研究レポート

中国の戦略文化試論――独特な発想の謎に迫る

2022-03-28
松田康博(東京大学教授)
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「中国」研究会 FY2021-11号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

習近平「中華民族の血液には、他人を侵略し、世界に覇を唱えるDNAなどないのである」1

はじめに

これは、2014年5月15日に習近平が多くの外国人を前にして行ったスピーチの一部である。中華人民共和国(以下、中国)の要人や知識人は独善的な言説を、しばしば平然と発言する。中国で戦略文化を論じた李際均や余起芬が中国の戦略論を語る際、必ずといってよいほど中国文明の平和的な側面を強調する2。こうした言動を理解するには、単に歴史論や戦略論だけでは、説明がつかないかもしれない。そこで、本稿では「戦略文化論」を借りて、安全保障に関わる中国人の発想に迫ってみたい。

もともと、戦略文化論はジャック・L・スナイダー(Jack L. Snyder)がソ連を「合理的なアクター」であるという前提で構築した核戦略理論に疑問を提起したことに起源がある。中国の戦略文化が取り上げられる背景には、中国の影響力が増大したことで、ブラックボックスである中国の対外認識や対外行動の解釈が重要になっているという現実的需要がある。

中国の戦略と言動を解釈する上で、その大きな文化的傾向を把握し、そこから中国の認識や行動に説明を加える方法を試す価値はある。中国の伝統文化、外来文化の影響――特に共産党の戦略文化――をどう取り扱うか、中国が自国や他国の行動に対して下している「一方的」な評価や判断が、どこまで戦略文化論で説明できるか等に留意して議論してみたい。

1 法家と儒家の伝統

中国の戦略文化を形成するのは、その文明圏において歴史上発生した戦乱と治国の記憶と、そこから得られた教訓である。シュグアン・チャン(Shu Guang Zhang)によると、西周から清朝までの間に(紀元前1100年―1911年)、各王朝は、3,790回の戦争や動乱を経験したという3。こうした民族の物語に、解釈を加えてきた思想家集団の代表が法家と儒家である。中国の戦略文化論として最も包括的な先行研究を著したアレステア・イアン・ジョンストン(Alastair Iain Johnston)は、明朝の対外行動を取り上げ、中国の戦略文化のレアルポリティク(realpolitik)的な特徴と、儒教的レトリックによる正当化の論理を明らかにした4。ジョンストンは、前者を「戦争準備パラダイム」(parabellum paradigm)、後者を「孔孟パラダイム」(Confucian-Mencian paradigm)と呼んだ。

法家の中で、商鞅や韓非子は君主専制下の富国強兵や、性悪説と厳罰主義に基づく秩序維持を主張し、孫子や呉子のような兵法家は、戦争に勝つための思想を提唱した。孫子は、兵法を「詭道」であると定義し、戦って負けるのを下策とし、戦って勝つことを中策とし、戦わずして勝つことを上策とし、万全の準備をすることにより「まず勝ってから戦う」ことを主張した。孫子の世界では、敵を欺くための権謀術数の限りが尽くされ、勝利という目的のためには手段を選ばない。

他方で、儒家思想は性善説に基づく治国、すなわち社会秩序維持を図ろうとする支配階層の行動規範であり、個人としての道徳律でもある。天下の道は有徳者によって執り行われることになっているため、天子たる皇帝による善政が正当化される。ただし、この考え方は、現実に統治している王朝や政権は有徳者であるため、その為すことは全て正しい、という独善的な自己正当化論理に容易に転化しうる。たとえ「戦争準備パラダイム」によるアプローチをとった行動であったとしても、「孔孟パラダイム」でそれが正当化される。

益尾知佐子もまた、「中国人の間で道徳的な優位性や文化の力によって世界からリスペクトされたいという願望が強い」のみならず、「中国人が外交で『徳の高さ』といったポジティブな精神的要素を認めるのは、自国についてだけ」であることを指摘している5

