研究レポート

エネルギートランジションへ

2021-03-05
芳川恒志(東京大学公共政策学連携研究部特任教授)
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「経済・安全保障リンケージ」研究会 第11号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

ここのところ、エネルギーの世界では脱炭素に向けた本格的な需給構造の変化という意味で"Energy Transition"が流行である。多くのエネルギーや温暖化に関するワークショップなどで取り上げられている。ここでは、この変化が意味するところについて考えてみたい。

変化の背景

この変化の要因としては、米国の政権交代による、地球温暖化に懐疑的姿勢を崩さなかったトランプ大統領からグリーンなバイデン大統領への交代が最も大きい。加えて、時間軸を少し広げてみてみると、例えば次のようなことがあると思われる。

まず、新型コロナ感染症の世界的拡大とその影響である。新型コロナ感染症により、経済活動が後退しそれに伴ってエネルギー需要も大きく減少した。国際エネルギー機関(IEA)によれば、2020年は対前年比4%以上の減で、大きなエネルギー需要の後退となった。これをエネルギー源ごとにみると、石炭等の化石燃料の需要はより大きく減少し、再生可能エネルギーについてはむしろ増大している。このためCO2排出量では、2020年は減少幅がエネルギーのそれよりも大きく、まさに歴史的なCO2排出減の一年となっている。このことと関連してコロナショックから如何に回復するのかという観点から、"Sustainable/Green Recovery"が言われている。ただ単にコロナ以前のエネルギー需給構造に復するのではなく、できるだけ各国足並みをそろえてより脱炭素に向けたものに転換するように政策誘導すべきだとの議論である。

第二に、昨年9月の国連総会で習近平中国国家主席が表明した「2060年カーボンニュートラル」の影響だ。中国は世界最大のCO2排出国で、2017年世界全体の排出量の28.2%を占めている(ちなみに米国14%、印6.6%、日本3.4%)。これまで温暖化対策にさほど熱心とは思われていなかった中国が、2060年とはいえカーボンニュートラルを表明したことは大きなインパクトがあった。また、我が国の菅総理が臨時国会の冒頭の所信表明演説で2050年のカーボンニュートラルを発表したのはそのほぼ一か月後だ。おそらく、米国バイデン政権がスタートする前の最後のタイミングであったかもしれない。なお、経産省資料によれば、世界で2050年カーボンニュートラルにコミットしているのは、123か国と1地域である。

最後に、ESG投資に代表される世界の企業の動きも進んでいる。GAFAに代表されるグルーバルな大企業がグリーンなエネルギーの調達に関心を持ち、宣言し、しかも同様のことをサプライチェーンにある企業にも求めている。

21世紀のエネルギー

直近の動きは上記のとおりであるが、現在のエネルギーの需給構造やエネルギー政策の方向を理解するために、過去20年のエネルギーをめぐる主要な動きを振り返ってみよう。

まず、エネルギーの需要国・地域の変化である。エネルギーの21世紀は新興国、とりわけ中国の急速なエネルギー需要の拡大とともに始まったといっていい。10年前のIEAの資料によれば、2010年以降その後の四半世紀でエネルギー需要の増加分の3分の1を中国が、インドも含めると両国で半分を占めることを示している。

第二に、エネルギー分野でのイノベーションで、エネルギーの供給面で大きなインパクトを与えたものである。その一つがいわゆる2005年以降顕著になる「シェール革命」だ。これは原油やガスの採掘現場でのいわば地味な技術革新であるが、もたらしたインパクトは非常に広範で大きかった。これによりアメリカは世界最大の原油輸入国から、今や世界最大の原油生産国(2019年)で、2020年代初めには輸出国になるといわれている。天然ガスは既に輸出が始まっており、2018年以降日本にも米国から液化天然ガス(LNG)が輸入されている。シェール革命により米国はエネルギーの自給を達成し、その結果外交面でも自由度が大きくなっている。また、石炭から安価な天然ガスへの燃料転換が進み、CO2排出量が減少している。

二つ目が再生可能エネルギーのコストダウンと発電の拡大である。とりわけvariable(変動)再生可能エネルギーといわれる太陽光や風力について顕著で、例えば、IEAによれば、太陽光については2009年からの10年間でコストが3分の1以下となっている。それに伴い、今や世界で建設される発電所の半分以上は再生可能エネルギーによるものである。

