領土・歴史

竹島を記載した『石見外記』のうち原本に近い写本の発見について

2021-10-08
舩杉力修(島根大学法文学部准教授)
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竹島を記載した『石見外記』のうち原本に近い写本の発見について

令和3(2021)年10月8日

公益財団法人日本国際問題研究所

日本国際問題研究所では、領土・主権・歴史の分野において、調査研究及び対外発信事業を実施するため、平成29(2017)年に「領土・歴史センター」を設置しました。同センターでは、①わが国の領土・主権・歴史に関する国内外の資料の収集・整理・対外発信等、②同分野に関する国内外での公開シンポジウムの実施、及び③同分野に関する調査研究の実施等の事業を展開しています。

平成30(2018)年度からは、島根大学法文学部の舩杉力修(ふなすぎ りきのぶ)准教授に、竹島の古地図の研究のため、受託研究を依頼して実施しています。あわせて、山陰地方において竹島関係の史料調査、聞き取り調査を、舩杉准教授、升田優(ますだ ゆう)・島根県竹島問題研究顧問に依頼して実施しています。

その結果、令和2(2020)年10月、東京都内の古書店で、江戸時代後期の石見国の地誌『石見外記』の江戸時代の写本が販売されているのを見つけ、受託研究の経費で購入しました。分析した結果、『石見外記』の写本のなかでも、原本により近い写本であることが判明しました。また、奥書には「嶋根県邇摩郡大森 熊谷氏」とあり、この本は、かつて石見銀山で最も有力な商人であった、大森の熊谷家が所蔵していたことが判明しました。さらに、『石見外記』所収のわが国及び周辺の地図にあたる「大御國環海私圖」(おおみくにかんかいしず)において、これまでの研究で使用されてきた写本では、「高田屋嘉兵衛の商船が朝鮮沿岸に出て、蝦夷地へ乗る時は、下関を出帆して、北西の方向に8里流して、松島(現在の竹島)と竹島(現在の鬱陵島)の間に出て方向を転じて、北東方向を目標に乗ったのではない」とありましたが、今回発見、購入した本では、最後の箇所が「北東方向を目標に乗ったのではないか(=乗った)」とあり、「松島と竹島の間に出て方向を転じて、北東方向を目標に乗った」というのが正確な意味であると判明しました。すなわち、淡路島出身で、摂津国兵庫の廻船業者高田屋嘉兵衛の帆船は、蝦夷地を目指す際には、日本海で竹島、松島を航海の目印にして、北東方向へ進んでいたことを改めて確認することができました。したがって、『石見外記』のうち、原本に近い系統の写本が発見されたことにより、当時松島(現在の竹島)は異国とは認識されず、日本領と認識されていたことが改めて確認することができました。この資料は、竹島がわが国固有の領土であることを補強する資料であるといえます。

その概略は別紙の通りです。別紙については、調査者の個人的見解であり、日本国際問題研究所の見解を代表するものではありません。

<別紙>

執筆者 舩杉力修・島根大学法文学部准教授(歴史地理学)

別紙1 調査成果の概要
別紙2 「大御國環海私圖」(日本国際問題研究所所蔵本)
別紙3 「大御國環海私圖」(浜田市立図書館所蔵本)
別紙4 「大御國環海私圖」の記載の違い
別紙5 「斗浦圖」(日本国際問題研究所所蔵本)
別紙6 「斗浦圖」(浜田市立図書館所蔵本)
別紙7 『近海航路誌』(海上保安庁、昭和26(1951)年発行)所収「航路図」