コラム

「中央アジアをめぐる国際情勢の変化」(その5)

2006-02-21
廣瀬徹也
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中露関係は概ね非常に良好である。中露は2001年7月に「中露善隣友好協力条約」を締結。2004年10月のプーチン大統領の訪中の際、懸案の国境画定交渉が最終的に妥結し(2005年6月2日批准書交換)、広範な分野における二国間協力の方向を定めた
4.今後の展開

(2)中央アジアをめぐる国際情勢の展望(続)
(ハ)中露関係
中露関係は概ね非常に良好である。中露は2001年7月に「中露善隣友好協力条約」を締結。2004年10月のプーチン大統領の訪中の際、懸案の国境画定交渉が最終的に妥結し(2005年6月2日批准書交換)、広範な分野における二国間協力の方向を定めた「行動計画」が署名された。また、05年6月30日~7月3日の日程で胡錦濤国家主席が訪露し、パートナーシップと戦略的協力関係を謳った「中露共同コミュニケ」及び新たな国際秩序形成の必要性を謳った「21世紀の国際秩序に関する共同宣言」が発表された他、エネルギー分野の協力に関する議定書が作成された模様である。両国間には大きな懸案事項はなく、経済協力や軍事協力が進んでいる。胡錦濤国家主席とプーチン大統領とは個人的にも親密と言われている。

2005年8月に中国山東半島付近で初の中露共同軍事演習が行われた。同演習は、ロシア側より海軍艦艇や長距離爆撃機が参加し、揚陸作戦が行われる等大規模な演習となった。公式の説明ではこれはSCOの枠内で行われ、「国際テロリズムと民族紛争に対応するものである」とされているが、台湾海峡を念頭においた中国の政治的意図に、ロシアが対米牽制と武器の対中輸出増加の観点から乗ったのであろうとする見方が一般的である。

他方、中国は2003年ころから、SCOを安全保障中心の組織から自由貿易圏創設も見据えた経済組織としても機能させようと図ったが、ロシアは中央アジア市場が中国に支配されるのを恐れて反対したと伝えられている。ロシアはむしろ自身が主導権を握れる合体後の「ユーラシア経済共同体」と「中央アジア協力機構」を地域経済協力の柱としたいのであろう。ロシアにとって中央アジアはあくまでnear abroad であり、中国が政治的にもこれ以上影響力を伸ばすのは望んでいないと思われる。ウズベキスタンでの会議に中国からの発表者は1名しか招待しなかったのもその表れであろう。

(ニ) 米露関係
プーチン政権は対西側協調路線を基本としつつ、中国、更にはインドとの協調路線を強く打ち出す等、独自の外交路線を進めている。米露関係は2003年3月の対イラク攻撃をめぐる対立以来、「ユコス」社事件やブッシュ大統領の「ヤルタ合意」に関する演説などで緊張したがその都度修復が繰り返されてきており(i) 、今後NISにおける競合が進んでも、米露関係の決定的悪化は避けられよう。前記2005年7月の「上海協力機構」の「共同宣言」後、9月の米露首脳会談(ワシントン)で、両首脳は、両国の良好な関係を強調し、テロとの闘いにおける協力強化につき合意したほか、CIS諸国の安定と繁栄の維持が共通の利益であることを確認した。 10月にはライス国務長官が、中央アジア(キルギス、タジキスタン、カザフスタン)とアフガニスタン訪問後、急遽予定を変更してモスクワを訪問し、ラブロフ外相、プーチン大統領と会談し、ライス長官はウズベキスタンからの米軍撤退後新たな米軍基地を開設しないと約束したと報じられているなど対露関係修復に乗り出している。 11月の米露首脳会談では、イラン及び北朝鮮の核問題を始めとする国際問題について協議、イランの核問題では米露の立場は対立しているが、会談では、テロとの闘いについて詳細な話し合いが行われ、また、ロシアのWTO加盟問題については、プーチン大統領よりブッシュ大統領に対し、ロシアの努力への支持について謝意が述べられた。

