コラム

新START条約:米露それぞれの批准論争

2010-08-04
岡田美保(日本国際問題研究所研究員)
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はじめに

2010年4月、米露両国大統領は「戦略攻撃兵器の一層の削減及び制限に向けた措置に関する条約」(以下、新START条約)に署名した。米露両国では、すでにそれぞれの議会に批准法案が提出され、法案採決に向けて議論が展開されている。

6月にワシントンで行われた米露首脳会談で、オバマ(Barack H. Obama)大統領とメドベージェフ(Dmitrii Medvedev)大統領は、早期批准を図ることで合意した。とはいえ、批准法案の審議にあたっては、条約の法的義務が現在及び将来の自国の戦略や安全保障・軍事政策に及ぼす影響はむろん、条約の持つ政治的・経済的な効果が国内政治過程の俎上で評価されることになる。米国上院では、新START条約は、モスクワ条約にはなかった検証の枠組みを確保することによりロシアの戦略核の動向を把握できるのみならず、ロシアとの関係全般を改善することにより、アフガニスタン、イラン問題等、米国にとってより重要なイシューでのロシアの協力を確保するなど、米国の安全保障に資するものである点には大方の同意が得られているようである。しかし、条約批准に必要な67議席を確保するためには、少なくとも8名の共和党支持票を確保する必要があるところ、7月時点で明示的に批准支持の立場を打ち出しているのはルーガー(Richard Lugar)議員のみとも言われている。他方で、ロシア下院は、ロシアの批准後における米国での法案否決という事態を回避する観点から、米国議会との「同時期批准(synchronization)」を念頭に、批准作業の速度を緩めている。このように、新START条約の批准・発効への道程は、単純とは言い難いものとなっている。

そもそも、この条約で実現しようとする政策目標や、そのために利用可能な資源、前提となる脅威認識などの点で、米露は著しく異なっている。以下では、こうした米露の立場の相違を踏まえつつ、条約批准を巡って両国で行われている議論を分析したうえで、今後、批准法案の上程や交渉開始の提案が検討されている各種の軍備管理・軍縮交渉に与える影響についても検討することとしたい。

1.アメリカにおける批准論争

5月13日、オバマ大統領は、上院に批准法案を提出した。上院外交委員会では、これまで数回にわたって新START条約の批准に関する公聴会が開催されており、オバマ政権の立場は、一定の理解を獲得してきたといえる。しかしながら、11月の中間選挙を控え、共和党の一部では、採決を選挙後に持ち越そうとする動きも見られている。

これまでに提起された主な論点の第1は、米国の軍事政策において次第に重要性を増している核兵器以外の戦力整備計画(特に、ミサイル防衛及び「即時グローバル打撃」(PGS))への影響である。冷戦後、米国にとっての脅威は、ソ連という明確で強力な核大国という存在から、次第に「ならずもの国家」や非国家主体による核兵器・ミサイルの拡散に移行した。こうした脅威に対しては、相手の合理性を前提とした大規模な核報復による威嚇ではなく、それら小規模な行為主体が引き起こす限定的な秩序攪乱行為の目的達成を拒否する態勢を整えることが有効であると考えられた。2001年の核態勢見直し(NPR)は、核戦力に大きく依拠した従来の抑止には限界があるとして、核戦力を含む攻撃能力、ミサイル防衛を中核とする防御能力及び柔軟な防衛基盤という「新三本柱」(new triad)の確立を打ち出すなど、米国の軍事政策における核兵器の役割は徐々に低下してきている。

ミサイル防衛に関して新START条約は、前文で、「戦略攻撃兵器と戦略防御兵器の間の相互関係の存在を認識」すると言及しているものの、米国のミサイル防衛計画に具体的な制約を課していない。かねてより米国のミサイル防衛能力に一定の制約を課したいと考えてきたロシアは、署名の際に、条約からの脱退を規定した第14条3項 4 で言及される「異常な事態」には、ロシアの戦略核戦力を脅かすような米国のミサイル防衛システム能力の改善が含まれるとの一方的宣言を行った。共和党保守派は、これを取り上げて、米国がミサイル防衛を「ロシアの攻撃能力を脅かさない限りにおいて開発することができると読める」と主張、米国のミサイル防衛計画が制約される可能性を問題視している。さらに、交渉の際にロシアに有利な形でミサイル防衛に関する裏取引がなされたのではないかとの疑念も提起された。交渉にあたったゴッテモラー(Rose Gottemoeller)米国国務次官補は、6月15日に行われた公聴会でこれを否定しているものの、共和党保守派は、交渉の記録開示を求めるなど、審議は難航している。なお、ゴッテモラー次官補は、同じ公聴会で、新START条約は、米国がPGSを追求する場合、これに「影響を及ぼさない」との立場を再確認している(1)

