コラム

タイ南部で起きていること

2005-10-25
梶田武彦(特別研究員)
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タイ南部で緊迫した状態が続いている。爆弾テロや銃撃事件などが相次ぎ、タクシン政権は治安維持で強硬姿勢を貫いている。周辺諸国との関係にも影響が出ており、今後の展開は予断を許さない。                                                                  

問題の経緯と背景

マレーシア国境近くのパタニ、ヤラ、ナラティワットの南部3県ではイスラム教徒が住民の多数派を占める。昨年1月にナラティワットで起きた軍施設襲撃事件を機に、テロ事件が毎日のように繰り返される事態となり、タクシン政権は戒厳令を敷いて鎮圧に努めている。デモに参加したイスラム教徒住民多数を軍が連行中に軍用車の荷台で窒息死させたり、イスラム教徒住民による仏教徒住民に対する首切りが続発したりして、これまでの死者は1000人以上に上る。

同地域では1970年代から分離独立を求めるイスラム勢力による武装闘争が続いている。80年代に入って一時沈静化したが、ここにきて再び活発化した背景には、仏教徒が国民の95パーセントを占めるタイにあって、南部に集中するイスラム教徒が中央政府に対して抱く被差別感情と、他の地域に比べて経済的に貧しいという現状がある。また、中央集権的、独裁的なタクシン政権に対する反発や、米国の中東政策への不満を理由に東南アジアに広がるイスラムの連帯感などもある。

今の情勢がこのまま続くようだと、アルカイダなどの国際テロ組織が分離独立派と結び付き、バンコクその他地域にテロ攻撃を仕掛ける可能性が指摘されている。中央政府は7月、南部3県に非常事態宣言を発令。これによって治安当局は、捜査のための盗聴やメディアの検閲、令状なしの容疑者拘束などを実施する権限を得た。この宣言は18日、3カ月延長されることが決まった。さらに、月末までに同地域の住民に対し、宗教や犯罪歴なども含む詳細な個人情報を組み込んだIDカードの所持を義務付けることになっている。これら住民の多くはタイとマレーシアの二重国籍を持っているが、どちらか一方の国籍の選択もしなくてはならなくなる。

タクシン政権の強権的な手法による取り締まり強化には、「事態を安定させるというよりは、むしろ悪化させている」といった批判も多い。2003年に実施された「薬物撲滅作戦」では薬物密輸業者らを捜査する段階で、容疑者の死者数が2000人近くに上った。南部問題に対しても同様の強硬姿勢で臨んでいるといえるが、結末も同じく悲劇的なものになりかねない。

外交にも影響

問題は国外にも波及している。隣国マレーシアとは合同パトロールを含む国境地帯の治安対策強化などで協力しているものの、タイが「マレーシア国境側に分離独立派の“聖域”がある」などとマレーシアへの不信感をあらわにしており、両国関係はきしみがちだ。国教がイスラム教のマレーシア国民の多くは、タイ南部のイスラム分離独立派にシンパシーを抱いているといわれる。マハティール前マレーシア首相は、南部3県に自治権を付与すべきとの発言を繰り返し、タイ側の反発を招いたという経緯もある。最近では、マレーシアのイスラム活動家たちがタイ製品のボイコットを呼び掛けたことにタイが過剰に反応。サイドハミド・マレーシア外相が「タイは大人の対応をすべき」といさめたところ、カンタティ・タイ外相が「マレーシアとは話をしない」と切り返すなど、両国間で感情的な対立がヒートアップしている。

マレーシア側にも言い分はある。タイ南部の治安悪化を受けて、8月下旬に同地域住民131人が国境を越えてマレーシアに一時的に避難してきたが、大量の「難民」がさらに押し寄せて来るのでは、との警戒感がある。ベトナム戦争終結後の70年代半ばに約25万人のベトナム人難民が南シナ海経由でマレーシアにやって来て、第3国の定住先が決まるまで10年以上も滞在していったという悪夢の記憶がよみがえったからだ。実際、マレーシア国営ベルナマ通信によると、昨年4月から今年の10月までの間に6300人以上のタイ南部住民がマレーシアに不法入国しようとして、追い返されたという。

世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアでもタイ政府批判が起きており、東南アジア諸国連合(ASEAN)の結束に微妙な影を落としている。昨年末のASEAN首脳会議でもこの問題が取り上げられそうになったが、タクシン首相は、そうなった場合はASEANの「内政不干渉」の原則に抵触する、として首脳会議を退席することも辞さない方針を表明した。その結果、首脳会議ではタイ南部問題は取り上げられなかった。

しかし、その後1年近くたっても一向に問題解決の兆しが見えず、ASEANのニューリーダーともいわれていたタクシン首相は「今やこの地域のトラブルメーカー」(タイ・チュラロンコン大のユクリスト・アジア問題研究所上席研究員、ファーイースタン・エコノミック・レビュー誌7、8月合併号)とまで酷評されるようになった。同問題は12月にクアラルンプールで開催される今年のASEAN首脳会議で取り上げられる可能性が出てきている。

マレーシアは「ASEAN加盟国に影響を与える問題を議論する勇気を出さなくてはならない」として、首脳会議での討議に積極的だ。一方、インドネシアの立場には複雑なものがある。タイから内々に助言を求められたりしているが、マレーシアや他のイスラム圏諸国との関係を損なうわけにもいかず、これまで慎重な姿勢に終始してきた。仮にASEAN首脳会議でタイ南部問題が話題になった場合、インドネシアも苦しい対応を迫られることになろう。