第三に、2011年の福島第一原子力発電所事故とその影響だ。日本においては、事故に伴う全国の原子力発電所の停止等に伴って、いわゆる3つのE、エネルギー安全保障、環境、経済性がすべて悪化しただけでなく、その後のエネルギー政策の大きな足かせとなるなど甚大な影響を与えた。パリ協定等を契機に脱炭素に向けて準備すべき時期に福島事故の影響からの回復に集中する必要があったのである。また、同事故により、ドイツ等他国では脱原子力に転換するところもあった。主流の大型軽水炉の安全対策コストが新たに加わり、また工期の遅延等により経済性にも影響を与えた。

第四に、パリ協定とその影響である。COP21(2015年)において、京都議定書の後を継ぐ枠組みとして、2020年以降の温室効果ガス排出削減等のための新しい国際的枠組みとして採択されたものだが、世界共通の長期目標として、今世紀末に産業革命前に比べ2度上昇に抑える目標を設定し、さらに1.5度を追求すること、すべての国が削減目標を5年ごとに提出し更新すること、適応の長期目標を設定することなどをその内容とする。

エネルギートランジションの意味

エネルギートランジション、すなわち2050年カーボンニュートラルに向けた取り組みは、エネルギーや経済活動を超え、社会のあり方から個人や組織の行動様式など様々な分野での変容を不可避的に伴うプロセスでなければならない。

(1)産業・経済

2020年10月26日の臨時国会における所信表明演説においても、菅総理が「世界のグリーン産業をけん引し、経済と環境の好循環をつくり出」すと述べたように、主としては経済の問題であろう。今ある技術だけでは対応ができないことからもイノベーションも当然主要な要素になる。「グリーン成長戦略」(2020年12月)では、「こうした「経済と環境の好循環」を作っていく産業政策 = グリーン成長戦略」としている。しかしながら、経済・産業だけの問題ではない。

(2)地政学

世界ではもっと幅広い議論がなされている。例えば、2019年ではあるが、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)では "A New World-Geopolitics of Energy Transformation"という報告書を発表して再生可能エネルギーの広がりが世界の地政学に大きな影響を及ぼすとの認識を示している1。そこでは、従来化石燃料が富の配分や安全保障に大きな影響を与えてきたことを踏まえ、化石燃料と再生可能エネルギーを対比し、偏在性が根本的に違うこと、ストック型からフロー型になること、コスト、特に太陽光や風力は限界費用が限りなくゼロに近いこと、デジタル技術と相まって分散化と親和性が高いことなどが指摘されている。

エネルギー・経済問題を超えて

日本では、菅総理のカーボンニュートラル2050の表明を受けて、すでにいろいろなことが動き出している。政府においては2020年末には「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」等が策定されているし2、日本経済団体連合会は、同年12月、「経済界の決意とアクション」として、「政府とともに 不退転の決意で取り組む」ことを表明した3。国際面では、今後様々なイベントが予定されている。国境調整措置をめぐる議論も始まっているし、カーボンニュートラルに関する国際標準化機構(ISO)の策定も進んでいる由である。このようにカーボンニュートラルをめぐる様々な国際的な動きやルールメイキングが本格化しようとしている。

ただ、決して簡単な課題ではない。いくつかの考慮要因を挙げてみたい。

まず、改めて言うまでもなく、カーボンニュートラルはグローバルな課題である。先述のように、世界で2050年カーボンニュートラルにコミットしているのは、123か国と1地域だが世界のCO2排出に占める割合は未だ23.2%だ。中国と米国という2大排出国は含まれていないし、第3位インドや、ロシア、ブラジル、豪州などの主要国、インドネシアを含む東南アジア諸国連合(ASEAN)の多くもまだだ。今後このまま2つの、あるいはいくつかのグループに分かれていくのか、あるいはカーボンニュートラル2050に収れんするのかは、現時点では何とも言い難い。

次に、IEAはじめ多くの研究機関が指摘しているところであるが、そもそもパリ協定の2度目標を達成するのは非常に難しいと思われていた。カーボンニュートラル2050は、この目標よりもさらに厳しく時間も半分以下しかない。なお、国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の「1.5度特別報告書(Global Warming of 1.5°C)」(2018年)によれば、既に世界の平均気温は産業革命前と比べ約1度上昇していて、現在の活動が続けば早ければ2030年には1.5度に達する由である4

