研究レポート

米国の対中「関与」政策の概念化と発端(中間報告)

2022-03-24
高木誠一郎(日本国際問題研究所 研究顧問)
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「中国」研究会 FY2021-9号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

今年は日中外交関係樹立とそれに先立つニクソン訪中の50周年であり、日米それぞれの対中関係と二つの2国関係に関して、改めてその意味を吟味するとともに、今後の方向性を確認する重要な機会である。米国における50年間の対中関係を再確認する際のキーワード(表題語)の一つが「関与」(engagement)であることに異論はないと思われる。本研究は、米国の中国専門家による対中「関与」政策論を検討し、対中政策・行動の一面を確認することを目的にしているが、本稿ではその内の概念化と発端に関する作業を報告する。

「関与」の概念化

米国の対中政策論のなかで、「関与」政策が本格的に議論されたのはクリントン政権期である。ポール・エバンスらは、その広範な整理によって、安全保障分野における「関与」という用語の使い方を3つに分類している。(1)に、特定の地域に対する国家の姿勢(特に、米国の他国への姿勢)を示すものとして、基本的に、「何々ではない」という特定の行為を否定する消極的な形での定義(「孤立主義」、「不関与」などの否定)がある。また、米国の対外戦略をすべて関与(政権の違いは目的を使う手段の違い)とみなし、関与に関して「過程」と「目的」の区別を指摘しているものもある。(2)に、特定の国家関係の記述があるとして、それを更に3部分に分類している。①の緩い定義はアジア太平洋地域で、特に中国との関係で適用され、「封じ込め」や「孤立」と対比される形で、対話を意味する。また、関与が暗に示す姿勢として紛争不可避論の拒否の重要性を主張する。②の公式の国家政策・戦略の用語は往々に大文字で(Engagementと)表記され、顕著な例として、クリントン政権の「関与と拡大戦略」と対中「包括的関与」に言及している。③の対中関係に限定されない「関与」の言及としは、米国の政策対象として、日本、ベトナム、インドネシア、マレーシア、シンガポール、北朝鮮、南アフリカがある。その他、オーストラリアやASEANの政策にその用語がある。(3)は、関与に係る形容詞の多様性を指摘し、その内容を更に装飾的、説明(肯定、限定)的、否定的に分類している。その内の説明的な肯定的形容詞については、「アドホック」、「協調的」、「建設的」、「現実的」、「条件付」、「選択的」、「包括的」、「予防的」があるとし、それを付加した「関与」を詳細に説明している。

これらの内、米国の「関与」政策は、対中政策として論ずるものが多く、そこには新興大国への対応を内包している。アラステール・イアン・ジョンストン/ロバート・ロスは、「関与」に二つの補完的な意味があることを指摘する。すなわち、(1)新興勢力の正当な利益のために「現有勢力」(status-quo power)側が行う調整を意味する。それにより、新興勢力が平和裡に国際システムの中に取り込まれる必要性を、現有勢力が勢力均衡のために認識し、その結果紛争は極小化され、平和が維持される。(2)に、新興勢力を関与させるために多国間機構を用いること、すなわち、新興勢力を軍備管理や国際経済体制を含む既存の国際組織やレジームの主導的な立場に取り込むことである。その目的は、新興勢力が国際秩序を不安定化させるような政策を採る可能性を最小化することとされている。そして、関与に内包される矛盾について、何らかの分野に問題が起きると、他の分野における安定性でそれを相殺できることがあるが、他方、その問題による影響が、他の有益な分野にも波及する場合もあると指摘している。

ランドール・L・シュエラーは、歴史的背景に基づいて、新興大国に対する現状大国の対応には①予防的戦争、②バランシング(均衡)、③バンドワゴン(時流迎合)、④バインディング(捕縛)、⑤関与、⑥引き離し/責任転嫁(distancing/buckpassing)の6種類があるとし、その中に関与を位置づけている。すなわち、関与とは主要新興国(rising major power)による行動の非現状維持要因を改善させる非強制的手段であり、目的は新興国を地域的・世界的秩序における平和的変化に習慣づけることとされる。関与の最も一般的な方式は宥和(appeasement)であり、合理的交渉と妥協によって不満を認知し・満足させ、それによって武力紛争を回避し、対立を解決することである。その他に、新興不満国(dissatisfied power)が確立した秩序を受容するよう社会化(socialize)するための様々な試みや、相手の政策に対し罰よりも報酬によりその行動に影響を与えるなど、目的ではなく手段によって他の政策オプションと区別されることも、指摘されている。

