研究レポート

国内制度とグローバル・バリューチェーン

2021-03-05
猪俣哲史(日本貿易振興機構アジア経済研究所上席主任調査研究員)
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「経済・安全保障リンケージ」研究会 第13号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

今世紀に入り、グローバル・バリューチェーン(GVC)は飛躍的な発展を遂げた。輸送技術や情報通信技術の発達により、生産工程は細かく切り分けられ、各工程は、その業務が最も効率よく行われる国へと移転されるようになる。そのなか、中国やアジア新興工業経済地域(NIEs)など多くの開発途上国が急速な産業高度化を実現した。なぜなら、途上国でも自国の技術レベルに見合った業務を生産工程の中に見いだし、そこへ注力することによって、スマートフォンや液晶テレビのようなハイテク製品を世界標準で作ることができるようになったからである(猪俣 [2019])。

その結果、GVCの発展は、国際生産分業の深化を通じて我々に以下のような恩恵をもたらした。

  1. 生産資源の最適なグローバル配分を可能にし、先進国企業の生産性と市場価値を大いに高めた。
  2. 途上国による国際生産システムへの参加を促し、その国内雇用(非熟練労働)を創出した。さらに、技術移転を通じて経済発展を助けた。
  3. 消費者の立場では、国際貿易が盛んになることで、バラエティ豊富な外国製品を安く手に入れることが可能となった。

しかし現在、このように「三方良し」であるはずのGVCが、反グローバリズムの声によって厳しく叩かれている。なぜならGVCの発展は、開発途上国に対して多くの雇用機会あるいは付加価値を与えた一方で、先進国においては産業の空洞化をもたらし、所得格差拡大の原因となった可能性があるからだ。ことにそれは、「グローバル化時代の<新>南北問題」ともいえる米中貿易戦争として先鋭化し、世界経済に大きな混乱をもたらした。

さらに近年、米中対立の焦点は、雇用の奪い合いから、先端テクノロジーをめぐる安全保障の問題へと急転回する。雇用機会の国際分配をめぐる報復関税合戦を米中貿易戦争の第1ラウンドとすれば、今は、対象を知的財産・先端技術に置き換えた第2ラウンドにある。

このような流れのなか、今後、GVCは「ファクトリー・アジア」や「ファクトリー・ヨーロッパ」といった<地理的近接性>に基づく生産ネットワークから、法や技術体系などの<制度的近似性>によって結ばれたネットワークへ移り変わっていくものと思われる。その背景には、昨今、国際関係の緊張が高まったことによる経済環境の変化がある。安全保障上の動機が経済の分野へ大きな影響を及ぼすようになり、たとえば資産凍結や技術の強制移転など、企業は国家の介入に対して常に神経を尖らせることになった。また、パンデミックによる人心不安・社会的混乱を背景に、あるいはそれらを利用して、多くの国で中央集権化/強権化の傾向が強まっている。政府による恣意的なビジネス介入、そしてその政治的・外交的利用が懸念されるなか、企業は進出先における諸制度の頑健性、あるいは自国のビジネス環境との親和性を、海外展開における重要な参照点とすることになるだろう(猪俣 [2020])。

元来、これら制度に関わる国際ルールの構築は、世界貿易機関(WTO)や国際労働機関(ILO)など国際機関が中心となって進めてきた。しかし、全ての国が機関加盟国ではないことに加え、今日、ルール作成の現場で国際機関の影響力が著しく低下し、多国間による国際ガバナンスは弱体化している。このような状況下、国ごとの制度構築は各国のGVC展開を決める重要な要素となるのである。

むろん、地域ベースのGVCから制度ベースのGVCへの移行は一気に起こる訳ではない。長い時間軸の中で、しかし着実に進んでいくといったイメージだ。また、その様相も地域によって大きく異なるものと思われる。

まず、「ファクトリー・アジア」については、中国からの生産移管といったことがコロナ以前から多く語られてきた。また、今回のパンデミックで生産の一極集中リスクが意識されるようになり、脱・中国の流れは少なからず強まるものと思われる。しかし、情報通信技術や物流システムが進化を続けるなか、中国からの転出先がアジア域内の近隣諸国である必然性はない。企業はより広い視野で調達先の分散を進めるのではなかろうか。

