研究レポート

サウジアラビア経済を取り巻く環境—石油政策、経済改革、対外関係を中心に

2020-12-04
中西俊裕(帝京大学教授)
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「中東・アフリカ」研究会 第6号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

サウジアラビアの経済は近年、様々な試練に直面している。原油生産を巡っては、石油輸出国機構(OPEC)、非OPECの枠を越えた連携を形成することで、原油価格を自国が求める方向に誘導する方法を模索している。石油政策を中心にサウジアラビアの経済改革、対米関係などについてもこれまでの経緯を踏まえ展望してみたい。

価格戦争

今年に入って原油価格は大きく変動し、サウジアラビアの国家財政を左右する原油輸出収入も影響を受けている。要因には、①新型コロナウイルス感染による世界需要の減少、②サウジ・ロシアの原油生産を巡る対立、③「OPECプラス」の協調減産合意——が挙げられる。

今年3月、石油輸出国(OPEC)と非OPEC有志国によるOPECプラスの会合で、サウジアラビアはロシアに対して減産を要求したが、ロシアはこれを拒否した。同国はOPECプラスの枠内でそれぞれの国に課された生産枠にとらわれず生産量を増やしたいと考えていたためである。世界の原油市場におけるOPECのシェアは50%以下の状況で、減産による価格安定を目指すにはOPEC加盟国だけの生産調整では不十分だ。1000万バレル規模の産油国ロシアが加わらないOPECプラスでは市場へのインパクトが不十分である。

ロシアを引き留めるためにサウジアラビアが行った行動は、減産ではなく大規模増産だった。それにより原油価格が年初と比べ3分の1に低下した。ロシアはこの水準に耐えられず、元のようにOPECプラスでの協調減産の列に復帰した。サウジアラビアはロシアに対しショック療法を用い、この低価格の状況が続いていいのかと行動によってロシアを揺さぶり、妥協を引き出した。ロシアではその後サウジアラビアに同調する発言が際立つようになった。

ロシアがOPECとの連携体制から離れて自由に生産すればこれまでの結束は乱れる。そのためサウジアラビアは短期的な損失を覚悟しつつ、ロシアが同国との間で低価格にどれだけ耐えられるかを争う競争に入る構えを見せたのである。サウジアラビアは過去に今回と似たような大増産を行ったことがある。類似の行動として2つの事例を示してみよう。

1985年のケース

まずは1985年にサウジアラビアが務めていたスウィングプロデューサー(swing producer)と呼ばれる需給調整役を放棄した事例である。同年、OPEC内で多くの国が原油生産を過剰に行い価格低迷がなかなか改善しない状況が生まれていた。世界の需給均衡を考え、サウジアラビアは1980年頃には1000万を超えていた原油生産量を200万バレル台にまで落とし調整役を務めていたが、急に大規模増産に転じた。スウィングプロデューサーとは、世界の原油の需給バランスに応じて自国の生産量を揺れ動くように増減させることから生まれた名称である。しかし多くのOPEC加盟国が合意済み割り当て生産枠を上回って生産し続け、その分を調整するためサウジアラビア一国が減産するのは負担が重すぎた。

当時の国際石油市場では、北海油田を抱える英国、オランダや中米メキシコなど非OPECの新興産油国が次々と増産しており、供給過剰が進行しつつあった。サウジアラビア一国で減産してもどうにもならない状況が極まる中で、窮地に陥った同国が決断したのは、全体の利益を顧みず呼びかけに応じないOPEC各国に再結束を促すショックを与えることであった。サウジアラビアが急増産に転じた結果、原油価格は1バレル10ドル以下まで下落、この「学習効果」で過剰な増産が横行していたOPECは、結束を取り戻し協調路線に立ち戻った。

2014年のケース

2014年には原油価格がシェール生産拡大などで下落基調にあり、多くの市場関係者はサウジアラビアが減産の決定を下すと予測した。だが同国は「減産しない」決定をして低価格を容認した。生産量を抑えていたサウジアラビアはその後、大規模増産を行い、原油価格は低下した。この狙いは、同国のシェアに迫ろうとしていた米国の生産量の押し上げ要因であるシェールオイルの高い生産コストに目を付け、低値誘導でその増加を食い止めることだった。その後の約2年間、各国が増産し続けてOPECや非OPECが「原油安」で疲弊した末に結束ムードが出たところで、サウジアラビアは2016年12月、ロシアと手を組み始めて、OPECと非OPECの有志が連携し本格的に減産する合意が生まれたのである。サウジは大増産を続ける間も、2015年6月に同国のムハンマド・ビン・サルマン皇太子(当時は副皇太子)が側近とともにプーチン・ロシア大統領との対話のチャネルを確保していた。

