研究レポート

新しい米中関係下のインド太平洋地域の安全保障

2021-03-30
小原凡司(笹川平和財団上席研究員)
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「インド太平洋」研究会 第6号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

  • 中国はバイデン政権の対中政策およびインド太平洋への関与を見極めようとしており、経済的対立は残るものの軍事衝突は避けようとしている。

  • 中国は、米国の対外政策が固まる前に、自らに有利な「現状」を作り出そうとしており、インド太平洋における軍事プレゼンスも急速に向上させている。

  • 日本は、米国の「自由で開かれたインド太平洋」への積極的関与を促す外交努力を継続するとともに、高い国力に基づく影響力を持たねばならない。

トランプ政権下の米中関係は、米中新冷戦構造が固定化するかに見えた。トランプ政権は「『冷戦後』の終焉」の認識を示すかのように、INF全廃条約やオープンスカイ条約という信頼醸成枠組みから撤退すると同時に、経済的には中国製品を自身の市場から締め出し、軍事的にも南シナ海等に空母打撃群を展開する等をすることで圧力をかけ、ポンペオ国務長官(当時)およびオブライエン大統領補佐官(当時)等の一連の講演によってイデオロギー対立を鮮明にして見せた。

こうした米国の姿勢に対して中国は、日本が提起し米国も同調した「自由で開かれたインド太平洋」という概念が中国を抑え込むものとして反発しながら、同時に米中新冷戦を回避しようとしてきた。全面的な米中対立は、共産党の権威を維持するために継続的な発展が義務付けられている中国にとって不利になるからである。

中国の目的は中国共産党による安定統治の継続であり、これが変わることはない。そのため、共産党は権威を誇示して国民の支持を得なければならいのである。中国は発展して強大になり、「中華民族の偉大な復興」を成し遂げたと、目に見え、実感できる形で国民に示さなければならない。この目的をいかに達成するかが戦略であり、理想である目的と制限を伴う現状のギャップを埋めるものだとも言える。目的は変化せずとも、状況が変化すれば戦略は変化し得るのである。

そして、状況の変化が起きた。米国におけるバイデン政権の誕生である。中国は、バイデン政権の閣僚等の過去の発言や論文を丁寧に分析し、その対中政策を見極めようとしている。中国も、トランプ政権が課した経済制裁を解除する等の政策転換はバイデン政権でも簡単には実施されないと認識しているが、米国が中国に対して軍事力を行使しないという保証を得た上で、米国が中国の政治体制等を尊重してその行動を妨害せず、協力の側面を強調するという状況を作らなければならないと考えているようだ。

中国では、「冷戦思考は米国の長期的な競争力を犠牲にし、中国の封じ込めを強調するだけではうまくいかない」とするサリバン・キャンベル論文などがその根拠として取り上げられている。また、バイデン大統領やサリバン大統領補佐官が用いる「中産階級のための外交政策」といったスローガンは、バイデン政権が経済安全保障を重視する意図を示すものと捉えられており、経済面での対立は残るものの軍事衝突は回避できるという中国の認識にもつながる。さらに中国は、バイデン政権がエスタブリッシュメントを代表する政権であるとの認識から、米国の経済界に対する世論工作等を強めれば、経済制裁の解除もあり得るという。

「米中新型大国関係」という言葉こそ使用しなかったが、2020年11月に習近平主席がバイデン氏に送った大統領選挙勝利に対する祝電の中に「非衝突非対抗、相互尊重、協力ウィンウィン」の3つが掲げられている。この3つは、2013年6月にパームスプリングスにおいて実施された米中首脳会談の中で、習近平主席がオバマ大統領(当時)に働きかけた「米中新型大国関係」の核心とされたものである。しかし、中国が創出したい状況は同様であっても、2013年当時に比して現在の中国の経済力および軍事力は飛躍的に高まっている。同様の状況を追求するにしても、米国や周辺国、さらには国際社会に対する中国のアプローチはより自信に満ちた強硬なものになり、時には攻撃的なものになるだろう。

