コラム

ドイツ連邦議会選挙とメルケル大連立内閣

2005-10-19
小窪千早(研究員)
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2005年9月18日(東部ドレスデン選挙区では10月2日)、ドイツの連邦議会選挙が行われた。選挙の結果、新しい議会での多数派の形成は難航し、堅牢で安定した政治制度を持つ戦後ドイツにおいて初めてと言ってよい政治的混乱が生じた。

異例の解散

まず今回の解散自体が異例のことであった。ワイマール時代の教訓に鑑みて政権の安定性を非常に重視するドイツにおいては、任期途中で議会を解散することは非常に稀であり、憲法に相当するドイツ基本法では、首相(形式上は大統領)が任期途中で議会を解散できるのは、内閣信任案が否決されたときか、建設的不信任(※1)で内閣不信任案が可決されたときに限られる。今回の解散は、相次ぐ州議会選挙での敗北などで苦境に立つ与党が、状況を打開するために敢えて解散総選挙の前倒しを行い、そのために内閣信任案を出して与党議員にわざと否決させるという、やや疑問の残る形での解散総選挙であった。

ドイツ連邦議会の選挙制度は、「小選挙区比例代表併用制」(※2)と呼ばれるものであり、比例代表制の一種と言ってよい。選挙結果は、比例代表制が内包する課題が如実に現れる形となった。メルケル党首を擁するキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU:※3)が、社会民主党(SPD)をわずかに4議席上回って最大会派の座を奪還したが、連立協定を結んでいる自由民主党(FDP)と合わせても過半数の議席獲得には届かず、シュレーダー首相とメルケルCDU党首の双方が事実上の勝利宣言をするという混乱した事態となった。
早速の急務となったのが、新政権の多数派を形成するための連立交渉である。戦後のドイツ政治の特徴のひとつは、政党間の連立の枠組みが柔軟であることである。過去を遡ると、コール政権(1982-1998)はCDU/CSUとFDPの連立政権であったし、その前のシュミット政権(1974-1982)、ブラント政権(1969-1974)はSPDとFDPの連立政権であった。さらにその前のキージンガー政権(1966-1969)は、今回と同じCDU/CSUとSPDの大連立である。

複雑な連立の枠組み

今回も様々な連立の枠組みが取り沙汰された。ドイツの場合は5%条項という阻止条項があるため政党の新規参入は比較的難しく、CDU/CSU、SPD、FDPの3党による議会構成が長い間続いてきた。しかし現在はそれらに加えて環境政党である緑の党(正式会派名は「緑の党・90年連合」)が加わり、そして今回は旧東ドイツの共産党(統一労働者党)を前身とする民主社会党(PDS) にSPDの一部などが合流した左派新党(Linkspartei-PDS)が議席を獲得し、多数派の形成はより複雑になっている。今回の連立交渉でも、CDU/CSUとFDPと緑の党の3党による「ジャマイカ連合」(3党のシンボルカラーとジャマイカ国旗の配色による)や、SPDとFDPと緑の党による「信号連立」などの案が取り沙汰されたが、いずれも成立せず、二大政党であるCDU/CSUとSPDによる大連立を軸に交渉が始められた。両党とも首相を自党から出すべきと主張して交渉は進まなかったが、結局最大会派であるCDU/CSUから、メルケルCDU党首が新首相に就任する形でようやく新政権の枠組みが固まった。実質的な協議はこれからであるが、ドイツ初の女性首相、そして初の旧東ドイツ出身の首相が誕生することになる。

メルケル次期首相自身の背景もさることながら、新しい大連立政権がうまく発足できるかどうかは、重要政策において意見の相違を抱えるCDU/CSUとSPDが、政策の摺りあわせをどこまで行えるか、そして新政権の政策というものを如何に明確に打ち出せるかに掛かっている。今回の連立交渉では、16の閣僚ポストをCDU/CSUとSPDでちょうど折半することになったが、首相と首相府長官(日本の内閣官房長官に相当)を除く6つの閣僚ポストがCDUとCSUに、そして8つの閣僚ポストがSPDに配分されることが決まった。これまでの慣例では連立第2党の党首が副首相兼外相を務めてきたが、今回もSPDのミュンテフェリング党首が副首相に就任し、外相もSPDからシュタインマイアー首相府長官が就任する見込みである。

CDU/CSUとSPDの政策の相違

シュレーダー政権が独仏枢軸を中心として欧州統合を積極的に進め、戦後ドイツでは異例なほどアメリカとは距離を置いてきたのに対し、メルケル次期首相は現実派と見られている。対米関係を重視し、欧州統合の推進についても是々非々の立場である。トルコのEU加盟問題についても、シュレーダー政権は積極的に加盟を支持していたが、メルケル次期首相を擁するCDU/CSUはトルコの加盟に消極的であり、トルコは何らかの「特権的パートナーシップ」に留めるべきとの意見が強い。また、国民の欧州統合への関心とも密接に関わることでもあるが、経済と雇用の問題についてもCDU/CSUは大胆な経済改革を主張し、アングロサクソン型の市場経済とは一線を画す立場のSPDとの間には依然意見の隔たりがある。

こうした重要課題での意見の相違をどのように埋めていくかが新政権の課題である。今回の大連立は、両党の政策面での違いを抱えながらの船出となる。前回の大連立内閣であるキージンガー内閣も比較的短い政権ではあったが、両党は政策協議を重ね、次のブラント政権の東方外交(Ostpolitik)に繋がる外交政策を打ち出していった。ブラント政権は東西ドイツの対話を実現させ、欧州のデタントに大きく貢献したが、東欧圏に属するルーマニアやユーゴスラビアとの国交を回復し、東方外交の下地を作ったのはキージンガー大連立政権の功績である。大連立という枠組みはあくまで過渡的な性格に留まるものではあろうが、メルケル大連立内閣が、議会の3分の2以上を占める二大政党をうまく取りまとめて思い切った政策を打ち出すことができるか、両党の違いを埋めきれないまま静止運動に終始してしまうか、ドイツのみならず欧州全体の今後の動向にも影響を与える問題である。

(※1)「建設的不信任」とは、議会(下院にあたる連邦議会のみ)において野党が内閣不信任案を提出する際には必ず後継の首相に推す人を明示せねばならず、その新しい首相候補に対しても過半数の賛成がない限り内閣不信任案は通らない、という制度である。この制度の下で内閣不信任が成立したのは1982年の1回だけであり、戦後ドイツの政権が非常に安定している一因でもある。
(※2)「小選挙区比例代表併用制」の原理をごく概略的に説明すると、まず政党に投じた票を比例代表によって各党(原則として5%以上の得票を得た政党に限られる)に配分し、各党の議席数を割り出す。そして各地域の小選挙区の当選者を、その当選者の所属政党の議席枠に充当していき、残りの議席を各党の名簿から充当するというものである。与野党の勝敗や各党の議席数の増減は、比例代表制の原理で決まる仕組みであり、日本の衆議院における「小選挙区比例代表並立制」とは名称は似ているが全く異なる制度である。
(※3)連邦国家であるドイツは、政党活動も各州が強い独自性を持っている。CDU/CSUの場合、バイエルン州では「キリスト教社会同盟(CSU)」が活動しており、その他の州では「キリスト教民主同盟(CDU)」が活動している。両者は厳密には別の政党であるが、議会では常に統一会派を組み、事実上ひとつの政党のようにみなされることが多い。