コラム

東ティモールの治安悪化:グローバル化時代における「国家建設」の困難さ

2006-06-29
藤重博美(研究員)
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東ティモールの国家建設が大きな困難に直面している。悲願の独立を達成したのは4年前、治安維持を担ってきたオーストラリア軍主体の平和維持部隊が撤収を完了したのはわずか1年前のことであった。1999年に住民投票で独立が決定されるとインドネシアとの併合を求める勢力が大規模な暴動を起こし大混乱に陥ったが、国際社会が平和活動(短期的な治安維持を目的とする「平和維持」と長期的な復興を目指す「平和構築」の総称)を展開して以降の東ティモールはゆっくりとではあっても確実に平和と安定への道を歩んできたものと見られていた。それにもかかわらず、なぜ今、東ティモールの独立国家としての歩みは挫折の危機に瀕することになったのか。
 
これについては、国際社会の東ティモールからの撤収が時期尚早だったのではないかとの反省が各方面からなされている。たとえば、国連のアナン事務総長は『我々は紛争地域から早く引き揚げ過ぎる』と方針の誤りを認め、また、東ティモールの平和活動に深く関わってきたオーストラリア・ハワード首相も『無理に独立を急ぎ過ぎた』と後悔の念を表明している(『読売新聞』、2006年6月1日)。これらの指摘は、国連に代表される国際社会が平和への途上にある国々にどのように関わるべきなのかという難問の中でも、もっとも難しい課題の一つを浮かび上がらせている。

国際社会が紛争後の国家再建に関与した場合、撤収のタイミングは常に難しい問題である。冷戦終結まもなく国連が積極的に平和活動に乗り出した直後は、その撤収は早期に行われる傾向があった。しかし近年の平和活動では、常に撤収のタイミングを意識しその段階ごとに業務達成の期限を定めながらも、現状に応じ臨機応変にスケジュールを変更する柔軟なアプローチが取られている。実際、東ティモールの場合も国連は現状を見ながら何度も撤退の期限を変更し、徐々にでもあっても確実に東ティモールを自立への道へと誘ってきた。その甲斐あり、2002年3月には軍事要員を中心に1万人以上の要員を要していた東ティモールの平和活動は、平和維持部隊の撤収終了直前の2005年4月には1200名余りにまで規模を縮小していた。さらに同年5月以降、国連の活動は文民要員主体の活動に切り替えられたがこの活動規模はわずか数十名程度であり、また活動期間も当初は今年5月までの1年間のみを予定しており(今回の騒乱後、任期延長)、遠からず東ティモールが完全に自立できる日が来ると国連が考えていたのは明らかである。その間2002年12月に比較的大規模な暴動があったものの、今年に入るまで全体として平穏な情勢が続いていた。それがなぜ、今になって東ティモールの復興と安定は大きく後退してしまったのか。

今回の治安悪化の直接的な原因は、東ティモール西部地域出身の国軍兵士たちが東部地域出身者に比べて劣悪な待遇に不満を持ち蜂起したことだが、その背景には、①アルカティリ首相の強権的手法への反発、②根深い地域対立及び独立派と併合派の間の相互不信、③独立後、生活レベルが改善しないことへの不満――などいくつかの根深い原因が複合的に絡み合っている。これらの諸問題は、より根源的には、東ティモールという若い国家の未成熟さに起因するものである。

冷戦後の平和活動は、かつてのような単なる国家間の停戦維持だけではなく、正常に機能しない国家を再構築するという難事業に乗り出した。冷戦終結以来、急速なグローバル化の趨勢のあいまって「国家の衰退」論がしばしば主張されてきたが、平和活動の現場ではこの主張とはまったく逆に国家の強化が行われきたのである。ボーダーレス化の進む現代においても国連等の国際機関やNGOなど国家以外のアクターの国際関係における影響力やグローバル・ガバナンスの実効性はいまだ限定的なものでしかない。したがって実際問題として、個々の人間の身体的安全の確保や人権の擁護また経済的安定の供給などはそれぞれの領域に対し支配権限を持つ国家に委ねるしかないのである。