また中国の有識者は、バイデン政権の対中政策やインド太平洋への関与の方針が固まるまでに6ヶ月から1年程度の時間がかかると見ており、この空白の期間に能動的に動けば、米中関係において中国が優位な位置を占めることができると主張する。実際に中国は、対外政策の方針が固まった米国が中国と向き合おうとした時に、すでに中国に対して軍事力を行使したり、中国を国際社会や市場から排除したりすることができない状況を創出しようとしている。そのため中国は、習近平主席が掲げる「総体的国家安全保障観」に基づいて、「輸出管理法」、「海警法」、「改正国防法」といった安全保障関連の法律を整備するとともに、積極的に経済活動や外交を展開しているのだ。中国は、投資に関する合意を結んで欧州との経済協力を深化させ、王毅外相が歴訪するなど東南アジア各国に対して積極的な外交攻勢をかけるとともに、軍事力増強にも余念がない。

中国の報道によれば、中国海軍は2020年に23隻の大型戦闘艦艇を進水させている。驚異的な建造ペースだ。003型空母の建造ペースも上がり、2022年4月23日の中国海軍記念日に進水するとの予測もある。003型空母への搭載を目指して開発が進む新型ステルス艦載戦闘機が2021年中に初飛行を行うとも言われる。さらに、003型空母が同じ上海江南造船所内で建造場所を移動したのは、2隻目の003型空母建造のためだとする分析もある。衛星画像を用いて計測すると、003型空母は米海軍の最新のジェラルド・R・フォード級空母に匹敵する全長を持ち、米海軍空母と同様にカタパルトを装備する計画である。003型空母が米海軍の空母と同様の構造を有するとすれば、最新のステルス艦載戦闘機を70機以上搭載する可能性がある。中国海軍は、米海軍の強襲揚陸艦に酷似した075型強襲揚陸艦も急ピッチで建造を進めている。

こうした艦艇が就役し、空母打撃群等が南シナ海から西太平洋あるいはインド洋に展開するようになれば、インド太平洋地域における中国の軍事プレゼンスは飛躍的に向上するだろう。南シナ海において中国が軍事プレゼンスを高めれば、東南アジア諸国等は中国が軍事的に優位であると認識するかもしれない。米中両国ともに戦争を回避したいと考える状況では、いずれに軍事的優位があるのかは、両国および地域の諸国の認識によって決定される。一度、中国が西太平洋からインド洋にかけて軍事的優位を有する、あるいは米国と同等の軍事力を有するという認識が定着すれば、これを覆すことは困難である。こうした状況が生起すれば、中国の台湾に対する武力行使のハードルが下がる可能性もある。

2020年に行われたオンライン研究会などで議論した中国の退役軍人や有識者は、中国は実力を用いた現状変更に反対であると述べつつ、その現状は変化し原状に戻ることはないという認識を示した。中国が一度作り出した情勢は不可逆であると主張するのだ。バイデン政権の対中政策が固まらないうちに、中国は軍事的にも、インド太平洋地域において自らに有利な状況を作り出そうとしているのだ。

しかし、バイデン政権が日本にとって有利か不利かを議論することに意味はない。バイデン大統領は選挙によって米国民が選択した米国の政治指導者である。日本がなすべきは、バイデン政権を批判することではなく、米国が引き続き「自由で開かれたインド太平洋」構想に積極的に関与するよう外交努力を継続することである。日本単独の対米、対中影響力は限定的であることから、欧州や豪州といった米国の他の同盟国、インドや東南アジア諸国といった友好国との協力も不可欠である。そして、米国および中国に対する日本の影響力を向上させ、他国に日本との協力の必要性を認識させるためには、日本自身の外交力、経済力、軍事力を高い水準で維持しなければならない。(2021年2月7日脱稿)