米国の戦略家であるマイケル・ピルズベリー(Michael Pillsbury)の分析によると、それは「詭道」すなわち騙すことであるということになる6。言い換えるなら、「孔孟パラダイム」で説明可能な「平和主義的」ディスコースは、現実の「戦争準備パラダイム」の行動を隠蔽するための、意図的な対外説明戦略である、ということになる。

2 侵略を受けた経験と社会主義の影響

中国人民は、中国社会が直近に経験した帝国主義戦争の惨禍と社会主義革命の事績を繰り返し教育されている。アヘン戦争(1840~42年)以降、中国はそれまでの「天朝」としての地位を失い、帝国主義列強に蹂躙された。中国人民は列強からの侵略を受けた歴史的経験から、極めて強い被害者意識を有している。近年強まっている中国の主権・領土要求は、一種の「失地回復主義」(irredentism)の現れである。

1949年の中華人民共和国成立以来、現代中国は常に戦争と隣り合わせにあった。中国ではこれらの戦争・危機は、全て外国や台湾当局等が中国の領土や主権を脅かしたことによって発生したと解釈され、教えられている。このため、「一方的な被害者」としてとらえられる中国の行動は道徳的に正当化されるのである。

資本主義諸国の強大な圧力を受け続けてきた社会主義中国が、「外国は常に中国が強大化するのを抑えようと必死になっており、少しでも気を緩めると侵略を受ける」という一種のパラノイアを持つことは、理解不能ではない。特に1989年6月の第2次天安門事件以降は、西側諸国が「改革・開放」政策につけこんで平和的手段によって社会主義体制を転覆しようとしている(「和平演変」)という考えが強い。

このほか、責任の全面的な対外転嫁には、社会主義の組織的文化も影響があると考えられる。マルクス主義には動機さえ純粋であれば、結果責任を問われることがないという論理が内在している。加えて、官僚主義にも過ちを自らただす契機がほとんど存在しない。中国には、政府当局を自由に批判する野党もメディアも存在しないため、社会には宣伝部門が独占的に行う自画自賛と対外批判があふれることとなる。

社会学者マックス・ウェーバーによると、政治の世界における倫理意識は心情倫理と責任倫理に分けられる7。自分の行為によって起きた結果はすべて自分が引き受けなければならない、責任は結果においてあると考える者が責任倫理者である。心情倫理者は自己の純粋な心情から発した信念を貫いているということで、そこから生じたいかなる失敗、いかなる悪に対しても自己を免罪し、責任は他に求め、責任は結果にあるとは考えない8。したがって、心情倫理者は、自分が正しいと思ってした行為の結果が裏目に出たとしても、それは自分の責任ではなく、自分以外に責任ありとする。

3 国際構造認識

次に現代中国の対外認識・行動に関する検討をする。中国のシンクタンクの研究員が発表した論稿から、中国のエリートが古典を引用して国際関係を分析していることを明らかにしたのが、前述したピルズベリーである。ピルズベリーは、中国の5つのシンクタンクの9人の研究者が、戦国時代と古代の治国方略から経験や教訓を汲み取った事例を挙げている9

ピルズベリーによると、中国の研究者たちは、戦国時代において、多くの国が覇を争い、策略を用い、小規模な戦争を行い、国家間会議を開き、条約を結んでいたことを欧米起源の国際関係論における「無政府状態」(アナーキー)と似ていると考えた。そこで、「どうやって覇権国になるか」と「略奪的な覇権国の統制下でどのように生存するか」という経験と教訓を生んだと主張する。こうした古典を使って、中国の一部研究者たちは強大な覇権国である米国を評価し、中国のとるべき道を模索している。

たとえば、中国の冷戦後の対外認識として特徴的な「多極化」の議論であるが、ある中国人民解放軍の研究者は、将来の「多極化」世界は、戦国時代と驚くほど似ており、「孫子の兵法」とは「2,500年前の中国の多極化情況の産物である」と指摘している。

