研究レポート

ポストコロナの保健協力への展望

2022-02-22
詫摩佳代(東京都立大学教授)
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「地球規模課題」研究会 FY2021-4号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

はじめに

新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)について世界保健機関(WHO)が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」を宣言したのは、2020年1月30日のことであった。それから早2年が経過した。2000年以降、度々PHEICが宣言されてきたが、新型コロナの流行は、その中でもとりわけ長いPHEICとなる。2009年のH1N1インフルエンザは2009年4月にPHEICが宣言されて、その1年4ヶ月後の2010年8月に解除された。2014年の西アフリカでのエボラ出血熱の流行に際しては、同年8月にPHEICが宣言され、2016年の3月に解除されるまで1年7ヶ月に渡り続いた。2016年2月には、アメリカ大陸でのジカ熱の流行に関してPHEICが宣言され、同年11月に解除されるまで9ヶ月に渡り続いた。このような前例と比べても、新型コロナの流行は異例の長さとなっている。2021年末には新たな変異株オミクロン株が確認され、2022年2月半ばには日本でも感染者数の累計が400万人を超えるなど、各国でウイルスとの厳しい闘いが続いている。

新型コロナはエボラ出血熱や新型インフルエンザなど、局地的であった昨今のアウトブレイクとは異なり、世界同時多発的だという大きな特徴がある。そのため、いずれの国も自国の対応で精一杯となり、ワクチンや治療薬などのリソースをめぐって、各国間で競合や対立が起きやすくなっている。また、ウイルスの影響が経済・社会活動と、広く社会の隅々にまで及ぶからこそ、政治家にとってみれば、その対応を一歩間違えれば政権の命取りになる。そのため、おのずと対応が非常に政治的なものとなっている。ただ、ウイルスとの闘いを長引かせている理由はそれだけではない。そもそも、国境を越える保健協力を支える枠組みにも構造的な問題点があった。また近年、各国が自国の影響力伸長の手段として、保健外交を活発に繰り広げてきた中、新型コロナ対応そのものが保健外交の現場となってしまっているという事情もある1。本稿ではこのような視点に立ち、保健協力の現状と今後の展望について考えていきたい。

1. 保健ガバナンスの特徴と新型コロナ対応へのインパクト

保健医療分野のグローバル・ガバナンス(保健ガバナンス)とは、国家のみならず、非国家アクターも含み、人間の健康に関するグローバルな課題に、公式・非公式様々な方法を用いて取り組む協力体系のことを指す。近年では、アクターの多様化、WHOの求心力の低下等により、保健ガバナンスの分散化や求心力の低下という問題が見られてきた2。こうした傾向は、新型コロナ対応にも大きな影を落としてきた。その主たるものは既存の国際保健規則やWHOの権限に関するものであった。国際保健規則は1903年に成立した国際衛生協定に起源を持ち、領域内のサーベイランスや水際対策、WHOへの一定時間内の報告義務など、感染症対応のための各種義務が定められている。例えば、当該規則には自国領域内における「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を「評価後、24時間以内にWHOに通達する」ことが定められているが、中国がWHOに新型コロナに関する報告を行ったのは2019年の大晦日であった。実際には2019年秋頃から様々な異変が確認されていたとされる。国際保健規則で定められた規定は正しくは守られなかったのである。また、2021年末に南アフリカによってオミクロン株の登場が報告されたとき、WHOは従来の規定に従い、渡航制限の撤廃を各国に勧告したが、それが正しく守られることはなかった。規則の履行を強制するような規定はなく、あくまで各国の自発的な協力にかかっているのである。

2.ワクチン外交

保健ガバナンスにおける伝統的なアクターである国家は、ガバナンスにおけるアクターが多様化していく中で、その役割を相対化させてきた側面があるものの、依然、重要なアクターであり続けている。古くは各国の保健省を通じた関与が一般的であったが、近年では外務省や国際協力・開発庁を通じて、特定の国のあるいは世界全体の保健システムの向上を目指した関与が増えている。またその際、自国の政治的影響力の拡大や何らかの政治的目的が付随している場合が多い。