論点の第2は、約束遵守(履行確保及び検証可能性)に関するものである。新START条約では、移動式大陸間弾道ミサイル(ICBM)の生産工場における常駐査察が廃止されるとともに、移動式ICBMを他のICBMと区別して扱わない方式を採用した。また、STARTⅠの下では合計73施設を対象に年28回行われてきた査察が、新START条約では27施設を対象とする年18回に抑えられるなど、検証の効率化を図り、負担を軽減したものとなっている。これらの点を捉えて、共和党保守系のシンクタンクは、ロシアが移動式ICBMへの依存度を高めている中、移動式ICBMに対する監視を緩めるのは妥当ではないと主張している。しかしながら、議会調査報告書が指摘するように、米国の国家技術手段(NTM)の精度は、画像衛星技術を中心に近年著しく向上しており、検証における現地査察やデータ交換への依存度が著しく低下していることを踏まえれば(2)、検証項目数・回数の増減で検証システムの妥当性を測ることはもはや合理的ではないであろう。

第3は、新START条約に基づいて削減した核戦力の信頼性(reliability)に関する問題である。米国は、新しい核兵器を生産していないことから、今後維持される核兵器は老朽化していくことになる。批准法案提出にあたってオバマ政権が議会に提示した資料によれば、オバマ政権は、抑止力と核軍縮の両立を図る観点から、核兵器の信頼性維持、核開発基盤の再建・強化に充当する予算を増額(2011-2020年の各予算年度の充当額は70-90億ドルで、総額810億ドル)する計画である(3)。これにより、モスクワ条約が対象外としていた備蓄部分の量的削減がより容易になると見られているものの、共和党のカイル(Jon Kyl)上院議員は、オバマ政権の措置では不十分であると主張し、同期間の予算配分額を1,000億ドルに増額することを批准支持の条件とする立場を表明している。

2.ロシアにおける批准論争

メドベージェフ大統領は5月28日、新START条約批准法案を下院に提出した。下院では450議席のうち70%を与党「統一ロシア」の会派が占めており、批准が否決される可能性はもとより低いとみられている。加えて、7月6日に行われた公聴会の後、同党のコサチェフ(Konstantin Kosachev)下院国際問題委員会委員長は、米国との同時批准の観点から、時期を特定することはできないとしながらも、新START条約は「間違いなく批准される」(4)と発言している。とはいえ、新START条約がロシアの安全保障戦略に及ぼす影響をめぐる議論は、それほど単純ではない。

批准にあたってロシアで提起されている問題の第1は、新START条約が米国のミサイル防衛計画や戦略巡航ミサイルを有意に規制していないことの影響に関するものである。

米国とは異なり、冷戦後、ロシアは軍事政策における核兵器への依存度を高めてきた。これは、1990年代を通じて、政治・財政の混乱により通常戦力の装備更新が遅れ、欧米との格差が拡大したことによる。他方で、ICBMの耐用年数延長や、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)パトロールの頻度減少、早期警戒能力の後退などにより、ロシアの核戦力の質的劣化が進行している。プーチン政権期における財政の改善・国防費の増額は、この問題に十分な解決を与えたわけではなかった。このため近年、米国において、米ロ間には相互確証破壊(MAD)状況がもはや存在せず、米国が武装解除型先制攻撃(disarming first strike)能力をもつに至っているという議論が浮上したことは(5)、ロシアの戦略核抑止力の有効性に関する不安を刺激した。当初、ポーランド及びチェコへの配備が想定されていた地上配備中間段階ミサイル防衛システム配備計画に対してロシアが見せた強硬姿勢は、かかる不安の裏返しであるとも言えよう。その後、米国はミサイル防衛計画を戦域防衛を中心とするものへシフトさせているほか、ミサイル防衛計画がロシアを取り込む形で進められる可能性も出てきている。これによって、ミサイル防衛計画に関するロシアの認識が変化していくことも考えられるものの、ポーランドへの米国パトリオット・ミサイル部隊の駐留が進められ、見直し後のミサイル防衛計画にブルガリアやルーマニアも加わる可能性が現れるなど(これはロシア自身の行動が招いた結果とも言える)、ロシア周辺地域に対する米国の関与はかえって強化されている側面もあり、米国の意図に関するロシアの不信は払拭されていない。少数派とはいえ、ロシア下院には、新START条約は戦略核抑止力の有効性を確保するものではないとの観点から、批准反対を明確にしている会派が存在する。

