研究レポート

インド太平洋経済戦略における国内要因

2022-03-08
片田さおり(南カリフォルニア大学国際関係教授/日本国際問題研究所客員研究員)
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「インド太平洋」研究会 FY2021-4号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。なお、各研究会は、「研究レポート」とは別途、研究テーマ全般についてとりまとめた「研究報告書」を公表する予定です。

2020年代に入って、コロナ禍が続き、サプライチェーンが混乱する中、インド太平洋における各国の経済戦略も錯綜している。

数年前まで、米国はメガ貿易協定TPPを主導することによって、中国抜きで同地域の自由貿易・投資のルール作りを進め、経済統合の梃子にしようとしていた。

一方、中国は「一帯一路構想(Belt and Road Initiative)」のインフラ投資戦略を2013年に打ち上げて、数兆ドルに上る対外インフラ融資を約束することで、周辺地域との経済連結性を高め、自国の影響力を強化し始めていた。

それが、トランプ政権の4年を経て、2021年9月には、米国が抜けた後の11か国間で発効した「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)」に、中国が正式に加盟を申請する。

また、中国が参加し世界GDPの30%を占める歴史上最大のメガ地域貿易協定、「東アジア地域包括的経済連携(RCEP)」は2020年11月にインド太平洋の15か国間で合意され、2022年の1月1日に正式に発効した。

そうした中、米国はCPTPPに戻ってくるそぶりはなく、デジタル協定であるとか、(未だに内容が具体化しない)インド太平洋経済枠組みの提唱であるとか、通商政策については、あまりぱっとしない対応である。どちらかというと米国は、中国の十八番であるインフラ投資の方に熱心で、2021年6月のG7サミットでは、コロナ後の経済再建も狙ったバイデン政権は、国内で進めている「より良い復興(Build Back Better)」の世界版である「Build Back Better World(B3W)」を提唱し、中国主導の一帯一路構想への対抗策として、参加国首脳の支持を求めた。いったいどうしてこのような戦略重点の反転が起こったのだろうか。米中対立の地経学構造は、主に国際レベルに焦点を当てて分析されるが、その政策や手法は国内政治や国内要因に大きく規定されている。

中国の双循環経済発展戦略

まずは、中国がCPTPP参加を目指している理由を考えてみよう。現在の中国の経済戦略は、2020年5月に中国共産党中央政治局から提示された国内国際双循環経済の設立を目指す、新しい発展戦略の一翼を成す。産業構造の高度化とイノベーションを目指すこの発展戦略は、2015年に発表された経済発展のロードマップである「メイド・イン・チャイナ2025」の発展形となる。2021年3月に発表された第14次5か年計画に具体化された「革新、協調、グリーン、開放、共有」という理念のもと、中国は質の高い経済発展を目指している。

こうした目標を中国の国内政治から見ると、外圧を使った経済構造改革の重要性が指摘できよう。筆者は別著で、中国政府が2013年から2016年にかけて、TPPに対して肯定的な評価を公表した理由について分析した。1そこでは、経済改革を進めたい改革派の中国首脳部が、TPPへの参加は「一流国になった」という国際的地位を意味することであり、それに反対するものは、中国の国威の上昇を阻むものであるという修辞的戦略を使ったと考察した。今回のCPTPP参加申請もその要素が強く出ていると言われている。2また、コロナ禍によってますます目立ち始めた、世界中のサプライチェーンの過剰な対中依存への懸念、それによってより強調されてきている製造力の国内回帰の動きに対応して、中国は自国を含めた形の自由貿易圏を、強固なものにしていく必要に迫られている。

米国のミドルクラス外交

一方、積極的な通商政策は、今の米国の国内政治土壌からは生まれにくい。「アメリカ第一主義」を掲げたトランプ政権の選挙敗北後、2021年1月に誕生したバイデン政権は、大統領選挙キャンペーン中から、米国が「ミドルクラス外交」を推し進めると国民に約束していた。3

この「ミドルクラス外交」とは、国内のミドルクラスの人々に、米国外交を通じての恩恵が感じられるようにし、彼らの生活向上などに資するような目標を実現する政策である。4同国通商代表部が唱えている「労働者を中心に据えた貿易政策(worker-centric trade policy)」などもその一例だろう。

