研究レポート

日本は「未来」を変えられる:「大国間競争」における当事者意識の重要性

2021-03-24
高橋杉雄(防衛研究所防衛政策研究室長)
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「日米同盟」研究会 第4号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

はじめに

トランプ政権は、2017年12月に発表した「国家安全保障戦略」で、「大国間競争の時代」という世界観を示した。後を継いだバイデン政権も、2021年3月に発表した「当面の国家安全保障の指針」で、中国との「戦略的競争」に優位に立つという目標を示した。このように、共和党であるか民主党であるかにかかわらず、米国は中国との関係を競争的に捉え、それに打ち勝とうとしている。3月16日に実施された日米安全保障協議委員会(いわゆる「2プラス2」)の中で、「拡大する地政学的な競争や新型コロナウイルス、気候変動、民主主義の再活性化と いった課題の中で、日米は、自由で開かれたインド太平洋とルールに基づく国際 秩序を推進していくことへのコミットメントを新たにした」との文言が盛り込まれたことからもわかるように、日本政府も、米国と「同じページ」にいる立場を明らかにしている。しかしながら、当局者を含めた安全保障の専門家を除くと、この米中の競争をどこか他人事に捉える空気が日本の中にはある。

「当事者意識」を欠く日本の論調

例えば、「米中対立」「日本の立場」をキーワードとしてインターネットで検索すると、米中の対立の中で日本がどのような政策を選択すべきか、あるいは、米中対立がこのまま激化の一途をたどれば日本はそれだけ難しい立場に立たされるといった論調を数多く見いだすことができる。これらの論調に共通するのは、日本とは無関係に「米中対立」が展開しており、それに対して当事者ではない日本がどう対応するか、という受け身の発想である。安全保障専門家の中でも、米中の競争に伴い「日本の『負担』が増大する」という、やはり日本は「当事者ではない」という認識に基づいた議論が散見される。

日本を取り巻く国際政治の現実

しかし、こうした、「競争はあくまで米中の間のもので日本は当事者ではない」という認識は、日本を取り巻く国際政治の現実の構造を見落としている。米中の競争は、そもそも何を巡る競争だろうか。争っているのは、「覇権」という抽象的なものである。それが抽象的なものである以上、均衡点はどこかに存在しうる。

例えば、中国の勢力圏を認める形での均衡点を中国が提案したのが「新型の大国関係」であり、あるいは、米中が協調して世界を管理しようと言う発想が、2000年代に米国内の一部で議論された「米中戦略コンドミニアム論」である。上記の二つの例はいずれも米国の政策とはならなかったが、米中の間では均衡点を設定することが論理的には可能であることは記憶されておくべきだろう。例えば、台湾の地位だけ現状維持することができれば、南シナ海を含むいわゆる第1列島線の西側は事実上中国の優位を容認し、米国の防衛はグアム以東に集中すると言う選択も米国は論理的には取り得るのである。

一方、日本と中国の間には、尖閣諸島や東シナ海ガス田と言った、「どちらかが取ったらどちらかが失う」ゼロサム的な具体的な争点が存在する。現在は、それらの具体的な争点は米中の大国間競争に組み込まれる形になっているが、米国が現在とは異なる均衡点を追求する場合には、米国にとってのこれらの問題の意味は大きく変わってくることになる。

そう考えるならば、少なくとも東シナ海においては、日本がより前面に立って中国と競争しているのであり、中国の膨張に対する抑止力の強化は、「米国が要求するから」ではなく、「日本自身のために」必要なことであることは明らかであろう。

1990年代との安全保障環境の違い

なお、日本の中の「当事者意識」を欠いた認識のベースには、冷戦が終結した1990年代以降の地域情勢の影響がいまでも残っているというのが理由の一つにあるかもしれない。日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を改定した1997年当時、日本の役割として意識されていたのは「地域で活動する(かもしれない)米軍を支援する」ことであり、日本自身が紛争の当事者になることはあまり認識されていなかった。そうであるからこそ、「戦闘地域から一線を画した」後方地域における米国への支援が1997年のガイドラインの主眼となったのである。

ところが、それから安全保障環境は悪化してきた。1990年代と異なり、現在の北朝鮮は日本に対する核ミサイル攻撃を行う能力を備えている可能性がある。また中国も日本を射程に収めた数多くの弾道・巡航ミサイルを配備し、また尖閣諸島を巡る対立が激化している。結果として、朝鮮半島であれ東シナ海であれ、有事になった場合には日本自身が攻撃される可能性は著しく高まっている。そのため、現在では、「地域で活動する米軍を支援する」のではなく、日本自身の防衛が優先課題となっており、日本はこの地域の安全保障における当事者そのものである。こうした情勢の変化を日本国内で消化し切れていないことが、上記のような当事者意識を欠いた論調につながっているように思われる。

日本は「未来」を変えられる

東アジアは、現在世界で最も厳しい安全保障環境にある。中国は、1980年代から継続させてきた爆発的な経済成長を背景に、軍事力の近代化をめざましい勢いで進め、地域の軍事バランスを大きく変えた。北朝鮮も、核・ミサイル開発を着実に進め、小型化された核弾頭を搭載したミサイルを既に配備した可能性が高い。ロシアも、頻繁にこの地域で軍事演習を行っている。

冷戦期の主戦線はヨーロッパであり、東アジア(当時は「極東」と呼称されていたが)は、第2戦線としての位置づけであった。しかし、米中の競争における安全保障上の問題の主戦線は東アジアであり、日本はその中でも中心的なプレイヤーとなっている。文字通り、日本自身の選択が「未来を変える」のである。

このことは、今後の日本の安全保障戦略が目指すべきものについて、アメリカを含め、世界のどこかから答えが与えられることはなく、日本自身の手で答えを見いださなければならないことを意味している。今後、バイデン政権の元で日米同盟のさらなる強化が進められていくことになろうが、そのために何よりも必要なのは、現在の「大国間競争」を基調とする現在の国際政治において、日本自身が主要な当事者であるという認識そのものである。当事者意識を持って戦略を組み上げ、十分なリソースを投入していくことができれば、日本にとって好ましい未来を作り上げていくことができよう。一方、米中の競争を他人事として捉え、傍観者的立場を取ってしまえば、日本にとって好ましくない未来と直面せざるを得ないこととなろう。

3月16日の2+2では、役割・任務・能力に関する協議を通じ、日米同盟の抑止力・対処力の強化に向けた連携をより深めることで一致したとされる(外務省ウェブサイト)。ガイドラインの改定から5年以上経っており、役割・任務・能力に関する協議を進めた上で個別の論点を整理し直していく作業は急務となっている。それを進めていく中では、政府当局者や一部の安全保障専門家だけでなく、より多くの人々が「当事者意識」をもって現在の大国間競争の時代に臨んでいくことが望ましい。いまの日本に必要なのは、日本の選択と努力は「未来を変える」ことができるという自覚と、「未来を変える」ために十分な資源を投入していくことなのである。