このような中で、日本は明確に宣言した。いうまでもなく、中心となるエネルギーは国家の基本戦略で、とりわけ日本は資源に乏しく、大戦の経験も含め日本の大きな制約要因だった。福島第一原子力発電所事故とその後の日本のエネルギー供給をめぐる大混乱からは10年が経過したが、その後も2018年9月には北海道でブラックアウトが発生した。1970年代の石油ショックの影響もことのほか大きかったが、エネルギー問題は依然日本にとって大きい。特に日本には原子力をどうするのかという問題も残されているし、化石燃料からの転換が相当に困難な分野、例えば航空機燃料、鉄鋼業などもある。このような事情を勘案すると、日本においては目標の達成はとりわけ困難だと言わざるを得ない。ただ、このカーボンニュートラルへのパスは、エネルギー安全保障を高めることと完全に一致するわけではないにしても方向性としては同じであるだけでなく、上手にマネージすれば、経済性を含め3つのEいずれにも貢献するものだ。

それではどうするか。

今後大きく変化するコスト構造、社会、地政学の変化、さらには地方やNGOを含む新たなプレーヤーの登場を前提に、これまでに経験したことのないような長期的な意思決定とコミットが求められる。まさにパラダイムが変化するのだ。こういう新しくいまだ全容の見えないルールの下での国際的な競争が始まっている。そういう前提でまず、課題の全容を見据えた作戦の策定と国民の支持の獲得が不可欠だ。同時に、同じ、あるいは同じようなルールで競争をする環境を構築すべきであり、カーボンニュートラルの船に多くの国を参加させる努力をしなければならない。

経済面を考えると、エネルギーコストは当然上昇するが、それをいかに受容していくのか、その過程で、最低限日本だけが不利にならないようにするのが最低限必要なポイントだ。日本において特に相対的なエネルギー価格が上昇することは日本の競争力に深刻な影響を与える。日本のモノ作りの環境が決定的に悪くなる。

先述のように、これから経験することはパラダイムの変化だ。日本が今後どのような国家を目指すのかをしっかり議論するいい機会でもある。また、より政策決定過程におけるエビデンスの一層の重視、政策決定への関係者の参加など政策決定のあり方などについても見直す重要な機会となろう。いずれにせよ、こういった長期にわたる、地政学を含む幅広い分野に影響を及ぼす「運動」を政府は政策として継続していかなければならない。政府の役割は大きい。




1 International Renewable Energy Agency, A New World-Geopolitics of Energy Transformation, January 2019, https://www.irena.org/-/media/Files/IRENA/Agency/Publication/2019/Jan/Global_commission_geopolitics_new_world_2019.pdf (日本語版:「新たな世界―エネルギー変容の地政学―」 https://www.irena.org/-/media/Files/IRENA/Agency/Publication/2019/Jan/Global_commission_geopolitics_new_world_2019_JP.pdf?la=en&hash=AE4E07D65C28E13ED0C95B210E7E5D5D4CA36FB3 )

2 「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」(2020年12月25 日)https://www.meti.go.jp/press/2020/12/20201225012/20201225012-2.pdf

3 一般社団法人 日本経済団体連合会「2050年カーボンニュートラル(Society 5.0 with Carbon Neutral)実現に向けて-経済界の決意とアクション-」(2020年12月15日)https://www.keidanren.or.jp/policy/2020/123.html

4 The Intergovernmental Panel on Climate Change, 2018: Global Warming of 1.5°C. An IPCC Special Report on the impacts of global warming of 1.5°C above pre-industrial levels and related global greenhouse gas emission pathways, in the context of strengthening the global response to the threat of climate change, sustainable development, and efforts to eradicate poverty [Masson-Delmotte, V., P. Zhai, H.-O. Pörtner, D. Roberts, J. Skea, P.R. Shukla, A. Pirani, W. Moufouma-Okia, C. Péan, R. Pidcock, S. Connors, J.B.R. Matthews, Y. Chen, X. Zhou, M.I. Gomis, E. Lonnoy, T. Maycock, M. Tignor, and T. Waterfield (eds.)]. In Press.  https://www.ipcc.ch/sr15/