乱が収拾された後も長く続いた。この状態に対する懸念が高まり、国軍がようやく創設されてFALINTILの旧戦闘員たちを部分的に吸収したのは(年配の旧戦闘員は除外された)、2001年になってからのことであった。このように、かつて支配者であったインドネシア側についていた旧警察要員が早々と東ティモール政府の一員としての地位を得た一方、独立の立役者であったFALINTILが長く不遇な状況に置かれたことが、警察と(FALINTILを吸収した)国軍との間で軋轢を生み出したことは想像に難くない。


また、ようやく創設されたこ国軍のあり方にも、大きな問題があった。東ティモール国軍の略称は、「F-FDTL」という。このうち、後半の「FDTL」は、ポルトガル語の「東ティモール防衛軍」の略であるが、前半の「F」は、実は「FALINTIL」を表わしている。東ティモールの国軍の正式名称に、かつての独立派ゲリラ集団の名前が採用されているのである。この尋常ならざる名称から明らかな通り、国軍における旧FALINTIL勢力の影響はきわめて大きい。旧FALINTILの出身ではない西部地域の兵士たちが国軍のあり方に大きな不満を持った根本的な原因は、このあたりにある。


国軍においてFALINTILの影響力がきわめて強いこととは、そもそもFALINTILの旧戦闘員を吸収するために国軍が創設されたことを考えれば、それほど不思議ではないように思われるかもしれない。それは、一面の真実でもあるが、国軍におけるFALINTILの影響力が必要以上に強くなった背景には、国連側の体制不備という側面もある。


東ティモールの国家建設の主要な支援者であった国連は、警察組織の構築にはきわめて積極的に取り組んできた一方、旧戦闘員の武装解除と国軍の創設には、あまり熱心な姿勢を見せようとはしなかった。伝統的に、国連は軍組織の改革には関与しないという不文律があるためだ。そのため、武装解除と国軍の創設は大幅に遅れ、これに危機感を抱いた有志国グループが動き始めたことで、ようやくFALINTILの旧戦闘員の処遇が決まり出した。しかし、いったん国軍の創設が決まった後も、国連側はその人選をFALINTILに丸投げするなど、積極的に関与しようとはせず、国軍におけるFALINTILの影響力を大きなものとする一因となったのである。


さらに、国連が意欲的に取り組んできた警察組織の育成についても、大きな問題があった。これは、東ティモールに限ったことではないが、国際社会からの大きな支援の投入が必要になる平和構築では、いかに早く、また効率的に「出口戦略」を達成するかが重要視されている。2002年の独立後の東ティモールの場合、いかに現地の警察組織を迅速に育成し、治安維持権限を委譲するかが鍵とされた。なるべく早い時期での東ティモールからの撤収を実現するようにとの国際社会側からの圧力もあり、国連は早いペースでの現地警察の現場への配備を進めていったのである。


しかし、その反面、新しい警察要員に対する訓練は必ずしも十分ではなかった。東ティモール警察の場合、6ヶ月の訓練と6ヶ月仮採用(つまり計1年の訓練期間)を経て、正式採用されることになっていた。ちなみに、日本の場合でも、警察官の訓練は1年9ヶ月にわたって行われている(3)。既に、成熟した警察制度が確立されているわが国においても、これだけの期間をかけ、人材を育成しているのである。産声を挙げたばかりの東ティモール警察の場合、きめこまやかな訓練・教育がなおさら必要であったことは言うまでもないだろう。実際、昨年の騒乱の際に問題となった警察官の職場放棄や騒乱への参加などは、職業意識(プロフェッショナリズム)や政治的中立意識の欠如に起因するものであり、本来、警察官への教育を徹底することで、防止できるはずの問題であった。


以上のように、1999年以来、東ティモールで治安部門改革を行う上で様々な問題があったことが、昨年の騒乱の大きな要因の一つであったことは、明らかである。二つの国政選挙を無事に終了し、新たなスタートラインに立った東ティモールの今後は、いかに政治的に中立で、かつ高いプロ意識を持った治安組織を確立できるかによるところが大きい。しかし、国家権力の中枢ともいうべき治安組織を現地政府みずからが適切に改革することは、必ずしも容易ではない。したがって、東ティモールの治安部門改革の行方――さらに、この国の未来は、国際社会がいかに忍耐強く支援を継続していくかにかかっているのだと言えよう。


【註】

(1)治安部門改革については、以下の用語解説参照。
「治安部門改革(SSR)」  http://www.jiia.or.jp/keyword/200704/02-fujishige_hiromi.html


(2)東ティモールは、ポルトガルの植民地であった状態でインドネシアに武力併合された。したがって、東ティモールの独立は、インドネシアの実効支配から離脱するという実際的側面と、ポルトガルの植民地状態から脱するという法的側面の二つの意味があった。


(3)東ティモールの大統領選挙の模様については、以下のコラム参照。

「選挙監視活動を通してみた東ティモールにおける国づくりの現在」 http://www.jiia.or.jp/column/200706/01-iji_tetsuro.html



(4)大卒以外の場合。大卒の場合、1年3ヶ月。