第2は、ロシアの今後の核戦力整備への影響に関するものである。新START条約は、新型ミサイルの開発を規制するものではないが、発射実験の際の事前通報及び年5回までのテレメトリー信号の交換が義務付けられている。ロシアでは、ミサイル防衛突破能力を期待されている機動性弾頭(MaRV)搭載型のICBM(RS-24)の配備が始まったばかりであるほか、新型のボレイ級弾道ミサイル原子力潜水艦に搭載するSLBM「ブラバ(Bulava)」の開発が難航しており、これまでの実験では、失敗数が成功数を上回っている。生産工場の常駐査察を回避することに成功したとはいえ、ロシアでは、はかばかしくない戦略核戦力整備の現状を米国に掌握されることへの警戒心は根強い。

ただし、こうした個別の論点にも拘らず、ロシアにおいては、新START条約批准そのものへの反対論はごく一部にとどまっている。アルバートフ(Alexei Arbatov)が下院の公聴会で強調したように、「新START条約は、事実上、ロシアだけが米国と並ぶ核大国であること、国際安全保障におけるロシアの役割が、ロシアより経済的にはるかに優位にある中国やEUよりも重要だということを承認するものである。この条約は、ロシアにとって国際的な影響力の巨大な資源であり、多くの問題における米国やその同盟国の政策に影響を及ぼす可能性をロシアに与えるもの」なのである(6)。米国の批准が確実化するのを見極めつつ、ロシアは新START条約を批准することになろう。

3.今後の各種軍備管理・軍縮交渉への影響

仮に米国において、新START条約の批准が難航して年内の批准を逃し、2011年以降に審議が持ち越されるならば、中間選挙の結果如何では批准が一層困難になることが予想される。この場合、当初、2010年内の審議開始を期待されていた包括的核実験禁止条約(CTBT)批准法案は、今任期中の上程自体が難しくなる恐れもある。また、年内の新START条約批准にこぎつけた場合でも、削減した核戦力の信頼性に関して、共和党の要求が十分に反映されないまま採決が行われれば、今後のCTBT批准審議の方向性に影響が出ることも考えられよう。

さらに、米国オバマ政権は、戦術核を核軍縮の次なる課題と位置づけ、ロシアとの交渉に意欲を持っている(7)。戦術核の削減についてロシアは、米国による在欧戦域核の撤収あるいは欧州通常戦力(CFE)削減条約の見直しとリンクして初めて交渉が可能となるとの立場をとっているため、オバマ政権は、これらの問題に関しても、手強い交渉相手のロシアはもとより、同盟諸国や議会を説得していかなければならない。それは、控えめな削減幅にとどまった新START条約の交渉・批准プロセスと比較して、はるかに困難なものとなろう。

おわりに

新START条約署名の1年ほど前にオバマ大統領が提示した「核兵器のない世界」構想は、国家安全保障との相克という一つの試練に直面している。この構想の推進が、軍事態勢の現状や、その前提となる環境により、少なくともある程度は制約される点については当初から指摘されてきたところである。この点、オバマ政権は、米国の抑止力の維持、安全保障の推進という観点からも耐えうる形で核軍縮を推進しようとしており、拙速を自制している。従って、即時且つ大幅な削減をオバマ政権に一方的に期待したり、核開発基盤の再建・強化に充当する予算増額を捉えて「核兵器のない世界」構想との矛盾を指摘したりするのは妥当な立場とは言えないであろう。より現実的な削減を漸進的に促し、長期的な視野で成果を評価する慎重な視線が求められている。


(1) 米国国務省ホームページaccessed on 28 July 2010.
(2) Amy F. Woolf, “The New START Treaty: Central Limits and Key Provisions,” Congressional Research Service: R41219, 3 May 2010.
(3) “The New START Reaty- Maintaining a Strong Nuclear Deterrent,” accessed on 26 July 2010.
(4) 「統一ロシア」ホームページ accessed on 15 July 2010.
(5) Keir A. Lieber and Daryl G. Press, “The End of MAD?: The Nuclear Dimension of U.S. Primacy,” International Security, Vol.30, No.4 (Spring 2006), pp. 7-44.
Keir A. Lieber, and Daryl G. Press, “The Rise of U.S. Nuclear Primacy,” Foreign Affairs, Vol.85, No.2 (March/April 2006), pp. 42-54
(6) ロシア下院ホームページ accessed on 20 July 2010.
(7) 米国国務省ホームページ accessed on 30 March 2010.