(ホ) 中央アジア諸国の地域協力
諸国はそれぞれに国内で多くの課題を抱えており、またテロリズム、麻薬、環境問題、国境を越える犯罪、水利用等は地域全体で解決すべき問題であるとの共通の認識があることは今次会議でもみてとれたものの、現実には各国の利害が対立し地域協力はスローガンほどには進展していないのが実情である。中央アジア5か国の総人口は5700万、アゼルバイジャンを加えても6500万にすぎず、将来より大きな共同市場結成を目指すとしても、ロシアの影響が強くなるであろう「中央アジア協力機構」と合体後の「ユーラシア経済共同体」、中国主導になると思われるSCO,西アジアと結びついたECOのいずれが母体となるかも必ずしも道筋は見えない。いずれにせよ重要なのは中央アジア諸国自体が国際力学の変化に翻弄されない力をつけることである。

4.日本の役割
このような中で、日本としていかに対応すべきか。日本政府は中央アジア・コーカサスをはじめとするロシア以外のNIS諸国の独立以来、主として二国間ベースで、イ)政治対話の促進、ロ)鉄道、道路、空港、電力など経済・社会インフラの整備のための円借款の供与と市場経済化を担う人材の育成を中心とした技術協力に重点をおいたODAの実施、ハ)民間経済交流の促進と相互理解向上のための人的交流・文化交流の促進を積極的に進めてきた。

その際日本は非産油国も産油国と同様に重視する方針をとった。これは欧米諸国が国交開始当初エネルギー資源にばかり着目し、産油国との関係強化をはかっていたのと対照的であった。またNIS諸国の民主化・市場経済化促進との点では、欧米諸国の目標と軌を一つにするものであったが、前述のようなNISの特に中央アジア・コーカサスの民衆の民主化よりも生活の安定を優先させる特性に鑑み、民主化は国造り・安定の実現とバランスをとりつつ徐々に浸透させるべきものであると考え、人材の育成に重点を置いたのである。また経済改革の面でも欧米諸国が、短期間での市場経済化と同時に金融・財政の強い引き締めをはかる、田中氏の言う“IMF・アングロサクソン方式”をおしつけようとしたのに対し、日本は市場経済において政府が大きな役割を果す“日本・東アジアモデル”を選択肢の一つとして提示することを進めるなど欧米とは一線を劃してきた。

上記路線は筆者が1993―95年外務省の初代NIS室長を勤めた時にしいたものであったが、その後、中央アジア・コーカサス諸国へのそれは97年7月、橋本総理の経済同友会でのスピーチで「対ユーラシア外交」の一環として「対シルクロード地域外交」と名付けられ、飛躍的に拡充された。中央アジア・コーカサス諸国へのODAは2003年度までに総額約3260億円(約30億ドル)にのぼる。各国から03年度末までに約2800名の研修員を受け入れ、約630名の専門家・ボランティアを派遣した。各地に開設した「日本センター」を通じた市場経済化研修も進められている。またウズベキスタン,タジキスタンに対してはアフガニスタン周辺国としての支援も行ってきた。かくして中央アジア・コーカサスの多くの国で日本はODAのトップドナーである。
 04年8月、川口外務大臣の中央アジア4カ国歴訪時に「中央アジア+日本」対話の開始と地域内協力推進への支援の方針を打ち出したのは正しい方向である。「中央アジア+日本」対話は中央アジア諸国にとって地域協力を進める一つのモデルとなりうる。また今後は、ODAは円借款の供与よりも、現地のニーズにあわせた人間の安全保障に貢献する支援に重点を置くベきであろう。

これまで見てきたように、国内に不安定要因を抱え、かつロシア、中国に近接し、また、アフガニスタンなど紛争地域に隣接するウズベキスタンの政治経済が安定することが中央アジア全体の安定には不可欠である。我が国としては引き続き同国の民生の向上に役立つODAを実施すると同時に、これを梃子として時にはアンデイジャン事件の際に行った如く民主化への一層の努力を強く申し入れることも必要であろう。