今後も原油価格がバレル60~70ドル程度まで上がれば、サウジアラビアはライバルである米国のシェールオイル生産が増えるのを警戒し、自国の増産を視野に入れるだろう。米シェールオイル生産会社にとって40~50ドルは採算が悪化して操業が継続しにくくなるゾーンだが、価格低下の勢いが強ければ10~30ドル台の水準にまで過度に落ち込むこともある。サウジアラビアの財政が均衡する原油価格はバレル80ドルを超える水準で、余り落ち込みすぎると財政補填が難しい。国債を発行したり、外国銀行から借り入れしたりしながら数年ごとに高水準と低水準に原油市場価格を誘導するのが、サウジの原油生産の基本パターンとなるだろう。サウジは上記要因のほか世界景気、国内の政治情勢なども加えて原油生産量を総合判断していくが、今後長期的には温暖化防止論の高まりから原油を含む炭素系燃料の使用が減るリスクに直面する可能性があり、石油政策の判断が複雑化するのは避けられないだろう。

石油相に王族就任、サウジアラムコのIPO

石油問題に関係した新動向についても述べてみよう。サウジアラビアで石油を担当する閣僚ポストは長くテクノクラートが務めてきた。だが昨年アブドゥルアジズ王子がエネルギー相ポストに就任した。これは王族から石油担当閣僚に就く初めてのケースとなった。サウジアラビアではOPEC総会に出席する石油政策の担当ポストに王族が就かない形をとってきた。その理由は、国民に対し王室が直接石油利権にかかわらない形をとることが国内統治上必要との考え方や、石油政策の失敗を王室関係者の責任にしないためとの説もあった。王族就任で何らかの影響がサウジ国内で出るか否かを注意深く見守る必要がある。

ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子(当時)が中心になって2016年に石油依存のサウジアラビアの経済体質を改革しようという趣旨で作られた実行計画がサウディビジョン(Saudi Vision)2030である。特に世界の投資家の耳目を集めた措置に、国営石油会社サウジアラムコの新規株式公開(IPO)がある。脱石油政策の切り札として期待されたこのIPOは、19年12月に実施された。ニューヨークやロンドン、東京の取引所への上場も検討されたが結局は国内の証券取引所に登録した。上場後、株価の低下傾向が懸念されていたが、特に原油価格が急落した3月は公開価格の32リヤルを下回り25リヤル前後まで下落。その後原油価格の回復につれ株価も持ち直し、11月下旬で約35リヤル前後である。財政負担を減らし脱石油の推進資金とすべき「新財源」が、不測の事態による石油価格の下落で値下がりしたことは改革が直面する試練の厳しさを感じさせた。投資家は主に国内とGCC内の機関投資家である。またサウジアラビア政府は改革策の一環として今年5月に付加価値税を5%から15%へ引き上げることを決定した。増加し続ける人口を支える予算を確保するため、税率引き上げのほか、アブダビ首長国、カタール同様にドル建て国債発行に動いて歳入確保に努めている。

変化する対米関係

次にサウジアラビアの対米関係について近年の動向をみてみよう。同国はバラク・オバマ政権時代の米国とは経済、政治両面で摩擦が目立った。オバマ政権下の米国ではシェールオイル生産の増勢が強まっていた時である。米政府が安全保障上の理由から長年禁じていた原油輸出を解禁し原油純輸出国となる方針を示したことで、米国はサウジアラビアにとってシェア競争のライバルとして台頭してきた。一方、軍事・外交面ではオバマ前大統領が世界の警察官の役目を果たさないと宣言し、それが経済面の変化と相まってサウジアラビアを防衛面で支援しないつもりではないかとの疑念が同国に生まれた。 トランプ政権になってからは、ドナルド・トランプ大統領が従来の「原油の安定供給と安全保障の交換」と呼べる相互利益に関する原則を再び重視する姿勢を見せ、オバマ政権時より改善したようにみえる。トランプ大統領によるサウジアラビア訪問と首脳会談後の米国製武器購入の合意公表、「カショギ事件」での強いサウジアラビア批判回避などによって、同国の対米警戒感は和らいだとみられる。米国内で石油、石炭など化石エネルギー産業を政治的な支持基盤とするトランプ政権としては、対サウジ関係再強化は必然だった。ただシェールオイルが同国にとって原油市場でのシェア競争のライバルという構図はオバマ政権時から変わっていない。2020年春に大きな増産能力を行使したサウジアラビアの影響力は強く、トランプ政権も同国に配慮を示している。

バイデン氏は、米大統領になった場合、地球温暖化問題への真剣な取り組みとして再生可能エネルギー関連など環境関連の投資2兆ドルを実行すると公約している。バイデン政権が登場すると人権などを巡り、オバマ政権時代のようにサウジアラビアと不仲な状況が生まれると見る向きもあり、トランプ政権が離脱したイラン核合意への対応も含めて注視が必要になる。1980年代から1990年代頃にかけファハド国王が在位していた時代は、米国の一極化が進んでおり、サウジアラビアやエジプトは米国の影響を強く受け対米配慮が目立った。だが時は流れ、サウジアラビアは局面に応じてどの国との協調を重視すべきか、多面的で複雑な対応が必要な時代に入っている。2014年の春、同国のムハンマド・ジャーセル経済企画相は来日時に「我々は多角化された外交の時代に入っている」と筆者に語っていたが、この言葉は現状を予見していたようにも思える。

(2020年11月25日脱稿)