対外関係に関して、中国には弱い国とは個別に、強い国に対してはチームを組んで当たる「合従連衡」的発想、遠い国との関係強化を図り、仲の悪い隣国に対応する「遠交近攻」的発想、脅威となる外国を別な外国に攻めさせることで自らを保とうとする「以夷制夷」的発想が伝統的に存在する。

歴史研究者の劉傑も、こうした中国人の伝統的な発想が、まさに古典的なパワー・ポリティクスそのものであり、現在の国際関係を中国の「春秋戦国時代」になぞらえる者がおり、その考えはかなり受け入れられていると指摘している10。益尾知佐子もまた、中国には「権謀術数の渦巻く場所として世界を描く傾向」があり、「大国間関係を陰謀論で考える傾向が極めて強い」と指摘している11。中国ではリアリスト的な世界観が持たれる傾向があるのである。

おわりに――独特な発想の源泉とは

本稿は、戦略文化論により、中国の対外認識・戦略や対外行動などがどこまで解釈できるかという議論を試みた。

中国の対外認識・戦略や対外行動を解釈する論理のなかに法家的≒リアリスト的な論理が使われていることである。特に多極化世界を解釈する時の中国は戦国時代のアナロジーを好む。そして自国の行動を説明したり、正当化したりするときには儒家的≒リベラリスト的なロジックが使われている。中国は「新安全観」から武力行使に到るまで、自らの「道徳的な正しさ」を強調することに多大な努力を払い、問題発生の責任を全て他国のものであると主張する。こうした言説が、宣伝機構を通じて大量に長期にわたって広まることで、中国は事実上自らの国民に政府と同じ考えを植え付けることになっている。彼らが自らの言説に強い疑問を抱かないのは、おそらくこのためである。

しかも、上記の2つの論理運用の中に社会主義的特徴が潜んでいる。中国には2つの思想文化的潮流があるのであって、それは現代の国際関係における二大理論と相似形である、という以上の何かである。外界への批判と自己正当化が、より徹底していて、方法化されている点に、共産党による組織的な正当化が貫徹していることを指摘することができる。中国では誰もが自国の行動を、宣伝機関がそうするように、リベラリスト的に絶賛することが期待される。したがって、冒頭の習近平による発言も中国では当然の言説なのである。




1 習近平「在中国国際友好大会曁中国人民対外友好協会成立60周年紀念活動上的講話」、新華網、2014年5月、<http://www.xinhuanet.com/politics/2014-05/15/c_1110712488.htm >、2022年3月20日アクセス。

2 李際均「戦略文化」『中国軍事科学』1997年第1期、8-15頁。余起芬『国際戦略論』北京:軍事科学出版社、1998年、2頁。

3 Shu Guang Zhang, "China: Traditional and Revolutionary Heritage," Ken Booth and Russell Trood eds., Strategic Cultures in the Asia-Pacific Region, (London: MacMillan Press), 1999, p. 29.

4 Alastair Iain Johnston, Cultural Realism: Strategic Culture and Grand Strategy Chinese History, (Princeton University Press), 1995. 同書に関しては以下の書評を参照のこと。浅野亮「〈書評論文〉中国の戦略文化―コンストラクティヴィズムの事例研究 アラスティア・ジョンストン『文化的な現実主義―中国の歴史における戦略文化と大戦略―』(Princeton University Press, 1995, xii+307p.)―」『国際政治』(日本国際政治学会)第123号、2000年1月。

5 益尾知佐子『中国の行動原理』中央公論社、2019年、27、32頁。

6 マイケル・ピルズベリー著、野中香方子訳『China 2049―秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」―』日経BP社、2015年、第1章。

7 マックス・ウェーバー著、西島芳二訳『職業としての政治』岩波書店、1952年、87-88頁。

8 立花隆『日本共産党の研究』第3巻、講談社、1983年、179頁。

9 Michael Pillsbury, China Debates the Future Security Environment, Washington, DC, National Defense University Press, 2000, pp. xxxv-xlvi.

10 劉傑『中国人の歴史観』文藝春秋社、1999年、83-85、135-136頁。

11 益尾知佐子『中国の行動原理』、34、38頁。