このような保健外交としての側面は、新型コロナ対応に際してもクローズアップされた。医薬品へのアクセスに先進国と途上国で格差があるのは何も目新しいことではなく、新型コロナワクチンをめぐっては予め、格差を予防するために、史上初の公平供給を目指す枠組みCOVAXファシリティが設立された。COVAXは加盟国が約200億ドルを共同出資し、候補ワクチンを複数囲い込み、安全で効果的な新型コロナワクチンを主に提供することを目指すグローバルパートナーシップであるが、制度が整えられたからといって、ワクチンが公平に分配された訳ではなかった。実際、COVAXによるワクチン供給は2021年2月から始まったものの、順調にワクチン供給が進んでいるとは言い難い状況である。現在でも、ワクチンの調達や資金不足の影響を受け、COVAXの分配するワクチンの量は、当初予定されていた者の約半分の量にとどまっている。 

その間を縫うように、二国間ベース、あるいは有志国の枠組みを通じたいわゆるワクチン外交が活発に展開されてきた。上述の通り、COVAXがうまく機能するか否かは不透明な部分も多く、その不安を埋め合わせる形で、中国とロシアが国産ワクチンを途上国に輸出してきた。ワクチンはマスクよりも希少価値が高く、供与と引き換えに、南シナ海での行動に支持を得るなど、外交ツールとして機能する意図もあるとされる3。中国はエジプトの他にもモロッコやインドネシアにもワクチンの現地製造支援をおこなっており、その影響は新型コロナ対応にとどまらず、中長期的なインパクトが見込まれている。

アメリカについても、国内のワクチン接種の目処がたった2021年4月頃から中国に対抗して、二国間、COVAXへの寄付、インドに日本、米国、オーストラリアを加えた4カ国の外交・安全保障政策の枠組み「Quad(クアッド)」を通じた寄付など、複数のチャンネルを通じたワクチン外交を展開してきた。しかし、いずれも必要に基づく支援とは必ずしも言えない。米外交問題評議会が公開しているデータによれば、アメリカ、ヨーロッパ、中国、日本、オーストラリアらのワクチン外交の支援先は、世界で最もワクチン接種率が低いサブサハラアフリカではなく、アジア太平洋地域に集中している。ワクチン外交が必要ではなく、戦略的考慮で動いていることが明らかだ4

3.グローバルなレベルでの今後の争点 

国際機関の求心力の低下、米中対立の継続、米欧の覇権対立などの影響を受けて、今後も国境を越える保健問題に関しては、グローバルなレベルで合意を形成することが難しい状況は続くと予測される。実際、合意形成が難しいとされる具体的な争点がいくつか存在する。第一は、新型コロナの発生源調査に関するものである。世界を揺るがした新興感染症の発生源や感染経路を解明することは、次なるパンデミックを予防する上でも重要である。2014年に西アフリカで大流行したエボラ出血熱に関しては、ドイツ国立ロベルト・コッホ研究所の研究チームがパンデミックが宣言されてまもない時期に、最初の死者の周辺環境を詳細に調査、その年末に感染の発生源は、ギニア辺境にある村の木の洞に住む食虫性コウモリである可能性を科学雑誌に発表した。他方、今回の新型コロナを巡っては、2020年5月の世界保健総会決議を受けて、2021年1月末から2月初旬にかけて中国で発生源調査が行われたが、発生源解明には程遠い現状である。2021年には米国が武漢のウイルス研究所から流出したとの立場に立ち、独自に調査を進める動きもあり、またWHOは2021年秋に再調査のためのワーキンググループを設置した。しかし、中国の自発的な協力がなければ、前に進めることは容易ではない。