他方、長期的にみれば、この地域のエネルギー資源開発の進展は、当該国と地域の経済発展と安定に寄与するのみならず、近い将来アジア市場向け輸出が可能となればアジアのエネルギー安全保障の強化に貢献し、日本にとってもエネルギー供給源の多様化、中東依存度の低減にも資するとの観点よりは日本企業の参加も期待されるのは当然である。日本企業が参加したプロジェクトのうちこれまで生産に結びついたのはアゼルバイジャンの「アゼリ・チラグ・ギュネシリ(ACG)」油田(伊藤忠石油開発3.92%、と国際石油開発10%)、カザフスタンのカシャガン油田(国際石油開発8.33%)である。更にバクー油田の石油輸出のメインパイプラインとしてのバクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)パイプライン建設に伊藤忠石油開発(3.4%)と国際石油開発(2.5%)が参加しており、またBTCパイプラインにはJBICが04年2月5億8000万ドル限度の融資契約に調印している。かくして進出の足場は築かれている。

特にカザフスタンはアジアのエネルギー市場への主要な供給者の一つとなることが見込まれると言う点で極めて重要である。かつウズベキスタンと並ぶ中央アジアの大国たるカザフスタンの民主化・市場経済導入に向けての動きはODA大綱の基本方針の一つである「途上国の自助努力支援」の観点からも好ましく、このような動きをさらに慫慂する方向でODAを実施すべきであろう。
 
なお二つの会議出席に際しては、日本国際問題研究所藤原稔由常務理事はじめ所員各位、外務本省中央アジア・コーカサス室の添田麻子事務官、在ウズベキスタン大使館の楠本祐一大使ほか館員、在イラン大使館の堂道秀明大使ほか館員、特に町田和歌子専門調査員、上記田中哲二氏 及び主催者たる研究機関各位にはお世話になり、また情報と示唆を得た。この場を借りて各位にお礼申し上げる。

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脚注

(i) 米露関係
「ユコス」社事件:2003年夏以降、民営化の際の不正や脱税等の容疑で「ユコス」社幹部が相次いで逮捕され、同年10月には同社のホドルコフスキー社長(当時)の逮捕に至った。2004年7月、徴税当局は、「ユコス」社に対し巨額の追徴課税を行い、その支払いのために同社の中核子会社である「ユガンスクネフチガス」(ユコス全体の約60%の石油を生産)を競売にかけた。その結果、「ユガンスクネフチガス」は最終的に国営石油企業「ロスネフチ」に売却された)を受け、2004年1月末のパウエル米国務長官(当時)訪露の際にロシアの民主主義の状況に懸念を表明するなどやや緊張したが、2005年2月にスロバキアのブラチスラバで行われた米露首脳会談では、これまでと同様に米露間の建設的な関係が維持されることが確認された。同会談では、ロシアにおける民主主義の問題についても議論され、3つの共同声明(原子力安全に関する協力、ロシアのWTO加盟問題、米露エネルギー協力)を含む「ブラチスラバ・イニシアティブ」が発表された。

・ブッシュ大統領「ヤルタ合意」演説:2005年5月7日、ブッシュ大統領はロシアに先立ちラトヴィアを訪問し、第二次大戦中の米英ソ首脳のいわゆる「ヤルタ合意」につき、大きな歴史的誤りであった旨の演説を行ったのに対し、プーチン大統領は、同日、「ヤルタ合意」はナチズムの再生を防ぎ世界を壊滅的な紛争から守る新たな国際秩序を構築しようとしたものとの認識を示した。

筆者: 廣瀬 徹也(ひろせてつや)
アジア・太平洋国会議員連合中央事務局 事務総長
元外務省新独立国家(NIS)室長、在ウラジオストク総領事、駐アゼルバイジャン大使