そして、関与政策の主要目的は、既存の国際秩序の一体性に関し妥協することなく、紛争を極小し、戦争を回避することであるが、其の他にも、①現状大国が新興不満大国の現実的な(宣言とは反対に)意図と野心の明確な心象を確認すること、②新興不満大国が満足せず、戦争の必要性がある場合のために、現状大国が再軍備し、同盟を作る時間を得ること、③危険な連係を離間させ、またその発生を予防すること等が指摘されている。また、関与の実施は複雑な計略を要し、しばしば危険であること、そして、政策が成功するためには、新興大国が限定的な修正主義目的しか持たず、大国間に致命的な(vital)利益の非妥協的紛争がないことが必要であると指摘する。さらに、現状大国が、新興大国を満足させる目的で、妥協と確実性のある脅威、すなわち「人参と棍棒」(飴と鞭)を使い分けるだけの力を持つときに、関与は最も成功する可能性があるとしている。その上で、平和的変化を管理するためには、新興不満大国だけでなく、現状大国の行動も必要であるとして、共感の表現、公平性、台頭大国の名声と国家の名誉を傷つけない誠実な配慮等を指摘している。

対中「関与」政策の発端

対中「関与」政策の発端については、トーマス・フィンガ―がカーター政権の役割を強調する、興味深い指摘をしている。まず、キッシンジャー密使訪中・ニクソン訪中以降の対中関係は限定的な目標と期待、すなわち「敵の敵は友」であり、ソ連の脅威に対抗すること、のみであったことを指定する。1979年の外交樹立までの主要な目的は安全保障であり、外交樹立過程はそれ自体が目的であり、その内容は信頼確立と妨害除去であった。

1978年末、両方で重要な基本的決定が行われ、その結果、以下のような相互作用が起きた。中国が毛沢東の階級闘争を放棄し、輸出志向の経済成長に変換し、それに対してカーター政権が中国新戦略の対外的側面に対する援助信号を提示した。中国の新戦略は米国の協力なしには進展できず、他方米国は、中国の貿易、投資、「人と人」(people-to-people)関係への門戸開放を必要とした。カーターの意図は、基本的に現実的政策(realpolitik)であり、1970年代初期もソ連を実存的脅威とし、冷戦抗争下の自由陣営同盟を中核と認識しており、ソ連の脅威は無限に続くと考えていた。1977年末、中国の政治と政策の混乱の下、毛沢東の継承者は経済と党の正当性の回復を追求しており、ソ連の抑止に米国政府との密接な関係が必要だった。

鄧小平の改革開放はその可能性を提供した。彼が強調した現代化、発展、経済成長は米国にとって企業の商業的機会を提供し、同時に中国を有能な戦略的仲間とする機会になった。また1978年には、米国の経済力と技術的優越により、米国企業が中国とのビジネスにおいて有利な立場にあった。

「人と人」関係にも新たな可能性をもたらした。19世紀にその関係は宣教師らによる布教から急速に教育、健康管理へ、そして20世紀には人道・市民権利へと転換していた。1978年以降の最大の障害は米国・台湾関係の性質であった。問題は解決できなかったが、巧妙に処理された。その間にカーターは中国政府に対し、鄧小平の現代化に基づく発展戦略に米国が支援できることを説得した。その要石は、1978年8月の政府科学代表団訪中と、中国人留学生を通常の制度で受入れたことであった。

関与の3次元(安全保障、商業、人と人)は中国を冷戦期における米国陣営に入れ、強力で能力の高い仲間とし、関係回復力のある、相互利益的な経済関係の促進を期待していた。しかし、相互関係の大まかな構想は有ったが、それは緻密に統合された大戦略の一部分ではなかった。その理由の一つは、国家関係よりも社会的関係が先行したことだった。

その後中国が急速に経済成長するにつれて、米国は、中国を貧弱国のままとするか、それまで同盟と紐づいていた経済的便益を中国にも提供するか、決定する必要があった。当時の結論は、無視や対立などと比較すれば、中国を準安全保障仲間関係とした方が良いという事だった。商業的関係も、基本的に同盟国と同様の条件で、許可・推進され、そのための具体的政策が実施された。関与の実行は民間に移り、特に多国籍企業が重要な役割をはたした。関与が政府の政策から非政府的領域における相互依存に移行するとともに、より動機と能力のある大規模で有力な支持者が誕生し、政策と両国関係の安定性を要求した。関与の側面には制度・個人の絆の(再)成立があった。その緩和・制限撤去は米国の連邦政府が先行し、中国が漸次続いた。