コラム

「中央アジアをめぐる国際情勢の変化」(その1)

2006-01-24
廣瀬徹也
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筆者は日本国際問題研究所の依頼で2005年10月21―22日、タシュケントにおいて開催された中央アジアに関する国際会議、および同11月8―9日、テヘランにおいて開催された中央アジアとコーカサスに関する国際会議に出席した。

中央アジアにおける国際力学は2005年5月13日のウズベキスタンのアンデイジャンにおける騒擾事件、同7月の上海協力機構(SCO)首脳会議を契機として変化の兆しを見せているところ、本稿では上記両会議で得た成果も踏まえて、NIS情勢全体を俯瞰しつつ、今後の中央アジアをめぐる国際情勢の展開について,特に中央アジアで最大の人口を有し、地政学的観点からも要たるウズベキスタンに焦点を当てて検討してみたい。
 
1.近年のNIS情勢――民主化「革命」とアンデイジャン事件1991年のソ連の崩壊に伴う独立以来、NIS諸国は、専制の度合いに濃淡はあるものの、ほとんどの国が大統領に権力を集中させる権威主義体制の下で政治的安定と経済開発・市場経済化を優先させ、主に日本・米国をはじめとする先進国や国際機関の支援のもとに一定の成果を上げてきた。しかし、民主化や人権保護はなおざりにされ、また経済開発の面では石油・天然ガスなど資源保有国と非保有国の間に格差を生じつつあり、国内の貧富の格差も拡大している。このような背景のもとで、2003年ころから、一部NISの国々で、民主化と生活の向上を求める民衆の力で政権が倒されると言う一連の「革命」が起こった。他方、中央アジアではウズベキスタンを中心にイスラム過激派の反政府活動がみられ、カリモフ政権はその弾圧をはかっている。

(1)“カラー革命”のドミノ
2003年11月、グルジアで、議会選挙結果は偽りであったとする集会の圧力でシェヴァルドナゼ大統領が退陣に追いこまれ(「ばら革命」と名付けられた)、翌年1月に行われた大統領選挙で、「ばら革命」を主導した36歳のサアカシュヴィリが新大統領に選出された。サアカシュヴィリは国内に残るロシア軍基地の早期撤退を要求するなど前政権の親欧米路線の継続を明かにしている。

ついで2004年11月ウクライナで行われた大統領選挙で親露派とみなされるヤヌコヴィッチ候補(当時首相)が当選したが、開票は不正であったとする大規模な抗議行動で選挙のやりなおしが行われ、12月親欧米派の野党のユーシチェンコ候補が新大統領に選出された(「オレンジ革命」)。

2005年3月にキルギスでやはり議会選挙の不正への抗議の圧力でアカエフ大統領が退陣に追いこまれ(「チューリップ革命」)、反対運動の指導者バキエフが大統領代行に就任、7月10日に行われた大統領選挙で選出された。独立直後はアカエフ(前)大統領はNISにおける民主化の旗手とみなされており(またすでにソ連時代に北方領土の対日返還を主張するなど極めて親日的であったこともあり)日本政府も支援してきたのであるが、同大統領はその後90年代後半には権威主義的傾向を強め、特に家族を中心に、自身と夫人の出身地である同国北部地方出身者を重用し、経済政策の成果が思わしくない中で、彼らが経済的利権を独占したことが、強い反発(特に南部出身者の)を招いたのである。

これらは識者の間では厳密な意味では「革命」とは言えないとの見解が強いが、反政府側が独自のシンボルカラーを使用したことに鑑み“Colour Revolutions”または”Flower Revolutions“と総称されている。これら三国はNIS内でも比較的民主的とみなされていたにもかかわらず、民衆の力を背景に倒され、かつ基本的に無血革命であったと言う点では民主化への重要な一歩と言えるであろう。

グルジアとウクライナの「革命」が目指したものは、端的にいえば、民主化と生活の改善でありかつロシアの影響からの脱出であった。しかしその後ロシアとの関係の悪化により、エネルギー事情が深刻となり、経済はむしろ悪化している。ロシアはウクライナとグルジアに天然ガスの値上げを通告、そこでサアカシュヴィリ・グルジア大統領、ユーシェンコ・ウクライナ大統領は2005年石油大国カザフスタンを訪問して、関係強化をめざしているが、両国とも経済的には前途多難である。それでも両国は2005年12月「民主的選択共同体」を立ち上げるなど脱ロシア路線を進めている。(後述)

一方、キルギスのバキエフ新大統領は親ロシア派とみなされている。国内にイスラム過激派をかかえ、同時にロシアと中国のみならず、米国にも配慮せざるを得ないキルギスの立場は難しいものがある。