まず、こうしたバイデン政権の対外政策にとって、もっとも大きな障害は、今年(2022年)11月に控える中間選挙にある。いつまでも終わらないコロナ禍の中、バイデン政権への支持率は低迷し、この選挙で民主党候補は苦戦を見込まれている。選挙政治において、CPTPP支持を含む自由貿易支持や積極的な通商政策は、特に保護主義色の強いラストベルト周辺の候補者を、落選の危険に晒すだけでなく、未だに強い政治影響力を保っている各地のトランプ支持者に、バイデン攻撃の材料を追加することになる。そうした意味で、米国が近い将来CPTPPに戻ることは考えにくい。

その代わりにインド太平洋及び世界規模で、米国の主導権を保つべく登場しているのが、インフラ投資イニシアチブである。具体的には2017年のトランプ元大統領のベトナムでの、日本の提案に沿った「自由で開かれたインド太平洋」演説を皮切りに、米国は国際開発金融公社(DFC)の設立からブルー・ドット・ネットワークの提唱と、これも日本政府が以前から推奨している「質の高いインフラ」投資に沿った政策を打ち出している。バイデン政権下では、この経済戦略を継承し、国内のインフラ投資計画であり、現在米国議会で討議中の「より良い復興」政策とつなげて、その世界版であるB3Wを対外経済戦略の目玉としている。

しかし、2021年秋にはRCEP発効が決まり、またCPTPP参加申請といった中国の積極的な地経学戦略を受けて、より積極的な対抗策の必要に迫られたバイデン政権は、ライモンド商務省長官とタイ通商代表、その後ブリンケン国務長官が、次々とアジアを訪問していたのを機に、「インド太平洋経済枠組み(Indo-Pacific Economic Framework)」と呼ばれる計画(案)を発表した。だたし、この計画は貿易円滑化、デジタル技術、サプライチェーン、クリーンエネルギー、労働基準及びインフラ投資など広範囲の努力目標をまとめたようなもので、米国の市場開放のような、アジアの経済にとって一番魅力的な要素は含んでいない。また、この枠組みは数か月を経た現在もその具体的内容ははっきりしない。5

インド太平洋経済外交

このように、アジア経済秩序が米中の間で動揺するいま、日本のインド太平洋経済戦略は、大変重要な意味を持つ。もとをただせば、CPTPPは、米国の退場後、日本が主導権をとり成功させた自由貿易協定である。また、「質の高いインフラ投資」は2015年の正式発表以来、日本の重要な経済外交政策で、2019年G20大阪サミットでは、中国も含めたすべての参加国から「質の高いインフラ投資に関するG20原則」への同意を取り付けている。

米国が国内政治の問題に軸足を移し、インド太平洋地域への経済関与に消極的になっている現在、貿易・投資のルールや経済連結性の強化など、この地域への公共財及びリーダーシップをとれるのは日本である。中国のCPTPP参加申請も、今後、きちんと経済のルールを守り、地域の繁栄を支えていこうというのであれば、チャンスとして積極的に審議していくべきものである。米中貿易戦争やコロナ禍を通して、分断されている世界経済を立て直すのは、そう簡単ではない。しかし、日本のインド太平洋経済戦略が今後ますます重要になり、これからの世界経済の流れに大きく影響していくことは間違いない。




1 Lin, Alex Yu-Ting, and Saori N. Katada. (2020). "Striving for greatness: status aspirations, rhetorical entrapment, and domestic reforms." Review of International Political Economy (2020): 1-38.
2 Haiwei Jiang & Miaojie Yu (2021) "Understanding RCEP and CPTPP: From the Perspective China's Dual Circulation Economic Strategy," China Economic Journal, 14:2, 144-161,DOI: 10.1080/17538963.2021.1933055
3 Joseph R. Biden Jr., "Why American Must Lead Again: Recusing U.S. Foreign Policy after Trump," Foreign Affairs 99, no. 2 (March/April 2020): 64-76
4 中山俊宏「米国の中東政策とミドルクラス外交」SPFアメリカ現状モニターNo. 93、2021/5/27。https://www.spf.org/jpus-j/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_93.html
5 バイデン大統領がこの三人の見方の違った戦略を取りまとめることができないのが問題だともいわれている。Gary Clyde Hufbauer and Megan Hogan "Security not economics is likely to drive US trade engagement in Asia." East Asia Forum, 9 January, 2022. https://www.eastasiaforum.org/2022/01/09/security-not-economics-is-likely-to-drive-us-trade-engagement-in-asia/