コラム

先頭を走り続けるスター記者: ウッドワードの迷いと葛藤

2005-10-26
中山 俊宏(主任研究員)
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『フォーサイト』誌 ( http://www.shinchosha.co.jp/foresight/ ) 2005年10月号に掲載

アメリカ政治の最大の謎の一つであった「ディープ・スロート」の正体が明らかになった。

ウォーターゲート事件当時、まだ駆け出しの新聞記者だったボブ・ウッドワードに地下駐車場で情報を提供していたのは、W・マーク・フェルトFBI(米連邦捜査局)副長官(当時)であったことを91歳の本人が明らかにし、ウッドワード自身もこれを確認した。

フェルトとウッドワードとの出会い、ウォーターゲート事件におけるフェルトの役割、その後の二人の関係を綴ったのがボブ・ウッドワード著”The Secret Man”である。

90歳を越えたフェルトはもはや当時の記憶はほとんどないという。ウッドワードについても、かろうじて当時知り合いであったことを覚えているのみのようだ。従って、我々はディープ・スロート本人の口から、ウォーターゲート事件についての話を聞くことは出来ない。晩年を迎えたフェルトがなぜこの時期に公表を決意したのかをめぐっては、様々な憶測が飛び交っている。今回の公表は、これまで頑なに沈黙を守ってきたフェルト自身の熟慮の末の決断というよりも、同居する家族の判断という色彩が強そうだ。

本書は、1970年前後のホワイトハウスでのフェルトとウッドワードとの偶然の出会い、その後の2人の奇妙な関係を興味深く綴っている。

二人が出会った当時、ウッドワードは海軍に服役し、フェルトはFBI次官補であった。二人はホワイトハウス内の待機室で偶然に会話を交わしたようだ。静かな威厳に満ちたフェルトに、若きウッドワードは強い感銘を受ける。ウッドワードは軍務を離れた後、当初フェルトを人生の先輩として慕うが、新聞記者になった後、その関係は変質していく。

しかし、ウォーターゲード事件後、フェルトがその関係を一方的に遮断し、二人は事実上没交渉になる。

本書で一番興味深いのは、二人が没交渉になった後のウッドワード自身の迷いと葛藤だ。引退し、家族と一緒に暮らすフェルドをウッドワードが秘密裡に訪れる場面からは、ウッドワード自身の迷いが伝わってくる。これはウォーター事件を通じて、自分が一躍有名になったこと、そしてその背後で誰からも忘れ去られたフェルトに対するある種の罪悪感であろうか。久しぶりに会ったフェルトは、ウッドワードを笑顔で迎えつつも、すでに当時の記憶をほぼ失っていた。その時のウッドワードの複雑な気持ちは、想像するに難くない。

つまり、『シークレット・マン』の本当の主人公は、あくまでいまやスター記者となったウッドワード本人だともいえる。ディープ・スロートは、ウッドワードの最初の著書を映画化した『大統領の陰謀』の有名なシーンのように、依然として地下駐車場で囁き続けているにすぎない。本書ではかろうじてその表情が明るみに出た程度だとも言える。より重要な問題、つまりなぜ現役のFBI副長官が政権を揺るがした報道に協力したのかという最大の問題については依然として明らかにされていない。当時駆け出しの記者であったウッドワード自身も、スクープの発掘のみに奔走し、フェルトという人間の動機、もしくは彼の内面世界については、関心が向かわなかったようだ。

ウォーターゲート事件によって、アメリカにおける報道の在り方は大きく変わった。新聞記者自身がメディア・スターになる可能性が開かれ、その結果として誰もがスクープを追い求め、それをまとめて本として出版し、多くの記者が第二のウッドワードになろうとした。ウッドワードは、9・11テロ後も、『ブッシュの戦争』、『攻撃計画』を立て続けに出版し、いまでもその先頭を走り続けている。

確かにディープ・スロートの正体は明らかになった。しかし、今回の公表によっても、本書の出版によっても、ディープ・スロートの「真意」は明らかになっていない。当時のフェルト自身の日記のようなものが出てくれば別だが、ディープ・スロートの「本当の正体」はフェルトの記憶とともに、歴史の彼方に消え去ってしまったようだ。