内戦の果てに国家の破綻に陥る国々は様々な意味で脆弱であり、その再構築は往々にして困難を極める。ましてや、そもそもこれまで国家としての体をなしたことのない東ティモールに一から国家を創設することは至難の業といえよう。東ティモールは16世紀にポルトガルによって植民地化されて以来、第二次世界大戦中の日本による占領、1976年のインドネシアによる武力併合など大国の思惑に翻弄され続けてきた。その結果、世界の多くの非ヨーロッパ諸国が次々に独立を果たした第二次世界大戦後も形式的にすら独立国として存在する機会を奪われてきたのである。

インドネシアの軍事侵攻後、東ティモールは政治的権利を厳しく制限されるだけでなく、宥和政策としてインドネシア政府からの手厚い保護(優遇的なインフラ整備や国営企業によるコーヒー豆の買い付け等)を受けてきたため、経済的に自立する機会も逸してきた。また教育程度や世代によって使う言語が違うことや地域間の反目などにより、近代的な国家建設の基盤となるナショナル・アイデンティティの形成も不十分である。その結果、独立によって国際法上は正当な主権国家の地位を手に入れたものの、東ティモールの実質は国家としてはあまりに未成熟なのだ。

しかし現在、繁栄と安定した国家基盤を享受する先進諸国とて最初から現在のような高度に発展した民主主義や市場経済を持っていたわけではない。何世紀の時をかけて戦争や革命による多くの流血、また経済や社会を革新するための多くの人々の努力や犠牲を礎にして現在のレベルに到達したのである。明治維新によって例外的な速度で近代化を成し遂げた日本でさえ、高度に発展した民主主義と経済的繁栄を両立させるまでには約1世紀の歳月が必要であった。これを考えれば、いまだ国家として正常に機能したことのない東ティモールに安定した政治制度と経済をわずか数年で根付かせようとすることが、そもそもいかに困難な目標だったかが理解できるだろう。

国家の機能は治安の安定から医療や衛生的な環境の提供、教育、福祉など多岐にわたるが、国家の長期的な自立のために死活的な重要性を持つものは経済的な安定である。今回の東ティモールの混乱に典型的に見られたように、国民が平和の果実を感じられなければその不満は容易に武力紛争再開の引き金となりかねない。しかしグローバル経済が急激に発展した現下の世界で、競争力のない後発国家の経済が勝ち抜いていくことは至難の業である。長くインドネシアの保護政策下におかれた東ティモールの場合、貨幣経済も十分に浸透していない原始的な経済構造がいまだ残されておりその見通しは一層厳しい。一筋の光明はティモール海溝の石油・天然ガス資源だが、実際にこれらの資源が開発され東ティモールの国庫を潤すにはまだ数年単位の時間が必要だろう。

いずれにしても東ティモール経済がひとり立ちするのはかなり先のことであり、それまでの間国際社会の支援なしでやっていくことはきわめて困難だと思われる。また、今回のような混乱が再び起これば経済的発展が遠のくだけでなく内戦状態に逆行する危険性があるため、東ティモール政府の要請によって騒乱を鎮圧する展開したオーストラリア軍を中心にした諸外国の軍隊の駐留がある程度長期化することもやむをえないだろう。90年代初期に比べ近年の平和活動は以前よりは長期的な取り組みとなってきたが、未成熟な国家を完全に自立させるにはさらに忍耐強い国際的支援が必要なのである。

その一方、未熟な国家に対する国際社会の関与をむやみに長引かせられない事情もある。その理由としては、①国際的な支援が長引きすぎると受入国に依存心が強くなりすぎる、②国際社会側の負担が大きくなり過ぎる、③地元社会が国際社会のプレゼンス(特に外国軍駐留)に反感を抱き、早期の撤収を強く望む場合が多い――などがある。特に、これまで独立した経験がない東ティモール国民の間には外国や国際社会に対する依存傾向が指摘されており、いたずらに国際社会の関与を長引かせることは東ティモールの自立という長期的な目標を損なうことになりかねない。

根気よく国際的な支援を続ける一方、いかに東ティモールが自立するための力を涵養していくか――。いずれに重心が傾きすぎてもこの世界でもっとも若い独立国家の平和を損ないかねない難問であり、両者の間で適切なバランスを取ることは容易ではない。国連を中心にした国際社会はこれからも難しい舵取りを迫られることになるだろう。しかしいずれにしても、辛抱強い国際支援なしに東ティモールの長期的な自立を実現することは極めて困難であることをわれわれは肝に銘じなければならない。