コラム

分裂回避に向かうインドネシア

2005-08-23
梶田武彦(特別研究員)
  • twitter
  • Facebook

インドネシア・スマトラ島北西端のアチェ州の独立紛争をめぐり、同国政府と独立派武装組織「自由アチェ運動(GAM)」が8月15日、ヘルシンキで和平合意文書に調印した。
インドネシア・スマトラ島北西端のアチェ州の独立紛争をめぐり、同国政府と独立派武装組織「自由アチェ運動(GAM)」が8月15日、ヘルシンキで和平合意文書に調印した。30年近くで約1万5000人の死者を出した紛争に終止符が打たれる公算が大きくなり、危ぶまれていた国家分裂の危機は回避できそうだ。しかし、これまでに蓄積された相互不信の解消は容易でなく、真の和平を達成するために克服すべき課題は多い。

国家分裂の危機

今回の調印は17日のインドネシア独立記念日の直前という絶妙のタイミングで行われた。16日付のジャカルタ・ポスト紙は社説で「ヘルシンキ合意は独立記念日を祝う贈り物と見ることができる」と評した。その一方で、「悲観的な見方をすれば、インドネシアが国内問題を自分たちの手で解決できなかったともいえる」とし、地域大国のインドネシアが国際社会の支援なしには国家としての一体性を維持できないという現実に無念さもにじませた。

アチェ紛争は、石油・天然ガスなど資源の住民への利益還元が不十分だったことなどから、1976年にGAMが独立宣言したことに端を発する。過激化した独立運動とそれに対する治安当局の弾圧の強化の繰り返しで、紛争は泥沼化の一途をたどった。インドネシアは300以上の民族で構成されており、独立以来、「多様性の中の統一」を国是に国民統合を図ってきた。しかし、32年続いたスハルト独裁体制が98年に崩壊して以降、各地で民族紛争が頻発、建国の理念は色あせてしまった。

2002年には東ティモールが独立。イリアンジャヤやマルクでも独立を求める声が強い。インドネシア政府が東ティモールの独立容認を含む新方針を発表した直後の99年2月に、ダウナー・オーストラリア外相は、インドネシアが東ティモール問題への対応で犯した過ちをアチェなど他の地域で繰り返せば、同国はバルカン半島のように小国に分割されてしまうと警告していた。

99年10月に就任したワヒド大統領は、独立運動の「外堀」を埋めるべく巧みに動いた。同年11月にマニラで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議では、アチェ紛争に関し「インドネシアの主権と領土保全を全面的に尊重し、平和的解決に向けたワヒド大統領の努力を支持する」と事実上の独立反対を表明した議長声明を発表。ASEANとの首脳会議に招かれていた日中韓首脳もこれに賛同した。ワヒド大統領は米国からも国家分裂回避で支持を取り付けており、独立運動への国際的な包囲網が完成したといえる。こうして、徐々にではあるが、和平に向けた機運が高まっていった。

とはいえ、その後の和平への取り組みがスムーズに進んだわけではない。対話による紛争解決を掲げるワヒド政権は00年5月にGAMとの間で停戦に合意したが、国軍とGAMの交戦状態は続いた。01年4月に、ワヒド大統領は、国軍、警察に対しアチェの制圧作戦を発令した。同年8月に政権の座に就いたメガワティ大統領は、国家の分裂は絶対に認めないという方針の下、GAM掃討作戦を強化。この結果、GAMの弱体化が進み、02年2月にはそれまでの方針を大きく転換。インドネシア政府との和平協議で、アチェ州の自治拡大について政府と協議することに同意した。これを受けて、同年12月、和平協定が調印された。

ヘルシンキ合意への期待と不安

このときの合意は、国軍強硬派とGAMが衝突し、03年5月に破綻してしまう。政府側は戒厳令を布告し、国軍はまたもや独立派掃討作戦に乗り出した。和平への道が閉ざされたかに見えた情勢は、昨年12月のスマトラ沖地震でアチェが大きな津波被害を受けて一転する。政府とGAMは翌月からヘルシンキで和平協議を再開し、短期間で合意にこぎつけた。

スピード合意に至った背景には、昨年10月に就任したユドヨノ大統領がアチェなど地域紛争の解決を政権の最重要課題に位置づけていたことがある。GAM側も03年5月の和平協定破綻後の掃討作戦で組織的に大きな打撃を受けていて、武力闘争の先行きに展望が見いだせなくなっていた。そこを襲った大津波でアチェでは死者・行方不明者が16万人を超えた。GAMは被災者の救援で目立った貢献ができず、独立支持派住民の失望を買った。さらに政府としても同州の被災地支援で外国から過去最大の人道援助を受けており、震災復興に向けての取り組みが事実上国際社会の監視下に置かれたことも和平を後押しする一因となった。

こうしてGAMはそれまでの独立要求を棚上げし、インドネシア国家の統一を確認した上で武装解除、自治権拡大を進める方向で妥協した。武装解除と国軍・警察の撤退は9月15日から段階的に実施され、年内に完了する。自治権拡大については、インドネシアでは全国政党しか認められていないが、アチェ州だけの地方政党を設立する権利が認められたほか、06年4月の選挙で自治政府代表が選ばれることになった。

さらに、アチェ州は州内の天然資源に関する権利やこの収入の7割を得る権利を手にした。独立紛争で停滞していた同州の資源開発に弾みがつくと期待されている。もっとも「アチェの天然ガスは枯渇しつつあるので、治安がよくなったからといって開発が進むというものではない」(エネルギー問題専門家)との声もある。

今後の和平プロセスが順調に進むかどうかは予断を許さない。GAMとインドネシア国軍との間の相互不信は根深いからだ。GAM内部には主戦論を唱える強硬派も少なくない。他方、アチェには背後で国軍が支援しているといわれる民兵組織があり、武装解除したGAM構成員を襲撃するのでは、と懸念されている。GAM側が自衛に立ち上がれば、国軍の介入を招き、和平が頓挫しかねない。調印された和平合意文書に基づいて、欧州連合(EU)と東南アジア5カ国が和平監視に当たることになっているが、要員も限られており、その実効性には疑問の声が上がっている。国際社会が民兵の動向に目を光らせていくことが、真の和平達成に向けたカギとなる。

インドネシアはかつて「ASEANの盟主」と呼ばれていたが、アジア通貨危機やスハルト失脚を経て、国家分裂の危機にひんする不安定な国となってしまった。中国やインドが台頭する中、盟主不在のASEANの存在感は希薄にならざるを得ない。インドネシアがアチェ紛争の解決をてこに、国内の安定を図ることができたとき、同国ばかりでなくASEAN地域全体がメリットを享受することになるだろう。