しかし、ウズベキスタンのカリモフ政権をはじめとするNISの権威主義政権、さらには同じく権威主義傾向を強めているロシアのプーチン政権および一党独裁の中国は、これら一連の革命が象徴する「民主化」を求める動きがドミノ的に自国にも波及するのを恐れている。これら諸国では「革命」はソロス財団系「オープン・ソサエテイー」など欧米のNGOを使った米国の謀略とする見方が強く、NGOへの締め付けを強めている。この問題はウズベキスタンでの会議でもロシアやウズベキスタン人の発表でもとりあげられ、これらNGOが費やした資金は億ドル単位であるなどとの発言もあった。一連の「革命」に欧米系NGOが民主化、言論の自由、反体制派支援のためにそれなりの役割を果たしたであろうことは、筆者のNIS関連勤務時代の見聞からも想像に難くないが、その役割をウズベキスタン、ロシア等は意図的に誇張しおり、種種の情報からみて、NGOがNIS諸国で上記目的のために費やした金額は多くても合計1,000万ドル単位であると考える。


(2)アンデイジャン事件――強権政治を支持する露・中、批判的な欧米と日本
一方、ウズベキスタンとキルギスにまたがるフェルガナ盆地は中央アジアにおけるイスラム復興の動きと過激派の活動の中心として歴史的にも大きな役割を果してきたが(ⅰ)、2005年5月13日のウズベキスタン側のフェルガナ盆地にあるアンデイジャンにおける騒擾事件は、カリモフ政権がイスラム過激派武装集団のみならずデモの一般市民にも発砲して流血の惨事を招いたと言う点で上記(1)の民主化の流れと対照的である。

カリモフは90年大統領に就任すると「ビルリク」など民主化や民族主義を主張する反対派を抑圧、特に独立後は92年12月制定の憲法で民族主義や宗教原理に基く政党の活動を禁止するなど反対派への弾圧,言論・出版の統制を強め,その強権政治は欧米の強い批判を受けてきた。特にイスラム復興運動に対する厳しい弾圧は逆に「ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)」などの過激派武装組織を生む一因ともなった(ⅱ)

今次事件の詳細は下記注(ⅲ)のとおりであるが、国内の分離主義運動を“テロ”としてかたずけたいロシア、中国はカリモフ政権の主張する“テロリスト鎮圧”の強行策に事件後直ちに支持を表明した。これに対し、欧米はカリモフ政権の武力弾圧を批判的した 。 米国は90年代はカリモフ政権の強権的統治や人権侵害・腐敗・貧困化などに批判的立場をとっていた。しかしアフガン戦争でウズベキスタンが米軍にハナバード空軍基地を提供して以来、その緊密ぶりが強まり、米は同国を「テロとの闘い」の重要な同盟国と位置付け援助を急増させた(1億ドル近いと見られている)。他方で「自由と民主主義の拡大」をスローガンにするブッシュ政権としては今回はカリモフ政権の武力弾圧を批判し民主化を進めるよう注文をつけざるをえなかったのであろう。

日本政府も事件の翌5月14日高島外務報道官より“日本政府は事態を憂慮の念を持って注視しており、すべての関係者が暴力に訴えることなく、事態が平和的な方法で収拾されることを強く期待する。 わが国は、ウズベキスタンが今後とも民主化、市場経済化に向けての努力を強化することを期待する”旨の談話を発表、さらに6月1日楠本駐ウズベキスタン大使よりウズベキスタン外務次官に対して“治安部隊による鎮圧に際しての無防備な一般市民に対する無差別な発砲があったとする情報につき懸念を持たざるを得ない”として,本件真相究明のため,透明性,客観性,信頼性が確保する形で国際的枠組の下で調査が行われることの重要性につき申し入れを行うとともに、“わが国としては地域の安定が損なわれないことを重視しており、今回の事態を踏まえ、ウズベキスタンが今後とも民主化、人権の尊重、市場経済化に向けての努力を一層強化することを期待している”旨再度注文をつけた。

しかしウズベキスタン政府は国連等第三者による査察を拒否している。今次ウズベキスタンでの会議の目的の一つも、アンディジャン事件での弾圧を正当化することにあったのではないかとさえ思える。

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脚注

(ⅰ)
 フェルガナ盆地におけるイスラム復興の動き
フェルガナ盆地は「中央アジアの穀倉地帯」と言われるほど肥沃であるにもかかわらず人口稠密で貧困度も高い。歴史的にイスラムの影響力が強く、過激派の温床ともなってきた。

すでにロシア帝国時代ナクシュバンディー教団の導士ドウクチ・イシャーンは1898年アンデイジャンで2000人の信徒をひきいて蜂起したが、失敗に終わっている(アンデイジャン蜂起)。また1919 年フェルガナ盆地を中心にイスラム神秘主義者スーフィー等に率いられた「バスマチ」と呼ばれる広汎な反ソヴィエト抵抗運動が起こった。

1970年代からフェルガナ地方の若いムッラ(イスラム学徒)たちの間でイスラム復興の思想的な萌芽が見られ、ある種の政治的運動を始めており、後に「ワッハービー」などと呼ばれるようになるグループが形成されていった(詳しくは帯谷知可国立民族学博物館助教授「社会主義後のイスラーム」)。