 第二の争点は、パンデミック条約に関するものである。パンデミック条約は、各国の責務と国家間協力を強化することで、パンデミックに備えようという趣旨で、2020年EUのミシェル大統領が提案したものだ。現在、感染症対応に関する各国の義務等を記した国際保健規則が存在するが、いずれも義務を怠った際の罰則等が設けられていない。提案されているパンデミック条約は、国際保健規則にとって代わるものではなく、パンデミック時における治験データの共有や医薬品・医療物資の安定的供給網の確保など、既存の枠組みではカバーしきれていない協力事項に関し、WHOの権限並びに各国の責務を強化する狙いがある。

2021年11月のWHO特別総会では、パンデミック条約創設に向けた合意がなされたことは、一応の前進と見ることができる。他方、パンデミック条約においても、義務を怠った場合にその国に制裁を加えたり、WHOに強制的な権限を付与するという案には、慎重な意見が多く、パンデミック条約によって既存の枠組みを補強することにつながるのか否か、不透明さが残る。

このほか、2022年に二期目を迎えるテドロス事務局長への支持を巡っても、2022年初め時点で、アフリカ、欧州を中心とする30カ国ほどが支持を表明しているのに対して、米中を中心に、支持を表明していない国も存在するなど、関係国の対応は割れている。資金に関しても、改革の兆しが見えない。2021年会計年度において、WHOの財源はトップ6つのアクターによってその半分が担われており、政治的変化に耐えうる安定的な資金メカニズムの構築が課題とされてきた。2021年末に、サステイナブルな財源に関する報告書が一部のWHO加盟国によって提出されたものの、米中らの反対により、頓挫している。このような現状では、新型コロナを収束に導くため上でも、次なるパンデミックを防ぐ上でも、またポリオやエイズなど、その他の保健課題に取り組む上でも、多くの困難が継続すると予測される。

4.今後の課題―いかに多層的な協力枠組みを整備できるか?

(1)多層的協力の重要性

このような難しい国際環境の中でも、より良い状況を目指して前進するための具体的な方策を探し続けねばならない。どうすれば良いのか。具体的には、グローバルなレベルでの対応枠組みの強化と並行して、地域レベルでの協力の枠組みを見直すより他ない。戦後はWHOの下に6つの地域局が設立されたこともあり、地域別保健協力が発展したものの、地域間の閉鎖性が高く、必要なときに地域間が助け合えないという問題点も引き起こした。それでもなお、地域レベルの保健協力の意義とは、グローバルなレベルでの協力を補完するというものだろう。新型コロナ対応をめぐって、グローバルなレベルでの協力に関するさまざまな綻びが明らかになったからこそ、地域レベルでの協力を見直す動きが活性化している。EUは従来、公衆衛生分野の域内協力に積極的ではなかったが、新型コロナ対応や新型コロナワクチン調達等に関して共同歩調を取ることができなかった経験を受けて、2020年秋に欧州保健連合(European Health Union)の設立に向けて舵を切り始めた。域内での医薬品や医療機器の供給状況のモニタリング、ワクチン治験やワクチンの有効性・安全性に関する情報や研究のコーディネート、またEUレベルでのサーベイランスシステムの整備、加盟国内で病床使用率や医療従事者数などデータの共有などを通じて、公衆衛生上の危機に対する地域レベルでの備えと対応を強化する狙いがある5。近隣諸国と情報共有システムを構築したり、緊急時の対応に関する覚書を結ぶことは、グローバルなレベルでの対応枠組みを補完することにつながる。

ラテンアメリカでは、WHOアメリカ地域局が2021年9月に、新型コロナワクチンの域内製造を推し進めるための地域的プラットフォーム(Regional Platform to Advance the Manufacturing of COVID-19 Vaccines and other Health Technologies in the Americas)の設立を発表した。アフリカでも新型コロナを契機として、地域内協力の重要性が再認識され、アフリカCDCが中心となり、サーベイランスや検査、必要物資やワクチンの調達等に務めてきた。大陸内部の医薬品・医療用品の調達を担う地域内枠組みとしてアフリカ医療用品および医薬品プラットフォーム(Africa Medical Supplies Platform)も設立され、AUやアフリカCDC、国連アフリカ経済委員会など地域の組織間でパートナーシップとして、アフリカにおける域外からの新型コロナワクチン調達にもおいても大きな役割を果たしている。アフリカでは新型コロナをきっかけとして、域内でのワクチン自給率を高めようという動きも高まった。アフリカはワクチン輸入率が99%であり、2021年4月、アフリカCDC長官は現地の生産能力を高めることで、2040年までに輸入率を40%にまでさげることを目指すと宣言した。アフリカでは、グローバルな枠組みへの批判や懐疑心が地域的な枠組みを補強しようという動きにつながっているといえる。