一方、「ファクトリー・ヨーロッパ」はEU法のもと制度基盤の共通化が進んでおり、既にそれ自体が制度ベースのGVCである。しかしBREXITは起こり、また、コロナ対策をめぐっては、当初、EU債の扱いに関して南欧諸国とそれ以外の加盟国(特にドイツ・オランダ)との温度差が浮き彫りとなった。これは、制度概念の範疇として法体系や技術体系に加え、経済体制、政治体制、さらには宗教や言語、文化といったものまで含めれば、「ファクトリー・ヨーロッパ」もやはり一枚岩とは言い難いからである。

「ファクトリー・北アメリカ」については、バイデン米政権の動向を見極める必要がある。トランプ前政権による単独主義からの脱却、国際協調路線への転換を謳う新政権であるが、当面、中国に対する強硬な姿勢を崩すことはなさそうだ。今後、制度ベースによるGVCへの移行は、あるいは米国が主導することになるのかもしれない。

もし、GVCが地域ベースのものから制度ベースのものへと移り変わっていくとすると、地域性の強い貿易協定、たとえば東アジア地域包括的経済連携(RCEP)はどうなるのか、もはやそれは時代遅れとなってゆくのか、といった疑問が湧いてくる。しかし、サプライチェーンの制度依存が強まるなか、むしろRCEPのような地域協定こそが重要である。制度的親和性が高い国どうしでは、貿易協定の有無に拘らず、いずれにせよ相互依存関係が深まっていくだろう。むろん、それを後押しする貿易協定も大事だ。しかし一方で、GVCの維持・発展を地域安定化のための手段として考えると、RCEPのように異なった制度・経済体制をつなぎとめる協定は地域安全保障の要となり得るのである。1

目下、GVCが制度的枠組み、あるいは現行の文脈では「経済体制」に即して発展するとすれば、それは、異なった体制を持つ国、たとえば市場資本主義国と国家資本主義国との間でサプライチェーンのデカップリング(分断)が進む可能性を示唆している。また、いずれの体制にも属さない後発開発国についても、超大国が地政学的見地から独自のサプライチェーンを戦略的に展開してゆく可能性がある。

パンデミック以降、世界的にはデカップリングの流れが強まるものと思われ、それを想定した国家戦略が求められる。国際協調の枠組みとしてRCEPを早期発効させ、それを加盟国どうしの制度的親和性を高めるためのプラットフォームへと発展させることはできないか。環太平洋経済連携協定(TPP11)という高度な貿易協定を主導した日本には、この方向で高いリーダーシップを期待したい。

*本稿の内容は筆者の私見に基づくものであり,日本貿易振興機構の見解を表するものではありません。




<参考文献>

猪俣哲史(2019)『グローバル・バリューチェーン―新・南北問題へのまなざし』、日本経済新聞出版社。

猪俣哲史(2020)「経済教室」『日本経済新聞』2020年7月14日、日本経済新聞社。

Dobbins, J., D. C. Gompert, D. A. Shlapak, and A. Scobell (2011), "Conflict with China -Prospects, Consequences, and Strategies for Deterrence-", The RAND Arroyo Center Occasional Paper, The Rand Corporation.

www.rand.org/content/dam/rand/pubs/occasional_papers/2011/RAND_OP344.pdf

1 たとえば、米ランド研究所は「相互確証経済破壊(MAED)」という概念を提唱する。核抑止論のベースとなった相互確証破壊(MAD)のGVC版である。今日のように国家間の高度な経済相互依存関係のもとでは、相手国を経済的に追い込むことは自国経済も大きく傷つけることに繋がり、そういった相互認識が「エコノミック・ステートクラフト(経済的手段を用いて相手国に政治的影響力を行使する手法)」の乱発に対する抑止力となっている。したがって、もし米中間でデカップリングが進み、両国の相互依存関係が弱まると、この抑止力が低下し、その結果「相互確証経済破壊」へ向かう危険性が高まる、とのことである(Dobbins, et al., 2011)。