コラム

東アジアのFTAと日本

2003-02-17
渡邉 松男(アジア太平洋研究センター研究員)
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本稿は『国際開発ジャーナル』2003年1月号、「中国脅威論を超えて-自由貿易協定の推進と歴史認識の明確化」における中国を軸としたASEAN及び日本とのFTAに関する記事に焦点を当て、当該地域におけるFTAを考えるうえで別の視点を提供することを目的とする。

真の「自由貿易」地域は実現するか?

 本題に関する議論の多くは、2002年11月に調印された「ASEANと中国の包括的経済協力に関する枠組み協定」が合意通り実施されることが前提になっている。また、FTAが明日にも突然出現するかの如く喧伝する例さえ散見される。どちらもミスリードであろう。
 一般に、経済統合は時間を要するプロセスである。欧州は通貨統合に至るまでに40年間を要した。FTAや共通市場結成に合意したといっても、調印の瞬間に単一の市場ができるわけではない。周知の通り、地域統合は「関税と貿易に関する一般協定(GATT)」24条、「授権条項」、及び「サービス貿易に関する一般協定(GTAS)」5条を根拠とする。GATT24条では、域内貿易自由化は10年以内に完成させると規定されている。つまり10年の猶予期間が与えられており、国内の保護主義的な部門がこの期間を利用して政治的な抵抗を行うことは十分考えられる。
 中国-ASEANのFTAを考える際に決定的に重要なことは、この途上国間のFTAが縛りの緩い授権条項に基づくことである。前述の10年以内の完成だけでなく、「域内における実質上すべての貿易について関税その他の制限的通商規則を廃止(GATT24条)」する義務はない。そのために、特定部門の例外措置や原産地規則を曖昧にするなど、規律のない「FTA」となる可能性は否定できない。
 ASEANメンバーのいくつかは、1997年の金融危機以降、域内協力よりも自国優先的な政策に踏み切る傾向にあり 1、FTAを通じて積極的に国内改革を推進するというモラルが欠けている。さらにFTAの(正と負の)経済効果に対する理解が曖昧で、安易な「win-win」シナリオによる雰囲気作りだけが進んでいるとの指摘もある 2。WTO加盟を契機として積極的に国内改革に取り組んでいる中国にしても、FTAの個別分野の交渉段階で国内の圧力を押し切って自由化を断行するとは限らない。
 FTA結成にこの両者が合意したとはいえ、それが予定通り実行されると考えるのは、あまりにもナイーブである。少なくとも短・中期のスパンでは、直接的な経済的影響は過大評価されるべきでない。むしろ域外からのFDIを期待するFTA結成の「デモンストレーション効果」 3や、(域内のより深い繋がりを背景にした)域外に対する影響力の増大を含む政治的なインプリケーションに留意すべきである。

良きFTAパートナーとは?

 FTAのパートナーとして、経済構造が補完的であることが条件とされている場合が多い。本当にそうなのか、異なる視点はないのだろうか?
 FTAのメリットとして、伝統的な関税同盟理論では静学的な経済厚生の向上(貿易創出効果と貿易転換効果の差)が説かれている。だがFDIやライセンス契約などによって、これら効果の重要性は薄れている。他方、特に90年代以降の地域統合では、むしろ域内競争、資源の有効活用などを含む動態的効果が注目されている。
 ならば、FTAを組むことによってパートナー国との競争が期待される、いわば競合的な構造を持つ国との統合こそ望ましいのではないか。域内の競合他社との競争を通じて非効率な国内産業が淘汰される。その結果経済の構造改革が実現され、より新たな産業に資源が向けられる。
 FTAのパートナーが補完関係にある場合、それぞれの国の既存産業(と相手国の消費者)が新たな利益を得るだけで、FTAの結成によって産業構造の転換は進むことはない。日本と中国との間でも、補完関係ではなく、むしろ今ここにある競合関係が産業構造の転換を後押ししている。コスト競争に敗れた日本の「衰退産業」は既に中国に多く移転しているが、当然ながらこの動きはFTAの有無と何ら関係ない。
 以上の文脈では、FTAによる域内競争を活性化させるという点では、関氏の指摘する(日本と)「補完的な」中国よりも、例えば韓国とのFTAの方が日本にとってより大きな効果が得られることになる。

日本・中国のFTAにどのような利益があるのか?

 日本にとって中国との経済統合・連携に何らかの利益を見出すのならば、紛争処理、投資家や知的所有権保護などルール設定に焦点が当てられるべきだろう。二国間協定の利点を活かし、WTOの枠組みではカバーできない範囲及びスピードで、中国とのより良い取引環境を整備するのである 4。これによって、日本からの投資がより円滑に行うことが可能になる(この意味でシンガポールとの経済連携協定は正当に評価されるべきである)。いたずらに脅迫観念を掻き立てるだけでは、誰も幸せにならないことは確かである。

(『国際開発ジャーナル』 2003年3月号掲載)

1 : 大橋英夫(2003)「中国の対外経済政策の展開」、『国際問題』、No.514、36-49頁。
2 : 木村福成(2002)「東アジアにおけるFTA形成の動き:期待と懸念」、『世界経済評論』、10月号、6-9頁。
3 : 木村、前掲。
4 : 中国側の関税障壁や日本の農業分野の自由化については、二国間交渉よりもマルチの場で扱われることが現実的である。詳細は別稿に譲る。