(2)アジアにおける地域的保健協力の可能性

アジアでは欧州やアフリカとは異なり、地域全体を網羅するような包括的な地域的保健協力の体制は進展しているとは言い難い。日中韓3ヶ国は2007年以降、尖閣諸島をめぐる問題で日中関係が悪化した2012年を除き、毎年、保健大臣会合を開催してきた。新型コロナウイルス対応をめぐっては、2020年5月に日中韓保健大臣会合の特別会合を開催、3カ国間の情報やデータ、知識の共有の強化、技術的専門機関間のさらなる交流や協力の促進、新型コロナウイルス対策のための情報・経験の共有の重要性を内容とする共同声明が採択された。他方、その後、中国の対応への不信感が募り、また貿易問題や徴用工の問題で日韓関係がギクシャクするなか、日中韓保健大臣会合は全く進展がなかった。

こうしたなか、アジアでは断片的な協力枠組みが進展しつつある。2020年には日本政府は感染症発生時に動向調査や分析、医療人材の育成等を目指してASEAN感染症センターの設置を支援する方向性を打ち出した。本センターは現地の医療水準の向上や日本企業のASEAN進出につなげる狙いがあるとされ、将来的には日本製の医薬品開発に際して、治験など協力の拠点となる可能性も秘めている。またクワッドを通じたワクチン支援や保健協力が進展していることはすでに述べた通りである。

このようにアジアにおける地域的保健協力は、日韓関係の緊張の高まりや米中対立、あるいは政治体制の違いを反映する形で、断片的な進展を辿っている。他方、地域レベルでの協力の重要性はその歴史が示すとおり、依然高く、近隣諸国のあいだで情報共有の制度を整えたり、起こりうる感染症に対して治療薬やワクチンの共同開発をおこなったり、緊急時の渡航制限や医療用品・医薬品の供給網についてある程度の仕組みを整えることが望ましい。日本の国立感染症研究所と中国CDC、韓国疾病予防管理庁のあいだには定期的な研究交流もおこなわれている。協力に向けて順調に歩みを進める東南アジア―日本間協力と並行して、韓国や中国とも非公式の協力を積み上げていくことが、いずれ地域内の感染症対策に何らかの形で資することになると期待される。

米中対立や多国間協調を基調とするリベラルな国際秩序の衰退といった国際環境上の変化を受けて、グローバルなレベルでの協力は今後ますます分散化と求心力の低下という傾向を強めていくだろう。それを遅らせる目的で、グローバルなレベルの枠組みの補強を行いつつ、一方で、多層的なレベルで感染症への備えと対応能力を強化し、補い合っていくことが現実的な方策と思われる。




1 この点は、詫摩佳代「『自国の危機』としての新型コロナ対応」、国際経済連携推進センター編『コロナ禍で変わる地政学―グレート・リセットを迫られる日本』産経新聞出版社、2021年、pp.210-218でも指摘。

2 Ilona Kickbusch, et al., (eds.), Global Health Diplomacy: Concepts, Issues, Actors, Instruments, Fora and Cases (Springer 2015).

3 Wall Street Journal, 'China Seeks to Use Access to Covid-19 Vaccines for Diplomacy', 17 August 2020, https://www.wsj.com/articles/china-seeks-to-use-access-to-covid-19-vaccines-for-diplomacy-11597690215

4 Council on Foreign Relations, Visualizing 2022: Trends to Watch, Last updated December 6, 2021 3:00 pm (EST), https://www.cfr.org/article/visualizing-2022-trends-watch?utm_medium=social_share&utm_source=tw