(ⅱ)
 イスラム過激派の活動
「ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)」

フェルガナ地方出身のタヒル・ユルダシュフとジュマ・ナマンガニー(本名ホジエフ)は91年12月にフェルガナのナマンガンで共産党事務所占拠事件に参加したあとタジキスタンに逃れ、ユルダシュフは98年にタリバン政権下のカーブルに定住、同年夏同地でIMUを結成した。カリモフ政権の打倒とフェルガナ地方におけるイスラム国家建設もしくはウズベキスタンのイスラム国家化をめざす。イスラム信仰の場がないあるいは失業・貧困といった理由から現状に不満を持つ若者たちをリクルートし、一説には5千人の戦闘員を有しいる。1999年2月タシュケント市内でカリモフ大統領爆弾暗殺未遂事件 同年8月キルギスのバトケンにおける日本人JICA専門家4名の人質事件をおこしている。ユルダシュフとナマンガニーは、米軍によるアフガン軍事作戦においてタリバーンとともに米軍・アフガニスタン北部同盟軍と戦ったが、ナマンガニーは、クンドゥズ近郊の戦闘で死亡したと伝えられるなど壊滅的打撃を蒙って、軍事的には急速に弱体化した。

その他の組織については実態は必ずしも明らかではないが、
「解放党(ヒズブアッタフリール)(HT)」は95年以降中央アジアに登場した。世界のどこかに全てのムスリムをシャリーアを基に平和裡に統合するカリフ制国家の樹立をめざす国際的組織。目下自らは暴力的手段に訴えないこと等から中央アジアで急速に支持層を拡大している。他にも新しいグル-プも創設されたといわれ、その一つが「アクラミーア」でHTのメンバーだったアンデイジャン出身のアクラム・ユルダシェフによって96年に創設された。ユルダシェフは,イスラム支配は国家レベルよりもむしろ地域レベルで達成されねばならないと主張、フェルガナ盆地の特殊な社会的経済的条件に合った戦術の強化も模索しているといわれる。ユルダシェフは刑務所に拘留中と報じられている。

キルギス、トルクメニスタンでもイスラーム復興現象は認められるが、極度に政治化するには至っていない。しかし、近年特にキルギスにおいてイスラーム組織の活性化が目立ってきている模様。
 

(ⅲ)
 アンデイジャン事件の概要
5月10日からアンディジャン市において「アクラミーア」活動家の“嫌疑”を受けた23名の「ビジネスマン」の釈放求める家族・親類縁者らが平和的ピケを実施、12日には参加者が1000名まで拡大した。 13日未明約70名の武装集団が軍部隊,警察部隊、刑務所を襲撃して武器を奪取した上多数の受刑者(1,500~2,000人以上との報道もあり)を解放。その後州政府建物等を占拠したうえ親類縁者に集まるよう呼びかけた。その結果市の広場には数千―1万と言われる一般市民が集まった。

カリモフ大統領は13日中現地に赴き治安部隊を投入、同部隊は抗議デモに発砲、州政府建物等も解放、14日には武装勢力を完全に鎮圧した。犠牲者は大統領府の当初発表によると、政権側と武装勢力との一連の銃撃戦の結果9人が死亡、34人が負傷となっているが、その後は死者200人弱としている。メデイアは、死者数百名と報じている。ウズベキスタン政府は国連等第三者による査察を拒否しており、かつ報道規制を行っている為真相はいまだ不明である。しかし、本事件の際、約500名のウズベク人が国境を越えてキルギスに逃れたが、その後、UNHCRによって439人が正式に難民として認定され、7月29日ルーマニアに送り出された。


(ⅳ)
 アンデイジャン事件後の各国の反応
ロシア:5月13日外務省情報局長談話で“ウズベキスタン指導部支持”を表明。14日プーチン大統領はカリモフ大統領との電話会談で“今回の事態が中央アジアの安定にとって脅威との認識で一致し、引き続き協議をおこなうこととした”と述べている。

中国:17日の外交部定例記者会見で“ウズベキスタンは中国の友好的協力パートナーであり、ウズベキスタン政府のテロリズム,分離主義、過激主義との闘いにおける努力および国家と地域の安定,平和と発展の擁護のために行う努力を支持する”と発表。

英国:5月14日ストロー外相がカリモフ政権批判の声明を発表、

EU:議長声明で“関係勢力に対し自制を促す”とともに“EU・ウズベキスタン・パートナーシップ協力合意の原則に沿って現在の状況が平和的に解決される重要性”を強調。

米国:事件直後、バウチャー国務省報道官らが、“ウズベキスタン政府デモ参加者双方に対し自制を求め”、“暴力行為もしくはテロは正当化できない”、としつつも“真の経済及び民主的改革及び人権侵害の終結がウズベキスタンの安定にとり必要不可欠である”とウズベキスタン政府に注文をつけた。その後さらにライス国務長官談話等でウズベキスタン政府の対応を強く批判した。(了)


筆者: 廣瀬 徹也(ひろせてつや)
アジア・太平洋国会議員連合中央事務局 事務総長
元外務省新独立国家(NIS)室長、在ウラジオストク総領事、駐アゼルバイジャン大使